イブキ
ロブはその様子を見て、呆れたように言った。
「おい、祈りを捧げる台に足を乗せる聖職者がいるか。罰が下っても知らんぞ」
「何が?」
イブキ、と呼ばれた人物は、そこでようやく顔を我々の方に向けた。
暗い中でも、その肌の透き通るような白さや線の細さが、はっきりとわかる。
サクヤやレイヴァンは、どちらかというと彫りの深いはっきりとした顔立ちであるのに対し、イブキは奥二重でさらりとした顔立ちであり、中性的な見た目だった。
イブキの風貌は、かつて女性役を演じて話題になった俳優を、想い起こさせた。その俳優も性を超越した、特別な存在感を放っていたが、目の前のイブキという人物にもその俳優、いや、それ以上のオーラを感じる。
この人になら、サクヤが見えてもおかしくないだろう、と私は思った。
イブキはそのとき、ロブの後ろに隠れるようにして立っている私の存在に気づき、その目は、まるでおもちゃを与えられた子供のように輝いた。
「後ろの子、誰?」
「お前には関係ないだろう。椅子を見立ててほしい」
「関係ない人の椅子を見立てる義理はないね」
イブキはそう言うとそっぽを向いた。
「帰って」
ロブが口を開いて何かを言いかけたとき、イブキは素早く台から足を下ろして立ち上がり、私の方を見て言った。
「あ、帰るのはロブだけね。君は残って僕と遊ぼうよ」
お近づきの印に、と言いながら、イブキは私に風車を手渡そうとした。
「おい、嬢ちゃんに余計なちょっかいを出さないでくれるか」
ロブが慌てて、私とイブキの間に割って入ろうとする。私にはなぜ、そこまでロブが私と彼を遠ざけようとするのか解らなかったが、ロブの迫力に負けて、風車を受け取ろうとロブの後ろから伸ばしかけていた手を、慌てて引っ込めた。
くすくす、と少女のように笑いながら、イブキは風車を顔の前でくるくると回転させた。その、どこか演技のかかった動きから、私は不思議と目を離すことができなかった。
「その様子だと、まだ目覚めてないんだね。僕なら――」
「おい、余計な話はいい。椅子だけ見立ててくれ」
ロブが『だけ』という言葉を強調しながら大きな声をあげると、その声は静まりかえった石の部屋に反響した。
イブキは肩をすくめると、唐突に真面目な表情になり、風車を放りなげると、腰に下げた紐を両手に持ち、挑戦的な顔でロブを見上げた。
「どいてよ。採寸しないと」
ロブは神妙な面持ちで頷くと、横に移動して道を開けた。
「腕を上げて」
イブキは、私の脇に手を差し入れて二の腕を持ち上げた。不意をつかれた私は、ブルッと身震いした。
「おい、お嬢ちゃんに触るな」
ロブは、私の様子に気づき、イブキをきつく睨んだ。そんなに過保護にしなくても、と言いかけた瞬間、イブキが触れた場所が熱を帯びたのに気づく。イブキはぼそぼそと、私だけに聞こえる声で呟いた。
「そんな警戒しないでよ。『まだ』何もしてないんだから――」
ぞわり、と背筋に冷ややかな風が走った。その含みを持たせた言い方に、恐れを感じた私は、極力何もせず黙っていよう、と心に誓った。イブキは膝を折って私の足を測っていたが、ふいに立ち上がって周囲を見渡しはじめた。
「サイズは問題ないかな。あとは素材を何にするかだけど――自分で探してみなよ。ここには僕が集めてきた素材がいっぱいあるからさ」
ほら、とイブキに促され、そのあたりに置いてあった彫刻に手を触れようとしたが、その彫刻がうっすらと埃をかぶっているのに気づく。
「掃除道具は、ありますか」
なるべくイブキを見ないようにしながらそう言うと、彼の表情が、パッと明るくなるのが視界の端でもわかった。
「ここを掃除するんだね? 働き者だなぁ」
イブキは大げさに手を広げて、奥にあった扉を指し示した。
「掃除道具なら、奥のトイレの脇にあるよ。でも、ここに長居して誰かさんに怒られないかな?」
ロブの方をゆっくりと見ると、彼は腕組みをしながらこちらを見ている。何も言わないところを見ると、警戒しているのはイブキの言動だけで、私の行動に口を出すつもりはないらしい。
私は奥の扉から、バケツに水を汲んで戻ると、雑巾を硬く絞って、片っ端からそのあたりを拭いて回った。
イブキは、高い棚の上に登り、ニコニコと楽しそうな表情を浮かべて、足を子供のようにしきりにぶらぶらさせながら、働く私の様子を観察していた。ロブも腕組みしながら、私とイブキの両方が視界に入る位置に移動し、黙って様子を見ている。
私は、拭き掃除を続けながら、なるべく意識して多くのものに手を触れて回った。石膏で作られたと思われる彫刻、キャンバスに書きつけられた絵画、陶器の食器、金属製の楽器、銀の燭台――しかし、どれに触れても、何の反応もない。
一通りの掃除を終えても、何の収穫も得られなかった私は、バケツの上で雑巾をゆすぎながら、途方に暮れた。
しかたなく、濁ってしまった水でも替えようかと、バケツの取っ手を持って顔をあげたとき、それが視界に入った。
(ステンドグラス)
その存在に気づいた瞬間、私は手を触れてみたくなって、バケツを返す代わりに、用具入れから脚立を引っ張りだしてきた。脚立に立ち、ステンドグラスに手を付いた瞬間、キーンという耳鳴りの音と共に、ガラスが震える振動が手に伝わってきた。
「ガラスか」
「ガラスね」
その様子を見て、ロブとイブキがほぼ同時に言った。
「だとすると、かなり時間がかかりそうだな」
ロブはがっかりしたように言う。
「ガラスはここじゃ、手に入りづらいし」
「そうだね、砂を丁寧にふるいにかけなきゃいけないし、窯の温度調整だって簡単じゃない。素材はすぐ割れるし加工に向いてない。誰がそんな椅子を好んで作るんだろう?」
イブキは両手を広げ、勝ち誇ったように言った。
言い返す言葉がなかったようで、ロブは無言になった。しばらく気まずい沈黙が流れる。
「あんなに威勢の良かった兄貴もお手上げですか。じゃあ僕はこれで」
イブキはひらり、と身を返すと、奥の扉に姿を消そうとした。
「ま、待て、イブキ」
ロブは慌てて彼を制止した。
イブキは振り返ったが、その視線は凍りつくように冷たい。
「僕をこれ以上、煙たがるなら協力しないよ」
ロブはぐ、と言葉をのどにつまらせると、膝を折って床に座り、顔をあげた。
「俺にできることは何だ。遠慮なく言ってくれ」
その言葉を聞いて、イブキの顔は満面の笑顔になり、薄暗い部屋の中でも明らかにわかるほどに、真っ白だった頬に、みるみる赤みが差した。急に目を輝かせ、いきいきとしはじめたイブキの様子を見て、ますます私は、彼に対する畏怖の念を強めた。
「彼女と二人きりにしてよ」
「それはできない」
「何で?」
「サクヤとの約束だ」
その言葉を聞くと、イブキは早口でまくし立てた。
「サクヤサクヤって、皆いつも、あの女のことばっかり。ここの奴らにはもう、うんざりだ。〈同類〉なら仲良くなりたいのは当然じゃないか! 二人で話ぐらいさせてくれよ!」
ロブはしばらく無言で考えている様子だったが、諦めたように立ち上がった。
「お前の言うとおりにしよう。その代わり、嬢ちゃんを危険な目に遭わせたら承知しない。ミク、何かあったら大声を出せよ。すぐ飛んでくるから」
そう言い残して、ロブは扉から外に出ていった。
「ようやく、二人きりになれたね」
イブキは不気味な笑いを浮かべて、一歩一歩、こちらに近づいてきた。私はあとずさりしたが、蛇の檻に放り込まれたネズミのようにじりじりと追い込まれ、ついに壁に追い詰められた。
「これが、サクヤに細工される前の、自由な魂の輝きなんだね……もっと近くで見せてくれ」
そういうと彼は、息がかかりそうになるほどの距離まで近づいた。
「イ……イブキ、さん」
私は彼に触れないように、体を引き気味にしながら、最小限の動きでかろうじて声を絞り出した。
「イブって呼んで」
イブキはわざと息を吹き掛けるように耳元でささやいた。私が彼を全力で押し返そうとしたとき、彼は私の喉元にふうっと息を吹き掛けた。その瞬間、私の喉は、突然何かが詰まったようになり、声が出せなくなった。
じりじりと距離を詰めてくるイブキの顔を直視できなくなった私は、ぎゅっと目を閉じた。すると、瞼の裏にふとソヨウの顔が浮かんだ。
(助けて)
目の端から、つつ、と涙が伝うのを感じた。ゆっくりと目を開くと、涙で歪んだ視線の先に、恍惚とした表情を見せるイブキの顔があった。
「涙、か。良いものを見た。純粋だね、君はガラスの椅子に座るに相応しい」
イブキはそういうと、体を翻して、奥の扉に消えた。放心した私の目の前に、白い布に包まれた何かを担いで戻ってくると、彼はかしずくように膝を折って、それを床にゆっくりと下ろし、布をぱらりと外した。
白い布に包まれていたのは、ガラスでできた小さな椅子だった。イブキはしきりに、私にその椅子に座るよう促す。
ゆっくりと腰をかけると、ひんやりとした感触とともに、その曲線はぴったりと私の体に合わさった。
イブキもそれを見て目を細め、満足げにうなずくと、懐からペンのようなものを取り出して、何事もなかったように私に訊ねた。
「お嬢ちゃん、名前を教えてよ」
すると突然、喉の拘束が解けたようになり、声を出すことができた。
「ミクニです。ミクニ・クラ」
イブキはキリキリと高いモーターのような音を立てて、ガラスの椅子に名前を彫った。仕上げにふうっと息を吹いて、名前の周りにうずたかく積もったガラスの粉を落とすと、優雅な仕草で膝を払って立ち上がった。
「話は済んだ。ロブ、入っておいでよ」
イブキがそう外に呼び掛けると、扉が開いてロブが駆け込んできた。ガラスの椅子に腰かける私を見て、開いた口がふさがらなかったようだ。
「イブキ、お前、この椅子は、どうして――」
「ガラスの板を少しずつ張り合わせて作ったんだ。繊細で美しいだろう?」
イブキは頬に手をあてて、顔を少し斜めに傾けた。
「僕の花嫁をイメージしてみたんだけど、どう?」
私はその言葉に動揺し、助けを乞うようにロブを見上げた。
ロブは、ずっとイブキを不機嫌そうに睨んでいたが、何も言わなかった。次にイブキに視線を戻した時には、もうイブキは最初に会った時の姿勢――台に足を乗せた状態――に戻っていた。
私は椅子に彫られた自分の名前をもう一度見つめた。その字を見ると、何故か自分自身から重要な何かを引き出されたような、ひどい虚無感を感じるのだった。
「おい、お嬢ちゃん、大丈夫か」