魂を奪う刀
「ミクちゃん、どうする気?」
「地上に戻るの。イブキに聞きたいことがある」
そう言い放つや否や、私は素早く鎖を使って移動し、地上に到達した。
椅子の間にはサクヤとレイヴァンがおり、心配そうな眼差しで、横になっているロブのことを見守っていた。
「ミク……」
二人は、私の突然の帰還に目を丸くした。
私とヤコは、何も言わず、ロブの元へ駆け寄った。体に包帯が巻かれたロブは、目を閉じている。顔面は蒼白になっていたが、なんとか止血され、呼吸は安定していたようだった。
「さっき、ほんの少しの間だけ、意識を取り戻したんだ。命には、別条ないと思う」
私たちは、そんなレイヴァンの言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろすと、扉の外に飛び出した。
そこには私が想像していたとおり、黒い法衣をまとったイブキが立っていた。彼が呼ばれたということは、一時は、レイヴァン達も最悪のケースを想定していたということだろう。私はその姿を見て、心からロブが無事であったことに、安堵した。
イブキは、その手に、ロブから受け取ったと思われるクオン完全結晶を持ち、何やら加工を施している。
「来たね」
イブキは、作業をしながら、初めて会ったときと同じ顔で、妖絶に笑った。まるで、私が来ることをすでに予期していたかのような口ぶりだった。
「ヒューが、石に戻ってしまったの」
その時、イブキがこちらをちらりと見た。その隙を逃さず、私は彼に畳みかけるように言う。
「私の魂を奪って、どうするつもりだったの?」
イブキは小さく舌打ちすると、石を脇に置いて、腕を頭の後ろに組んだ。
「あーあ、ヒューがばらしちゃったのか。最初から最後まで、本当に役立たずだったなぁ、あいつは」
その時、私は彼に怒りを感じた。顔に向かって血流がせりあがってくる。
「ヒューのことを、悪うのはやめて。彼は、あなたをかばって……」
「僕をかばうだって?」
イブキは、眉を上げて、私の言葉に反応した。
「僕はかばってくれなんて、一言もあいつにお願いした記憶はないね。第一、あれは僕が〈吹いた〉作品だよ。あんなろくに役割も全うできなかったものを、君は尊ぶつもりかい」
「ヒューを、まるで物みたいに言うのは、やめて」
「物体でなかったら、何だというんだ。人だとでもいうつもり?」
(人……ヒューは、人だったのだろうか)
私は、返す言葉を失った。完全にイブキのペースに飲まれている。
「お願い、ヒューを元に戻して」
「無理だね」
イブキは、きっぱりと言った。
「諦めてくれ。一度失った魂は、もう戻らない。君の言葉を借りるなら、『ヒューは物じゃない』。君だって、気づいてるんだろ」
イブキは、そう言いながら、もう一度、クオン完全結晶を手に取った。私は、自分の体から、力が一気に抜けていく。それは、心に灯っていたわずかな希望が、みるみる失われていく感覚だった。イブキの言う通り、何となく気づいていたのだ。しかし、この耳で聞いて確かめるまでは、その事実を、信じたくなかった。
「サアラの結婚指輪を吹いたのは、あなたね?」
「……ああ」
「どうしてそんなことを?」
イブキは、乾いたように笑った。
「僕の主が、僕にそう命令したからさ」
「……主?」
「主……って、誰?」
イブキは大きく息を吸い込んで、吐いた。その吐息の音に交じらせるように、彼は一言だけ私に告げた。『言えない』と。
「まさか……ソヨウの指輪も……」
「どうだったかな。忘れた」
それを聞いて逆上した私は、合口を取り出して構えた。
「ふざけないで。ソヨウにもしものことがあったら、私は……」
その時、私に差し出すように、イブキは、白い首を上にあげた。そして、首の血管の浮き出た部分を指で指し示す。
「前にも言っただろ。僕のことが邪魔になったら、僕を殺してくれって」
「やめろ! イブキの挑発に乗っちゃいけない」
様子を見に来たレイヴァンが、私に声をかけた。しかし私は、その言葉を無視して、首にあてがう刃先に、ますます力を込めた。
「さぁ、早く切れ。そして、僕を解放してくれ」
イブキは楽しそうに、薄笑いを浮かべている。私がまさにイブキの首を掻き切りかけた時、ヒューの言葉が頭をよぎった。
(イブキを、憎まないでくれ)
その声と同時に、私の頭の中はほんの少しだけ冷静を取り戻した。イブキの居直ったような態度に、どこか違和感を感じる。
(ここで彼を切ったら……何が起こるの……)
私の瞳に走ったわずかな動揺を、イブキは見逃さなかった。イブキの口許が歪み、私は、この瞬間もまた、イブキにとって望んでいた展開であるように思えた。
「ミクちゃん!」
後ろからしゃがれたヤコの声がした。もはやその声は、かつての若々しいヤコではなく、私の祖母を思わせる年老いた人のものだった。
「離してあげよう、ね?」
私はかつてその言葉を、どこかで聞いた気がしたが、もう遠いことのようで、思い出せなかった。しかし、ヤコの言葉によって、私自身も、イブキを殺す意思などもはや無いのだということが、はっきりと自覚できた。彼を殺すことをためらった時点で、私はすでに、彼との駆け引きに負けたのだ。私は合口を持っていた腕を、ゆっくりと下ろした。
「イブキ……あなた、大窟の最深部で、何を見たの?」
「また、その話か」解放された彼は、地面に足を伸ばして座った。クオン完全結晶を少し磨き、表面に、ふっと息を吹きかけた後、口を開く。「僕は何も話す気、ないんだけど」
「もしかして、あなたの主が、最深部にいるの?」
イブキは口をゆがませて笑った。そして、首を動かさずに視線だけをレイヴァンにちらりと向けた。私はその視線を追いかけて、レイヴァンの方を見た。レイヴァンは、私たちの様子を、固唾を飲むように黙って見つめている。
その時、いかずちのように、私の頭に電撃が走った。これまでの話と、大窟で集めてきた情報が、まるで濁流のように私の思考に流れ込んでくる。
『これで三人は、集まったな。待機してるやつはもういないから、あと一人はスカウト待ちか――』
チームは最小四人で行動する。私たちが入ったことで、大窟に待機メンバーはいなくなったという。
『そういえば、開拓員って、全部で何人いるの?』
『今は、他に九人だったかな。俺らを入れれば十三人になる』
大窟にいるメンバー、つまり、地上にいるレイヴァンやサクヤ達を除く人物は、全部で九人いるという。
犠牲者となった、ヤンとフリード。
ダンスホールに倒れていた四人の死体。
最後に現れた、サアラ。そして、ソヨウ。
――これで、八人。一人、足りない。
『初代は、まさに最深部に到達する直前、というところで、消息を絶った』
「もしかして、初代……」
私がその言葉を口にした瞬間、大きな地響きとともに地面が大きく揺れた。そのとき、レイヴァンの後ろに立っていたサクヤが、ぽつりと言った。
「最深部の扉が開いた……」
「うん、誰かが最深部にたどり着いたみたいだね……ソヨウかな?」
イブキの言葉に反応した私は、彼の意図に気づいた。
(もしかして、ソヨウが、最深部にたどり着くための、時間稼ぎだったというの?)
「僕はもう、君を止めることはできない。早く最深部に行って、真実をその目で確かめるんだね」
イブキは、首をすくめてそう言った。
「ソヨウ……」
私が無意識に口にした名前に、ヤコはふと顔をあげて反応すると、私の手を取り、ぎゅっと力を込めた。
「大丈夫、私が一緒だから」
私のチームは、ヒューとロブを失い、ヤコの予言通りの二人となった。彼女が言うことが本当ならば、私は必ず最深部にたどり着くことができる。
――大窟に行くのは、おそらくこれが、最後になるだろう。
ヤコと共に大窟の奥に飛びながら、私は長い大窟の冒険の、終焉を感じていた。
地底に着いた私たちは、ヒューの前に立っていた。彼は、変わらぬ姿で私たちを出迎えた。これからもずっと、ヒューという存在はここにいる。しかし、かつての楽しそうな声を聞くことは、もはやできない。
私は、そんなヒューの様子を見ないようにして、首からゆっくりと鎖を外すと、横穴から大窟の最深部に向かって、早足で歩き始めた。
「ヤコ、さっき、あなた何を言いかけたの?」
「ミクちゃん、黙っててごめんなさい。ヤコはね、大窟の社の精霊なの。ある人から言われて、ミクちゃんを最深部まで送り届ける役目を持っている。役目を終えたら、ヤコもお別れすることになる。だから今のうちに言っておくね。どうもありがとう」
その言葉と共に、私の目からはまたしても、枯れたと思っていた涙が溢れはじめた。涙を振り払うように前を向いて進み続ける私の後ろを、幾羽もの折り鶴がついてきた。しかし、元々千羽あったであろう、その折り鶴の数は明らかに減ってきていた。
「ねぇ、ヤコ。私はあなたと別れたくない」
私は足を止め、手で顔を覆った。
「私は、ここで、どれだけのものを失えばいいの。私は、たった一人の人に会うためにここに来ただけなのに、どうしてこんなに苦しい思いをしなければならないの」
「ミクちゃんは何も失ってないよ。あの時、ミクちゃんに声をかけてもらったときから、まだ小さな子供だったときから、こうなることはわかっていたから、ヤコには覚悟ができてる。自分で決めたの、私はミクちゃんの役に立ちたいんだって。きっとロブや、ヒューが、もしここにいたら、きっと同じことを言うと思う。誰もミクちゃんのせいなんかにしない。自分で決めたことなんだよ、って」
彼女はそう言いながら、私の手を軽く引いた。
「もしここで、ミクちゃんが進むのをやめたら、それが一番ヤコには辛い。お願い、ソヨウに会って」
大窟の最深部までの道は、今の私を象徴するかのように、複雑に入り組んでおり、私は、もはや来た道を戻れなくなっていた。私は不安げに後ろを振り向いた。
「私が、連れていってあげるから、心配しないで。守りきれないと感じたら、すぐ戻るから」
「ヤコ……」私は、その言葉に不思議な響きを感じた。
「前にどこかでその台詞を聞いた気がする。もしかして、以前あなたとどこかで会っているかしら?何かデジャブのようなものを感じる――」
そんな話をしながら歩くうちに、初めは矍鑠としていたヤコも、徐々に歳を取り足並みが揃わなくなりはじめた。
「ねぇヤコ、さっき言ってた、あなたに、私を最深部に連れていくよう依頼した人は……初代なの?」
ヤコは、その問いには答えなかった。
ついに私がヤコの手を引く形になり、そして最後の生き残りと思われる鶴が、地面に落ちて最後の役割を全うしたとき、私たちはついに最深部にたどり着いた。
その奥には、男性が佇んでいた。後ろに人の気配に気づいたその男性は、ゆっくりと振り向いた。