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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
後編
35/36

生命の輪

 プレートをかざして、レイヴァンの視点から、その一部始終を見ていた私は、サクヤがその男性に手をかけようとした瞬間に、おぼろげながら事の全容を掴んだ。

 しかし、そこでなされている会話を、私は、どうしても、聞くことができない。

 もどかしく思っていると、かつて老人が手渡してくれたハッカ糖が、ふわりと宙に浮かんだ。

 すると、壁に向かって、かりかりと音を立てながら、そこでなされている会話を、自動筆記のように書き残していく。

 『僕は自分が〈吹いた〉物が、どういう意思を持つかはその物に任せているから。別にチョークとして役割を全うしたいということなら、それはそれで構わない』

 ハッカ糖は自らその体を削りながら、最後の役割を全うしようとしている。ハッカ糖はどんどんと短くなっていき、最後に一言、書き残して、消えていった。

『クオン完全結晶が弱点だ。奴を滅ぼしてくれ。初代と、我々の最後の願いだ。どうか、頼む』

 それはカリグラフィを思わせる美しい文字だった。大窟を旅する間、私は何度、このプレートを通して、この筆跡の持ち主と会話をしたか知れない。

 皮肉にも、彼の最後の講義は、彼自身が、少年のように目を輝かせて追い求めていた、大窟の最深部の悲しい真実を、私に告げるものだった。

 肩で息をつきながら、私は腹立たしさと戦った。

 全てはサクヤ――大窟に巣くい、人の絶望を餌にして生きる怪物の仕業だった。私たちは、大窟というその生き物の巨大な巣にとらわれた、哀れな餌でしかなかったのだ。

 『先代が残した最大の謎――大窟という存在から、人々の足をなるべく遠ざける理由は何故なのか? そこには、必然性があるに違いない』

 レイヴァンの仮説は正しかった。

 遥か昔から、初代と呼ばれる人物は、サクヤ――いや、サクヤの姿形(すがたかたち)をした、大窟に巣くう大いなる敵と、孤独な戦いを繰り広げていた。

 初代は、一人でも多くの犠牲を出さないために、開拓員という名の生贄を使って、大窟の存在自体を、なるべく世界から遠ざけていたのだ。

 初代は、大窟の支配者として、サクヤと手を組むふりをしながら、開拓員を生かさず、殺さず、独自の生態系を作り上げながら、反撃のチャンスを何年も前から、伺っていた。

 最初のチャンスは、イブキの存在だった。

 開拓員として唯一、最深部に辿り着いたイブキは、大窟にまつわるその事実を知った。

『ここは異常だ』

 それが、彼が言える精一杯の言葉だったのだろう。

 そしてイブキは、そこにいた数十人の開拓員の魂を解放し、最も真実に近い場所にいたレイヴァンという人物に、二度と立ち上がることのできない絶望を植え付けて、サクヤの陣営に下った。

 しかし本当の狙いは、遊軍として、時が満ちるのを待つことだった。

 彼は、異常な振る舞いをしながら、彼の元から人を遠ざけることで、固く秘密を守り通した。

 どこか厭世(えんせい)的な彼の態度の理由が、ようやくわかった気がした。イブキは、本心では、戦いに巻き込まれることを、望んでいなかったに違いない。

 そして、ソヨウも開拓員として、ここに招かれた。

 イブキ同様に、最深部に招かれたソヨウは、そこで最深部にいた初代と会話し、彼に協力することを決めた。

 しかし、そのとき、予想外のことが起きた。

 ――私という存在。

 まさか、ソヨウを追ってきた妹の私が、ソヨウのあらゆる希望を摘み取り得る存在であることを、初代は予想していなかった。

 ソヨウは、私から逃げるようにあの椅子に座った。サクヤにとっては、狙い通りであったその展開は、まさに今、彼女に大きな隙を生んでいる。

 大窟の運命は、まさに今、私の一存に託されていた。

 ――私の本体は、大窟の社にあるんだ。

 サクヤが、自分の本当の居場所を明かしたのは、偶然のことだった。

 だが、一つ一つの行動が、まるでバトンを繋いでいくかのように、私をここまで導いてきた。

 ロブがサクヤに捧げた愛の証は、偶然にも、彼女の弱点を暴いた。

 レイヴァンは、プレートの力を利用して、私にメッセージを送った。

 ヤコが発動した最後の力は、偶然にも、私をここに導いた。

 しかし、初代は確信を持っていたのかもしれない――それぞれの運命が重なりあい、この場所でひとつになることを。

 私が取りうる行動は、たった、一つしかない。

 私は迷うことなく、社の内部に押し進み、サクヤの本体――大きな繭のような物体を発見した。

 先ほど、ソヨウを襲ったものと同じ形だが、それが私に危害を及ぼす気配はなく、ただ、じっと、そこに存在しているだけだった。

 私は、最深部での戦いを通じて、その繭のようなものを構築する糸が、合口などでは傷つけることができないことを知っていた。

 しかし今は、最大の武器を、この手に握っている。

 私は固く握っていた手を開いて、その指輪を見つめた。

 それは私の執念。

 最後にソヨウの手から奪い取った、ソヨウとサアラの愛の証。

 ――クオン完全結晶が、奴の弱点だ。

 それは、ヒューの心臓に埋まった一片の欠片であり、ソヨウと、サアラの薬指に飾られた装飾品にもなった、自然界にはまず存在しないという、奇跡の石であった。

 すでに幾千分の涙を流しきり、千羽鶴と共に、その犠牲を大窟に葬ってきた私には、もはや泣く水分すら残されていない。

 あとは、この社で、奇跡を起こすだけだ。

 ――ヤコ、力を貸して。

 私は、その指輪をゆっくりと繭の上に乗せると、神託を受けたときのように、手を組んだ。

 頭の中でシャン、と音が鳴り響くと、大窟の社の木が答えるように、葉を震わせる。

(大窟に拘束されたソヨウに、想いを届けて)

 壁に書かれたレイヴァンの字が、燃えるように光輝きはじめると、はらりと剥がれたその断片が、大窟の木を中心として、集まりはじめた。

 大窟の木に願い事が集まると、一斉に白い花となって咲いたそれは、あっという間に散り始めた。

 二度目の奇跡を目にしながら、私の心は、一度目とは比較にならないほどに、深く沈んでいた。

 いくらサクヤを欺く必要があったとはいえ、大窟にいた人間は、ほぼ全滅してしまった。それは私たちから見て、勝利と言えるのだろうか。

 何度も咲いては散る花びらの中で、私はひたすらに、そのことについて考えていた。

 ――レイヴァンはかつて話してくれた。

 大窟にはたくさんの命が生きており、初代は生前、慈しむようにその一つ一つと対話したという。

 敵に利用されながらも、大窟に息づく生命たちは、滅びることなく、うまく循環しながら、ゆっくりと時を紡いだ。

 おそらく、この大窟に散っていった人々も、この生命の環の中で、きっと別の何かに生まれ変わっていくのだろう。

 そして今、初代の意思の元、一つの生命がゆっくりと、その環から外されようとしていた。

 私の前にあるクオン完全結晶が、ひときわ強い輝きを放つと、繭を徐々に溶かしながら、沈みこむようにして消えていく。

 その円は、まるで黒々と私の心に開いた穴のようだった。

 私は瞬き一つせず、その結晶が、一方的に戦いを制していくのを、見守った。

 繭は、抵抗もせずに、溶けてクリーム状の液体になっていく。

 目の前で、何かの命が尽きていく嫌な感覚が、私の心を染めていくが、私はそれと正面から向き合った。

 なぜなら、それを駆逐せずに放っておけば、開放された初代の代わりに、身代わりとなったソヨウが、最深部に捕らわれたままだ。

 初代ほどの大儀は、残念ながら、私にはなかった。

 私がそうする理由は、たった一つ。

 ――サクヤに、ソヨウの魂は、渡さない。

 私が妹として、唯一ソヨウにしてあげられること。

 それはサクヤを倒し、大窟に囚われた、彼の魂を開放してあげることだった。

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