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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
後編
34/36

初代の切り札

「何て美味なの……こんな至高の味の絶望が、かつてあったかしら」

 サクヤは恍惚とした表情で言った。

「イブキに感謝するんだな。こんな悪趣味な筋書きを描けるのはイブキだけだ」

「お褒めに預かり光栄ですよ。初代」

 イブキは部屋の隅で、鮮やかな色の紙風船をいじっている。

 イブキに初代と呼ばれた男は、椅子の間に置かれた玉座のような立派な椅子にゆったりと身を預けていた。初代に寄り添うように、肘掛けに浅く腰を下ろしたサクヤは、優雅に足を組んでいた。

「初代!目を覚ましてください。一体どうしてこんなことを……!」

 レイヴァンは椅子に拘束された状態で、初代に向かって声を張り上げる。サクヤはチッと舌打ちした。

「うるさいねぇ。殺してしまおうか」

「殺すと、貴女の餌が減りますが……?」

 イブキは顔をあげて、サクヤに向かって言った。

「ふん。初代が戻ってきた瞬間、急に弱腰になって。そんなに言うなら、声も奪ってやりなよ。昔、足を奪ったようにね」

「できるか? イブキ」

「仰せのとおりに」

 イブキは初代に向かって恭しく頭を下げた。

「イブキ、何故なんだ……やめてくれ!」

 レイヴァンは恐怖に目を見開き、静かに近づいてくるイブキのことをじっと見つめた。イブキがレイヴァンの喉元にそっと息を吹き掛けると、レイヴァンは硬直したように動かなくなった。サクヤは恍惚とした表情を浮かべた。

「いい表情をするねぇ。レイヴァンの絶望も小粒で、デザートには最適だよ。しかし、ソヨウの味には遠く及ばないねぇ。あんな極上の餌をおびき寄せてくれるなんて、本当にミクはできる子だよ」

「そうだろう。何しろお前のことが見えるし、神託で自分の使命を決める。並みの才能じゃないさ」

「神託や人選の鈴――あんたらのやり方は回りくどいねぇ。優秀な開拓員を選ぶっていうのは、そんなに面倒なことなのかい」

「ああ。人間の脆さや弱さは、見た目では判断できない。だが、その回りくどい方法を、お前が餌にする人間を選ぶのにそのまま採用しているのは、皮肉だな」

「そりゃあちょっとやそっとの絶望じゃ死なない、魂が鍛え抜かれた人間でないと生かす価値はないからねぇ。それに、ただの絶望じゃね、もうアタシは満足できないんだよ。もうアタシはその味を覚えてしまったからね」

 サクヤは唇を舐めた。

「アタシはずっと昔から人と共存共栄の道を歩んでるのさ――あんたを生かしたみたいにね」

「あのとき死んでればよかったんだがな」

 初代は鼻で笑った。

「まさか大窟の最深部に、絶望を食らう怪物がいるなんて想像しなかったさ――大窟で辛苦を共にしたチームの一員であり、恋人だったはずのお前も、すでにその怪物の一部だったなんて。大変な場所を開拓してしまったと、俺は自分の好奇心を呪ったね」

「怪物だなんて、ひどい言い方だねぇ。アンタが長年の冒険でようやく発見した未知なる生物じゃないの。

 アタシはずっと待ってたんだよ、アンタが私を探し出すのをね。あの椅子に座った瞬間、あんたはアタシの虜になる運命だったのさ」

 サクヤはそういうと、初代の膝に座って足を組んだ。

 イブキは無言で、手に持っていた紙風船を膨らませると、宙に放った。空気を含んだそれは、ふわり、と一瞬宙を漂い、ゆっくりとイブキの手元に戻ってきた。

「初代……アンタだけは特別だ。

 長らく最深部の奥で、アタシの役に立ってくれた。大窟を入り組んだ作りにしてみたり、入口を頑なに閉ざしたままにして、来る人間たちに、絶望を味合わせた。

 どうやったかは知らないが、イブキをうまいこと言いくるめてこっちの陣営に引き入れてくれたしね。アンタだけは、殺しはしない。ずっとアタシの元にいておくれ」

「ああ。俺は、永遠にお前のものだよ、サクヤ」

 玉座にかけている男は、けだるそうにその声を呼んだ。サクヤの顔に満面の笑みが広がる。

「うふふ。あははは!」

 サクヤは腹を抱えて笑い出した。

「茶番はここまでにしようか。初代……アンタの考えることはね、お見通しなんだよ。これまでずっと最深部にいたあんたが急に地上に戻ってきて、おかしいと気づかないとでも思ったかい?」

 初代の顔に狼狽の色が走り、地響きの音が地面から起こった。

「アンタは、ソヨウになら、あの椅子を預けても大丈夫だと踏んだんだろ。

大窟には今、ミクとソヨウしかいない。ソヨウだったら、ミクをうまく説得して二人とも脱出できると考えていた。だとしたら残念だったねぇ。ソヨウが、あの椅子に座った。この意味がわかるかい?もうアンタは用済みなんだよ。次の大窟は、ソヨウが支配する」

 初代は驚いた顔をした後、がっくりと項垂れた。

「ソヨウ……どうして……」


 私が手に力を込め、まさに喉に合口を突き立てようとしたその時、私の肩にゆっくりと手を置く人物がいた。

「ミクちゃん……」

「ヤコ?」

 私が振り向くと、目の前の老人――ヤコは言った。

「ミクちゃん。ようやくその時が来たみたい。ヤコは知ってるの。ヤコという存在が、初代にとって、最後の切り札だってことを――」

 ヤコはしわの刻まれた手で、私の持っている合口を祈るように挟むと、目を閉じて涙を流した。

「出会った時に、ミクちゃんが私に最初にかけてくれた言葉、覚えてる? ヤコの本当の力は『山彦』、ミクちゃんが私に贈ってくれた言葉を、そのままお返しするのが私の役目なの」

 頭の中で、社の樹のふもとで、泣いていた幼いヤコを思い出す。遠い記憶の中で、私は彼女に歩み寄り、彼女に声をかけようとしている。

 ――私はあのとき、何と言ったんだろう。

 ヤコは、その言葉を私に放った。そして、それは今の私にとっては、最も残酷な一言だった。

「私が、必ず、地上に送り届けてあげる」

「やめてぇぇ!」

 私は、咄嗟に、ソヨウに向かって手を伸ばした。

 あのような状態となったソヨウを残して、今更地上になど戻れない。

 一気に地上へと引き戻されていく私は、無駄だと知りながらも、必死で抵抗した。

 回転していく視界の中で、ヤコの声を聞いた。

「初代は、ヤコがまだ小さな芽だった時から、ヤコをゆっくりゆっくり、時間をかけて育ててくれた。だから、ずっとお礼がしたかったの。

 ヤコは、ミクちゃんにたいして、私が受けた恩しか返せない。だからこんなことしか、できなかったけど。きっと初代なら喜んでくれると思う。

 ミクちゃん、あなたが最後の希望だから、どうか、諦めないで」

 ――初代を、救ってあげて。

 まるで台風の中にいたかのような衝撃がやんで、ゆっくりと目を開くと、私はヤコと初めて出会った場所――大窟の社にいた。

 その時、私は、最初の大窟に来たときのことを思い出した。

「ヤコ、あなた、もしかしてあの時の――」

 私はいつだったか、ヤコに良く似た老人に会ったことがある。

 そのことを尋ねようとした瞬間、ヤコは少女の姿になり、ゆっくりと笑って、光の中に消えていった。

 私はかつてヤコと出会った証を確認するために、そっとポケットに手を差し入れた。


 初代の首に手をかけて、力を込めはじめていたサクヤは、ふと怪訝な顔つきになった。

 初代の椅子からひらりと降りると、何かを感じとろうとしているかのように遠い目付きをする。

 そして、イブキの元につかつかと歩み寄ると、イブキが持っていた紙風船を払い落とした。

 破れた紙風船の中から、クオン完全結晶でできたロザリオが転がり出た。

 サクヤはそれを確認すると、イブキのあごを掴んで、目を覗きこんだ。

「イブキ……やっぱりあんたは大した役者だよ。

 絶望がアンタから伝わってこないのは、おかしいと思ったんだ。

 まさか、紙風船にカムフラージュして、クオン完全結晶を仕込んでおくなんてね。そのロザリオをどうする気だったんだい?

 ほら、言ってごらん?」

 イブキは眉一つ動かさず、サクヤの方をじっと見つめていた。サクヤは苛立ちを募らせた。

「アンタは見ていたんだろう?」

 サクヤは嘲るように笑った。

「死にかけのロブが、やっとのことで差し出してきたクオン完全結晶――それに恐れて飛びのく私の姿をさ。

 だから私の唯一の弱点が、クオン完全結晶であることを知った。だとしたら、惜しいねぇ。それがわかったところで無駄さ。だって、ここにいる私は本体でも何でもないんだよ」

 イブキは、くくっと喉を鳴らして笑った。

「何がおかしいんだい?」

「サクヤ……もし僕を殺す気なら、一つだけ言わせてもらっていいかな?」

「おや……命乞いでもする気かい?」

「僕は自分が〈吹いた〉物が、どういう意思を持つかはその物に任せているから。別にチョークとして役割を全うしたいということなら、それはそれで構わない」

 ね、レイヴァン先生、とイブキは朗らかに笑った。

「ふざけるな! 昔から、アンタの態度は気にくわなかったんだ。アンタから殺してやろうか」

 サクヤが叫んだ瞬間に、地底の底で響いていた地鳴りが止んだ。

「サクヤ、お前の負けだ」

 初代と呼ばれたその男は、静かに言った。

「……何を言っているの?」

「俺が、開拓員になる人間を、どうしてあれほど厳しく選んでいたかわかるか。

 お前が、捕まえて餌にした人間が、どれほどの絶望を味わっても、なぜ立ち上がって生き続けることを選んだか解るか――希望を諦めないからだ。

 俺自身が、そういう人間だからだ」

 サクヤの表情が、苦悶にゆがんだ。

 そのサクヤの姿を気にする様子もなく、イブキはすっと立ち上がり、その場を去ろうとする。

「初代……イブキ……アンタ達、まさか……」

 初代は椅子から立ち上がると、サクヤの体をゆっくりと抱き締めた。

「サクヤ、逝こう。俺が一緒だ。俺はお前を確実に送るために、地上に戻ってきたんだ」

 苦しむサクヤが、最後に抵抗するかのように身をよじり、初代の腕に爪を突き立てたが、初代はサクヤの体を強く抱いたまま、天を見上げた。

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