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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
前編
7/36

人それぞれの椅子

 私のぼんやりした様子に気づいたのか、ロブが私に声をかけた。私は、ロブを心配させまいと、無理矢理笑顔を作った。

「大丈夫。この椅子、綺麗ね、とても気に入ったわ」

「それは光栄だ。どうもありがとう」

 イブキはうってかわって、抑揚のない声で、風車をいじりながら言った。

「用が済んだなら帰ってくれる?」

「やれやれ。あいかわらず気まぐれなやつだ。まぁ椅子は手に入ったし、長居の理由はないな」

 ロブは呆れた様子で、椅子を素早く布にくるむと、肩に担いで扉を出ようとする。私は、扉を出る直前に、ふと中の様子が気になって振り返った。イブキは変わらぬ姿勢でいたが、私が振り向いたのに気づくと、にやりと笑ったように見えた。私は慌てて視線を逸らすと、扉をぴったりと閉じ、開かないことを確かめて、先を行くロブの背中を追いかけた。


 私はイブキのいた教会を掃除したことで、かなりの体力を消耗しており、帰り道の足取りは少し重かった。

 ロブも椅子を壊さないよう、気を遣いながら運んでいる様子で、二人してサクヤの元にたどり着いたときには、ぐったりと疲弊していた。

 サクヤもそんな我々の様子を察したようで、ロブが椅子を置いて、じゃあな、と言いながら帰ろうとするのを無理に引き留めようとはしなかった。

「ミク、アンタも疲れてるんだろ。今日は休みな」

 サクヤはそういうと、椅子の間の先にあったカーテンをひいて、こじんまりとしたベットへ案内してくれた。

「こんな簡易な休憩所で、不便な思いをさせて悪いね。アンタが住む場所も考えとかないと――」

 そこから先のサクヤの声は、私の耳には届いていなかった。

 私の意識は、その時にはすでに、ここ大窟よりももっと深い眠りの底に落ちてしまっていたようだ。

「また明日」

 そんなサクヤの声が、夢の中で聞こえたような気がした。


 翌朝、私は焼けたパンとコーヒーの香ばしい匂いで目を覚ました。誰かがこちらに近づく足音が聞こえたので、寝たままの状態でカーテンを引くと、サクヤがこちらに向かって歩いてきている。

「目が覚めたかい。昨日と同じもので悪いけど、良かったら食べなよ」

 サクヤはそういうと、トレイに載せた朝食を、私の目の前に置いた。

 正直なところ、私はあまり空腹を感じてはいなかったが、せっかくのサクヤの厚意を無駄にしてはいけないと、ひと切れだけパンを口に押し込んだ。

「ゆっくり食べな。アタシは今日も、カウンターのとこにいるから。準備ができたら教えて」

 そういうと、サクヤは部屋を出ていった。

 部屋に静寂が戻ると、私は昨日のイブキの発言を思い出した。

 ――〈同類〉なら仲良くなりたいのは当然じゃないか!

(〈同類〉とは、サクヤが見える、ということだろうか。それとも……)

 ずきんとした痛みが頭を襲った。大窟に来てからは、不思議な出来事が矢継ぎ早に起こり、うまく消化しきれていない気がする。

 私は働かない頭で、ぼうっと椅子の間を見つめた。

 ガラスの椅子が、凛としたたたずまいで私が座るのを待っているようだった。

 その時、ふと、ソヨウの名前が彫られた椅子を見かけたことを思い出し、ベッドから素早く体を降ろすと、急いでソヨウの椅子に近づいた。

 その椅子はまるで、家具のお手本のような、上品なダイニングチェアだった。木目の風合いを生かしたデザインに、背板と座板の部分には、持ち主の座り心地をより良くするような工夫として、丁寧に革張りがされている。

 おそるおそる、その椅子の木目に指を這わせると、心のどこかに開いた穴がみるみる塞がっていくような、温かい心地がした。

(やはり、ソヨウはここに来ているんだ)

 私はソヨウの椅子にゆっくりと腰かけ、目を閉じる。そして、ソヨウがこの椅子に座っている様子をイメージすると、瞼にうっすらと涙が込み上げるのを感じた。

 ――涙、か。良いものを見た。

 急に脳内で、イブキの言葉が再生される。

 すると、突然、高尚な場所に土足で踏み入れられたかのような心地になった。こみ上げてきた涙も止まり、私は、ソヨウの椅子から腰を上げた。

 目を開くと、ふと部屋の端にある白いものに目が留まった。近づいてみると、なんとそれは陶器でできたアンティークの便器であった。

 イブキ、と金色の飾り文字で書かれたそれが、誰のものであるかは明白だ。私は、その金色の文字をまじまじと眺めながら、身体中から力が抜けていくのを感じた。

(一体なんだろう、イブキという人物に感じる、この異様さは)

「気づいた? それがイブキの椅子――いや、トイレ……だね」

 その声の主はサクヤだった。いつの間にか、サクヤは椅子の間に入ってきていた。

「イブキは、本当に人を食ったような奴だろう。ロブに作らせた椅子が(ことごと)く肌に合わなくてね。彼もまた、特別な素材を必要としたんだ――彼の場合、それが陶器だった」

 サクヤは手に持っていた煙管を吸い込むと、一気に煙を吐いた。

「自分の椅子は自分で作ると言って、あの教会を乗っとると、中に勝手に工房を作ってね。しばらくして持ってきたのがそれさ。彼の思考はさっぱりわからないけど、確かに〈伝魂〉はできた」

 サクヤはカツカツと歩き回りながら、車椅子と、丸太でできた武骨な椅子を指差した。

「これは経験則なんだけど、アタシが伝魂に使う椅子って、なんとなくその人物を表現しているみたいなんだ。たとえばこれがレイヴァンのもので、これがロブのもの、というようにね」

 私は、サクヤが指し示す椅子の近くに寄って、名前を確認してみる。車椅子と、丸太の椅子には、確かに彼らの名前が彫られていた。

「確かにイブキは異質な奴だが――才能がある。彼が本気を出せば、私なんか必要なくなるくらいにね」

 サクヤは、そうしんみりと言うと、もう一度、大きく煙を吸って、吐いた。

「だからアタシのことが見えるアンタにも、きっと眠っている能力があるはずなんだ。それが目覚めるのはいつになるんだろうね。さぁ、始めるよ」

 サクヤが中心の台に歩いていく間に、私はイブキから譲り受けたガラスの椅子に腰かけた。

 サクヤが昨日と同じポーズで、台の上に立つと、椅子はリーンと高い音を立てて、隣の椅子と共鳴を始めた。不思議と今度は心が落ち着いていた。

 ふわり、と私の体から、輝く煙のようなものが浮かび上がると、サクヤは足元の台に置かれていた糸巻きを拾い上げ、綿菓子を作るかのように回転させて、それを糸状に縒りながら巻き取った。そして、彼女はその糸を私の右足首と椅子の足に、蝶結びで結わえつけた。

 椅子の間の中心の台に戻ったサクヤが、最後にタン、と足を鳴らすと、それを合図として、椅子の共鳴も止んだ。椅子の間に静寂が戻ると、サクヤはふう、と大きく息を吐いた。

 私の右足首には、赤く輝く糸が結わえられている。椅子から降りて、数歩椅子から離れてみるが、糸は結びつけられたまま、どんどん伸びていく。

「アタシがつけた〈匂い〉が、見えるのかい?」

 サクヤが驚くように声をあげたので、私はうなずいた。

「はい、糸のようなものが」

「やっぱり見えるんだね、アンタは。他の連中は、特殊な眼鏡をかけて、ようやく私の姿が見えるようになるっていうのにねぇ」

(なるほど、だからロブはゴーグル、レイヴァンは片眼鏡を身につけているのか――)

 その時、私の脳裏に、ある人と交わした約束がよみがえった。

「あ!」

 私が、声をあげるとサクヤは飛び上がった。

「急に大声出して、一体なんだい?」

「そういえば、〈伝魂〉が終わったら、レイヴァンのところに行く約束でした」

「ふーん……」

「行ってきていいですか?」

「構わないよ。好きにしな」

 私はサクヤにお礼を言うと、レイヴァンの元に走った。


「その様子だと、〈伝魂〉は無事終わったようだね。思いの外、時間がかかっているようだったから、心配したよ」

 レイヴァンは、満面の笑みで私を迎えてくれた。

 私も釣られて、微笑みながら言った。

「椅子が合わなくて……イブキのところまで行きました」

 すると、少しだけレイヴァンの表情が強ばった――ように見えた。

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