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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
後編
33/36

ソヨウ

 ――ソヨウだった。

 ソヨウの顔を見た瞬間、私の心の中で塞がりつつあった穴が、またしても大きく口を開け始めた。その穴はかつてのように黒々と私の方を誘うように見つめている。

 私を視界に捉えたソヨウの顔に、最初に浮かんだ表情は、恐怖だった。そしてその直後、覚悟を決めたように、彼は口を弓のように引き絞った。彼がそうする理由を、私はよく解っていた。

 何故ならソヨウを見つめる私は、妹としてではなく、恋する男を追ってきた女としての顔をしていたからだ。私は、それをもはや隠すつもりはなかった。

「ミクニ。そろそろ来る頃だろうと思ってた」

 ソヨウはそういうと、何もない空間の中心に、ぽつんと一つだけ置かれた椅子の前で、ゆっくりと胡座をかいた。大窟の最深部は、どこから光が入るのかぼうっと浮かび上がるような真っ白な空間で、平坦な床がどこまでも続いていた。椅子はそれとは対照的に、細長く真っ黒で、まるで何かに描かれた絵のように立体感がなかった。

 私はゆっくりと前に進み出ると、ソヨウの隣に両膝を抱えて座った。何を話し出そうかと必死で考えていると、先にソヨウが口を開いた。

「ここに着いた時、実はここに、一人の人間が座っていたんだ。そいつが、教えてくれたんだ。お前がここに向かっていることを」

 その椅子に座っていたであろう人物――私はその正体を知っている。しかし、ソヨウの話を遮らずに彼の言葉の続きを待った。

「俺は、お前が怖かった」

 ソヨウは私の方を向いて言った。

「だから俺は、お前から逃げようとして、ここ大窟に来たんだ。でも、ここまで来てようやくわかった。本当はもっと早く、お前の心と向き合っているべきだったんだ。俺がどんなに手の届かないところに逃げても、お前は絶対に追ってくる。まさか大窟の果てまで追ってくるとは思わなかった」

「お兄ちゃん――」

 私は頭の中でまとまっていない考えをただ吐き出すように口を開いた。

「大窟でいろいろなことがあって、私の想いは、家族に抱くそれとは違うんだって気づいたし、それが許されないことだと解っていたけれど、どうしても諦めることができなかったの」

「ミクニ、お前の気持ちは受けとめよう。それでも、俺の心は変わらない。俺はお前のことを、ただの妹としてしか見れないんだ。俺は、お前に何をしてやれる?」

(ああ、ソヨウが困っている。あの優秀で、完璧な存在であったソヨウが、私という存在を持て余している)

 その哀れみに満ちた表情を見ているだけで、私の心は強く傷んだ。しかし、痛みと同時に快感が訪れていることを私は否定できなかった。

 この世界でたった一人、ソヨウという存在だけが、まるで石に名を刻むように、私の魂に消えない傷をつけていく。しかし、私は、自分が受けたその傷を癒す気などない。

 むしろもっとひどい出血をして、最後に私の命を奪いさる致命的な傷となればよいのにと願わずにはいられない。

 私は身を切る痛みと恍惚の中でうっすらと微笑んだ。

 ソヨウができることはたった一つ、そんな私から逃げ続けることだけだ。

 残された私は、ソヨウに対する依存と身を切り裂くような孤独感をさらに強めて、そこから逃げるためにソヨウを追って生きるしかない。きっとこの身が滅びたとしても、地獄に落ちたとしても、私はソヨウを追跡者のように追い続けるだろう。私は、肩ごと大きく息をついた。

「お兄ちゃんはずっとそのままでいい」

 ソヨウは、はっとした表情になった。

「私は、お兄ちゃんを追いかけるのをやめない」

「わかった」

 ソヨウは膝に両手を置いて、両肩に力を入れると、ゆっくりと立ち上がった。私も立ち上がって、ソヨウと向き合った。

 その手には、私が持っている合口よりも、二刀身ほど長い、虹色に光る刀が握られていた。

 ――それは、〈二重虹〉。

 かつて、イブキが打った刀。魂を奪うために生まれてきたような、イブキでさえ、吹くことをためらう刀だという。

 その刀を見て、私も反射的に、腰に下げていた〈虹〉を、手に取った。

「ミクニ、ごめんな。ここが行き止まりだというのなら、俺は活路を、自分で開くしかない」

 ソヨウは、じり、じり、と間合いを詰めてくる。対する私自身は、人と戦った経験などない。力も強く、器用なソヨウと戦ったならば、私はその刀によって、あっけなく切られるだろう。

(それでも、ソヨウに切られるならば、私は後悔しない)

 私は、虹を構えたまま、ソヨウの攻撃が、私の命を奪う瞬間を待った。

「俺はここで守りたいものができたんだ」

 その言葉を聞いて、私はふと違和感を感じた。ダンスホールで起こったことを、ソヨウは知らないのだろうか、という疑問が。

「お兄ちゃんは、ダンスホールで起こったことを、知らないの?」

「……何の話だ」

「皆、死んでいたの。サアラも。ダンスホールで、亡くなっていた」

「……嘘だ、嘘だろ」

 私は、ソヨウのことを疑っていた。しかし、その言葉に嘘はなさそうだった。ソヨウは、本当にサアラが死んだことを知らなかったようだ。私は、サアラがそのあと、私たちを襲ってきたことを伝えるべきかを悩んだ。

「話が違う……初代に協力すれば、開拓員は、全員解放できると、そう聞いていたのに」

 ソヨウは、刀を取り落とした。二重虹が地面にぶつかる音が、最深部の壁に反響して響いた。

「お兄ちゃん、私は、お兄ちゃんが皆を殺したんだと、思ってた。でも、違うんでしょう?」

「当たり前だ! どうして俺が、サアラを殺す必要があるんだ? サアラのお腹には、俺の子供も……」

 ソヨウの顔は蒼白になり、かつて自信に満ちていた私の兄とは、もはや別人のようだ。

「俺はここで永遠に、サアラと共にいようと思う。もし初代に会ったら、伝えてくれるか。約束を守れず、すまなかった、と」

 ソヨウはそういうと、目の前の椅子に素早く腰かけた。すると、その目が突然、大きく見開かれた。地面から延びた糸が、絡み付くようにソヨウを飲み込んでいく。私は慌てて、ソヨウの手を強く握った。

 それは、私が何度もほどいたことを後悔した手。命を懸けて、この大窟まで探し求めてきた、たった一つの希望だった。

(今度こそ――私はこの手を離さない!)

 私は自分の手に、渾身の力を込めた。しかし、私が掴んだ手は、ソヨウによって、あっさりと振りほどかれた。私が握っていたその手の中に、何か冷たく、固いものが残る感触がした。

 それは、サアラの手にあったものとそっくり同じ形をした、結婚指輪だった。

「ソヨウ!」

 私は、ソヨウに目の前で動くその糸状のものに向かって合口をふるい、断ち切ろうとした。

 自分に襲い掛かる糸と対峙しているうちに、あっという間に白い糸状のものに包まれたソヨウの体は、繭のような固まりになった。

「ソヨウ! ソヨウ! 行かないで、お願い!」

 大声を出して髪を振り乱しながら、私は必死にソヨウにまとわりつく糸に向けて合口をふるったが、 すでに私の声は耳に届いていない様子だった。

 それは私を襲ったものとはすでに異なる感触で、固く閉ざされたそれに私の合口は一切の傷をつけることができなかった。

「ソヨウ!私も――」

 ソヨウをどうしても救えないことに深く絶望した私は、自分自身の命を絶つために、合口を逆手にもって首に押し当てた。


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