レイヴァンの講義
「そのチームは、地底大窟のその後の発展に、大きな影響を及ぼした。我々は、そのチーム――主に、リーダーに敬意を表して、〈初代〉と呼んでいる」
レイヴァンはそこでいったん話を切ると、持っていたコーヒーのマグカップを、音を立てずにゆっくりとテーブルに置いた。
レイヴァンは、手を重ねて祈るようなポーズを取ると、そのまま手を広げて大窟の形状を表現しながら、大窟にまつわる歴史を、一つ一つ、詳細に語り始めた。
大窟は、巨大な漏斗のような形状をしているのだという。大窟の社までを〈地上層〉と呼び、地中深くなるにつれ、徐々にその穴は狭くなっていく。
中層から先は、一定の広さのまま、ひたすら深く、迷路のように道が複雑に入り組んで分岐している。中層より先、最深部に至るまでの道のりは、深くなればなるほど、危険度が増していくのだという。
「昨日通ってきた道が、今日には無くなっている、そんなことはざらにある。大窟とは、そういう場所だ」
レイヴァンはそういうと、大窟を覗きこむかのように、コーヒーの深い闇に視線を落とした。
「初代が、探検家ではなく、あえて『開拓員』を名乗ったのは、大窟が、それほどまでに未知であり、人類の発展の可能性を秘めていたからに他ならない」
地底大窟が特殊な環境であったがゆえに、開拓における成果は、ほぼ初代の独占状態であったらしい。しかしその初代でさえ、最深部に到達することはできなかった。
初代は、まさに最深部に到達する直前、というところで、消息を絶ったという。そして、初代の姿を見つけることができたものは誰もいない。
それほどまでに、大窟は巨大で深い穴なのだ。
「初代は、他の調査隊とは違って、ある特別な手段を持っていた――サクヤの能力だ」
私は全身の毛がそばだつような感覚を覚えた。
まるで、これまでの話は、ただの序章に過ぎない、と宣言されているかのようだった。
彼の話は、おそらく何かの結論に向かって、巧みに順序立てて話されているのだろう、私は、彼の話術に徐々に引き込まれていった。しかし、そんな興奮を打ち砕くように、重大な事実が私の脳裏をよぎった。
(時期が、合わないのでは?)
「ちょっと待ってください。サクヤって、あの受付にいるサクヤですよね?」
「ああ。初代の一員だった」
「でも――でも、私の会ったサクヤは、とても若くて」
そんなに人が長く生きられるはずがない、と言いかけて、私はサクヤに声をかけたときのあの驚きようを思い出した。
――アンタ、私が見えるの?
そう、あれがサクヤと出会ったときの、彼女の第一声だった。
あれは、冗談ではなく、彼女が〈見えるはずのない人〉だったからこその発言だったのだ。
私の様子を見ながら、レイヴァンも目を丸くした。
「もしや君も、サクヤが〈見える〉人間なのか……」
レイヴァンは、しばらく言葉を失ったかのように、私の目をじっと見つめていた。
「そもそも、サクヤは普通の人には〈見えない〉はずの存在なんだ」
「それって……どういうこと――ですか」
レイヴァンはその質問には答えなかった。
「実は僕も、断片的にしか聞いたことがない。サクヤはあんな調子で、自分のことを深く語らないからね。かつて初代が生きた時代から、彼女は開拓員のことをずっとサポートしているんだ。もしかすると、彼女の能力に起因しているのかもしれないが、僕も正確なところはわからない。
どうやら、彼女は魂だけの少し特殊な存在であるらしい。まぁ、彼女のことが見える君も、僕に言わせれば、十分不思議な存在じゃないかと思うよ」
そのとき、レイヴァンが常に顔にたたえていた笑みが消え、ふと真顔に変わった。
「逆にこちらから質問するけど、君は……後悔しないのかい? 脅すわけではないけれど、ここの一員――つまり開拓員となって、大窟で暮らすということは、もう二度と、かつての場所には戻れないし、友人や家族にも会えない生活を受け入れるということだよ。その覚悟は、君に、あるんだろうか?」
私はその言葉の重みに、思わずぎゅっと目を閉じた。
(ソヨウがもし、この言葉を聞いていたとしたら、何と答えただろう)
「どうかな? もし、答えられなければ、このまま、港まで送ってあげてもいいんだけど――」
「大丈夫です、続けてください」
悩むまでもなく、私の答えは決まっていた。
大窟の社で見た景色を思い出しながら、私は目を開いてゆっくりと発言する。
「私に帰る場所はありません。それに、戻っても、心配する人は誰もいないんです。知り合いも、家族も」
レイヴァンの唇が、緊張したように震えた。
「君の覚悟は解った。では、君の目で確かめるといい。サクヤがこの大窟で担っている重要な役割――〈伝魂〉をね」
魂を、伝える、と書く、といいながら、手のひらに字を書いて説明すると、レイヴァンはちらりと時計を見て言った。
「そろそろ準備もできているころじゃないかな。サクヤをあまり待たせない方がいい。今日話しきれなかったことは、また次回話すとしよう。〈伝魂〉が終わったらまたおいで。
君と僕はきっと――手を組めるに違いないから」
そう言いながら、レイヴァンが膝に落ちたパンくずを払うと、まるでそれが合図であったかのように、『ボーッ、ボーッ』という汽笛が遠くに聞こえた。ここ大窟に来た観光客たちが乗り込んだ、最後の船の出港の合図であった。
レイヴァンと私は、しばらくテーブルの上の何もない空間を見つめながら、その汽笛の終わりを待った。最後の長い汽笛が終わったとき、彼は独り言のように呟いた。
「本日の講義は、ここまで」
帰り道の私の足取りは、少しだけ重かった。夕日に照らされて、徐々に長くなっていく自分の影を追いながら、考えに耽った。
レイヴァンと会って話したことで、大窟の謎はより深まってしまっていた。サクヤの存在と〈伝魂〉。そして何より、なぜ私には、彼女が見えるのか、ということ。
「おかえり」大窟の入口に戻った私の姿を見て、サクヤは言った。「レイヴァンは、元気だったかい?」
私は返事をすることも忘れて、サクヤの顔を凝視した。これほどまでに生き生きとした人が、他の人に見えないなんてことがありえるんだろうか。
「何をぼーっと突っ立ってるんだい。入んなよ」
そう言いながら、彼女が指差すのはカウンターの隣の、ただの壁だった。壁を前にして、私はどうしていいか解らず、またしても呆然としたまま、その場に立ち尽くした。
「あ、そっか。この扉の開け方を、教えておかないと」
そういうと、サクヤは綺麗に整えられた爪でコツコツと音を立てて、壁をつついた。すると、どこからともなく金属的な音が響いて、それに呼応するように壁が開いた。驚いてサクヤの方を見ると、彼女は少し笑った。
「ここが、開拓員が大窟の奥へ行くための隠し扉さ。一般の人には、ただの壁に見えているから、ここを通るときは気を付けて。でもね、この扉は生きているんだよ。触れてごらん、ほら」
サクヤは私の手を取って、その壁に押し付けた。不思議なことに、冷たそうな土の壁に触れたその手に、人肌程度の、温かいぬくもりが伝わってきた。
「ここは意外に人通りが多いから、こうして入口を解りづらくしてるんだ。
こいつは、仕事熱心でね。人の視線を感じるときとか、開けちゃまずいタイミングには、頑なに開こうとしない。意外と気難しくて、たまに迷惑してるよ。ま、慣れちゃったけどね」
扉の向こうには、まるで小規模なオーケストラのように、台を中心に、様々な椅子が並べられていた。肘掛け椅子や揺り椅子、ソファー、玉座のような立派な椅子など、ありとあらゆる種類の椅子があったが、薄暗くて寒いその場所に置かれたそれらの椅子に、私はなぜか不気味な印象を抱いた。
サクヤが、端の方に置かれた新しい小さめの椅子を引いてくると、そこに座るよう私を促した。
「座りな。さぁ、始めるよ」
私は座ったまま、周囲を見渡した。
「ここまでバリエーションに富んだ椅子が並ぶのは、なかなか壮観だろ。大窟にいる奴ら、一人につき一つ、専用の椅子があるんだよ」
私はからからに乾いた喉から、やっとのことで声を絞りだした。
「これが、レイヴァンの言っていた〈伝魂〉?」
「ああ、そうだよ。ここにある椅子にはね、一人一人、大窟に挑む人間の〈匂い〉を残しておくんだ。で、アタシがそれを読み取る」
私が怪訝な顔をしているのに気づいたようで、彼女はきまりの悪そうな顔で言葉を追加した。
「学校で、ほかの人の椅子に座ったことがある? なんだか違和感を感じなかったか? なんというか、自分の体にうまく合っていないような、そんな不思議な感覚に」
確かにそのような感覚を、かつて経験したことがある気がした。私が頷いたのを見て、サクヤは得意げに言った。
「それが、〈匂い〉だよ。
別に椅子じゃなくても、ありとあらゆるものに〈匂い〉はつけることができるんだけどね、なるべくなら体を預けられるもの――私の場合は、椅子が手っ取り早くて好みなんだ。その〈匂い〉がついた椅子の主人に異変があったとき、それを感じることができる。
そうすることで、いざというときここに引き戻すこともできるんだ。皆はそれを〈伝魂〉って呼んでるのさ」
「異変があったときというのは……」
「一言で言うと、死に瀕した時だね」
「どうして解るの?」
「感じるんだよ。少なくとも今まで、外したことはないね。まぁ、決して人に自慢できる特技じゃないけど」
私が尊敬したような眼差しで、まじまじと彼女の顔を見ると、彼女は少し慌てた様子で私を急かした。
「まぁ、そんな御託はいいんだよ。さっさと始めるよ」
彼女は軽く私の肩に手を置くと、私の呼吸にあわせて、彼女も呼吸を始めた。
「ゆっくり呼吸して……体を預けて……椅子が自分の体の一部だという感覚を持ってごらん……」
しばらくのあいだ、私は力を抜いて椅子に身を預けた。
サクヤは音を立てず、そのまま中心の小さな台に上り、指揮者のように腕を上げて静止した。
すると、彼女の回りの椅子が、彼女に呼応するかのように鈍く光り始め、まるでオーケストラのチューニングのように、音を鳴らしはじめるのだった。
私は、体を預けたまま、そんなサクヤの様子を観察していたが、ふと視界の端で、素朴なデザインの椅子が、柔らかなオレンジの色に光っているのを発見した。その椅子の背もたれには、探し求めていた名前が彫られていた。
<SOYO=DAI>
(もしかして、お兄ちゃんの椅子――)