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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
後編
30/36

疑念

 レイヴァンが紙の上に素早く言葉を書き綴っていく。

『サクヤが言うには、開拓員達の匂いが、突然消えてしまった、というんだ。しかし、僕も確かに、君のプレートを通じてサアラの姿を見た。すると、彼女はすでに死んだ人間か、あるいは別の何か、ということになる』

 心がみるみる冷えていくような、悪寒がした。そのプレートを、無言でヤコとヒューに手渡す。ヒューとヤコもその文字を見て、事態を理解したようだった。

 ヒューは、ダンスホールをぐるりと見まわし、丈夫な壁を見つけると、そこに向かって杭を打ち始めた。素早くロープを引っかけると、ロブが落ちていった穴に垂らす。

「ヒュー、ミクちゃんと先に行って。私は大丈夫だから」

 私が口を開く前に、ヒューは無言で頷き、私の体ごと、穴に向かって飛び込んだ。かつて、ヤン達を弔うときにそうしたように、ヒューはうまくローブを操り、私を下まで送り届けた。

「ヤコ、今から行くから待ってろ!」

 ヒューは頭上で待っているヤコに声をかけた。しかし、「大丈夫、ヤコは一人で行けるから」と言う声が頭上から聞こえると、まるで天使を見ているかのように、空にふわりと浮いた状態で、ヤコはゆっくりと下に降りてきた。

「ヤコ、君はいったい……」

 ヒューは、ヤコの様子にあっけにとられているようだった。私もその光景に、声を失っていると、すでに若さを失った彼女は、顔に刻まれたしわを少し緩ませて微笑んだ。

「隠していてごめんなさい。ヤコは……」

 ヤコの言葉を遮るように、突然背後から、パアンと大きな破裂音がして、私達は身をすくめた。

「今度は……何?」

 おそるおそる音がした方向に進むと、地面に横たわるサアラの傍らに、粉々になった石のようなものが見えた。それは粉々になった後も、銀とも黒ともつかぬ、不思議な光を保っていた。私がそっとその破片をつまみあげると、少しだけ残っていた温もりがみるみる失われていく。

「さっき、一瞬光って見えたのは、これか」

 ヒューが言った。

「クオン完全結晶の指輪だと、思う」

「指輪?」

 私はその光る指輪を見た時、直感的にソヨウのことを思った。

「ソヨウ……」

 私がその名前を呟いた瞬間、ヤコははっと顔を上げたが、ヒューは動かなかった。

「ヒュー?」私はヒューに声をかけたが、彼は反応を返さなかった。「ヒュー!」

 私がダンスホールに響き渡る大声で彼の名を呼ぶと、彼はようやく我に返った様子で、「ごめん!ぼーっとしてた」と返事をした。


 ――このとき、ヒューの様子がおかしいことに、私がもっと早く気づけていたら。

 もしかすると、これが私にとって最後の、運命の分岐点であったのかもしれない。


 私は、今にも、起き上がってまた襲ってくるのでは、という恐怖と戦いながら、サアラという名の、私の義理の姉となった女性の顔を、初めてまっすぐと覗きこんだ。先ほどまで、無表情で短剣を振り回していたその女性は、今は穏やかな顔をして、眠るように死んでいた。

 ――彼女はすでに死んだ人間か、あるいは別の何か。

 じわじわと広がる不安に、心が押しつぶされそうになりながらも、その女性に異変はないかと全身にくまなく目を凝らす。戦いの時には素早い動きに気を取られて気づくことができなかったが、どうやら、致命傷は、胸元あたりにある、大きな傷であるようだ。


 ――ダンスホールで、何が起こったの?

 ――ソヨウはどこにいるの?

 ――大窟の最深部には、何があるの?


 私はその時、大窟の奥に進むことを、初めて怖いと思った。大窟で複雑に絡み合った謎が、私の頭の中で、一つの結論に向かおうとしている。それは、深海に垂らされた釣り糸のように、食いつくものを息をひそめて、待ちうけているかのような嫌な気配。その正体が近づくにつれて、私の頭はそれを見ることを拒否し始めていた。

(ソヨウ)

 私は心の中で呼びかけた。

(今の事態を起こしたのは、あなたなの?)

 ソヨウを信じたい気持ちと、疑惑が葛藤しながら、私の胸を締め付ける。

 そのときふと、サアラの体の先にふわりと漂うものを見つけた。それはイブキが折ってくれた千羽鶴だった。

(イブキの鶴がどうしてここに?)

 その折り鶴は、群れを作りながら、奥の壁近くに羽ばたいて消えていった。その場所を、よく目を凝らして見てみると、そこには小さな横穴が掘られているようだ。

 私は直感的に、その穴を見て、ソヨウが掘ったものだ、と気づいた。ちょうど、ソヨウぐらいの人物がかろうじて通れそうな隙間に見えたからだ。

「あの折り鶴達は……道を教えてくれてるの?」

「行こう。ここにずっと留まるわけにはいかない」

 ヒューは私の手を引っ張った。またしても何かに取りつかれたかのような彼の動きに、私は戸惑いつつも、つられて歩き出したが、数歩もたたずに立ち止まった。

 私の本能は、すでに先に進むことはできない、ということを私に告げていた。足はすでに、動かない。

「嫌……行きたくない」

「ヒューの言うとおりだよ。ここにいても、どうしようもない。ミクちゃん、急ごう」

 ヤコも私の手を取ると、ヒューと同じように私を引っ張った。

「嫌!!」

 私が駄々をこねた子供のように二人に抵抗すると、私の頬を、涙が伝い落ちた。すると、折り鶴がどこからか羽音を立てて飛んできて、その羽で私の頬をそっと撫でた。私の涙は、折り鶴の羽にすぐに吸収された。

「ロブの犠牲が無駄になる。俺たちは先に進まなきゃいけない」

 ヒューは、そう言って私の手を強く引き続ける。二人の引っ張る力に負けそうな私が、じりじりと横穴に近づくにつれて、地面が大きく揺れはじめた。私はその地響きに負けないぐらいの大声を出した。

「どうして二人は平気なの? あんなに血を流して、たくさんの命が失われて……それでも前に進もうなんておかしい。ここは異常よ!」

 その時、私は、はっと気がついた。私が叫んだその言葉は、かつてレイヴァンがイブキから聞いたものと、完全に一致していたからだ。

(イブキはここで、何に気づいたの?)

 私は、混乱した頭で、必死にその言葉の意味を考えた。

 いつも超然としている彼も、この場所を異常だと感じたきっかけがあったに違いない。

 しかし、そんな自分の思考に気を取られていた私は、天井からぱらりと落ちてきた岩石の欠片に気づかなかった。

「ミクさん、危ない!」

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