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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
後編
27/36

まなざし

 『天国』に降り立った直後に、心配そうな目で、ロブがちらりとこちらを見た。ヤコと私が、何を話したのか――彼は気になっているのだろう。

 しかし、私はそれを彼に伝えることはできない。それを伝えてしまうことで、本当のことになってしまうことを、私は恐れていた。

 ヤコは凛とした態度で、私の横に立っている。その表情はすでに、覚悟を決めている様子だ。

 ロブは袋から扇のようなものを取りだし、足元に漂う白いふわりとした霧を払った。

 霧の中には、銀色に光る水面が隠されていた。前回危うく、私が足を踏み入れかけていたその池は、有毒なガスを生み出す可能性があるということだった。

 ロブはしばらく、周囲を仰ぎまわって霧を払いながら、その岸を歩き回って何かを探している様子だった。

「あった!」

 彼はそういうと、私たちに手を振り、近くまで呼び寄せた。

 それは木でできた、小さな筏だった。

 四人であればギリギリ乗れるであろう、という大きさだったが、ロブは少し不安そうにメンバーの顔を見た。

 ロブの心配は、私にもよくわかった。彼の体は、人よりも一回り大きい。ヤコや私は小柄な方だが、四人が乗って筏が浮くかどうかは、判断がつかなかった。

「ちょっと待った。先に、試しに乗らせてもらえないかな?」

 ヒューがそういうが早いか、筏に乗り込んだようだった。筏は、水面上で大きくかしぎ、端が一気に沈んだ。ヒューの仮面が、ふらふらと左右に揺れる。

「駄目だ。俺はこれには、乗れない」

「どうする気だ。これに乗らないと、対岸にはいけないぞ」

「大丈夫、泳いで渡るよ」

「バカ、この場所は有毒ガスがあるって言ってただろう。死ぬぞ!」

「んー、たぶん俺、ここを泳いだことがあるんだ。だから死なないと思うよ」

 ヒューは、呑気な声を出すと、私の方を向いた。

「ミクさん、今はなりふり構っている場合じゃない。先に行ってるフラグシップチームに追いつかないと、だろ?」

 そういうが早いか、派手な水音を立てて、ヒューが池に飛び込んだ。

 ロブと私は、慌てて池の淵に駆け寄り、その様子をのぞき込んだが、水の波紋の様子から、かなりのスピードで、ヒューが先に泳いでいく様子が解った。

 私はしばらくその様子を見つめていたが、特に水面に変化がないのを見て、覚悟を決めた。

「今は、ヒューを信じるしかない。行きましょう」

 筏に乗り込んだ三人は、ヒューの姿を見失わないよう、必死にこぎ始めた。

 私はずっと心に不安な気持ちを抱えながら、水面を眺めた。ヒューの姿は見えないが、水の音はどこかから聞こえてくる。

「あの様子なら問題なさそうだ。軍にいりゃ、十キロやそこらは平気で泳ぐさ」

 ロブが言うには、ヒューには特に異変がないらしい。

 その時、私はふと気になって、ロブに尋ねた。

「ヒューって、ロブにはどんな風に見えてるの?」

「どんな風って言われてもなぁ……」

 ロブは筏を漕ぎながら、ゆったりと言った。

「いつも楽しそうにしてるな。見てて飽きない奴だよ……なぁ?」

 ヤコも、口を開いた。

「暇な時は、いつも大道芸の練習をしてる。努力家なんだよ」

 確かに、彼はイブキの家でも、大窟の中でも、暇を見つけては何かの練習をしていた気がする。

「あと、顔が綺麗だな。サクヤも美形だと思うが、あいつはちょっと、作り物じゃないかと思うぐらい、人間離れしてる顔だ。大道芸を観てる客の半数は顔を見てるんじゃないかと思うよ。……急に、ヒューのことを聞き出そうとして。一体、どうした?」

「私には、このまま、ヒューのことが、ずっと見えないままなのかなと思って」

「俺に、サクヤが見えないことと、関係があるのかもな? しかし、何か参考になる話はできるだろうか……」

 ロブは、ゆっくりと棒で筏を漕いだ。

「あのカウンターにあった、ベルがぶっ壊れてるのかと思って、修理でもしてやろうかといじりだしたら、サクヤの声が聞こえたんだった。思い出した」

 ベルが鳴らないから、修理をしようなんて、いかにもロブらしい発想だった。

「あの頃から、サクヤとの会話はあんな調子でな。『アンタ、ベル壊したら弁償してもらうよ』って、感じだ。声のする方を見ても誰もいないんで、『これ、かけてみな』と言われて、渡されたゴーグルで、サクヤの姿がようやく見えるようになった」

 ロブは、ゴーグルを外しながらそういうと、私の方を振り返る。

「試しに、ヒューが見えるか、かけてみるか?」

 私は言われたとおり、ゴーグルをかけると、水面にじっと目を凝らした。しかし水面に変化はなく、ピエロの顔が水面を滑るように移動している様子しか解らなかった。

「あ、言い忘れてたが、あいつ今、裸だからな」

 私は慌てて、ゴーグルを外した。

「先に言ってよ!」

「はっはっはっ。どうだ、見えたか?」

「見えません!」

「そうか……残念だな」

 ロブはゴーグルを受けとると、頭に装着しなおした。

「あいつはけっこう、お嬢ちゃんのことを良く見てるんだがな」

 私は、その一言で、胸を撃たれたかのように、衝撃を受けた。

「そうなの?」

「ああ。俺やヤコなんかよりも、お嬢ちゃんの事を一番気にしてる。視界に入らないんだから、気づかないのも無理はないが」

 そういうと、ロブはふと遠い目になった。

「おお、対岸が見えてきたな」

 ヒューはいち早く対岸にたどり着いており、ピエロの仮面が佇んでいた。その顔は相変わらずの泣き笑いで、本当の表情はわからない。

「手を振ってるよ」

 ヤコがそう言いながら手を振ったので、私は心の霧を振り払うように、ヒューに向かって思い切り手を振った。


 対岸につくと、ロブが信じられない、というようにまじまじとヒューを観察していた。

 ヒューはロブから水を受けとると、体をすすぎ落としていた。水が流れるたびに、体の輪郭が少しだけ見える。ヒューはそのことを、あまり気にしていないようだったが、私はしばらくの間、彼から視線を逸らすことにした。

「おい、お前、いったいどういう体をしてるんだ?」

「俺も解らない。だけど……大窟の奥にいくにつれて、何だか変なんだ。大切なことを思い出しそうな、そんな気がする」

「記憶が戻りそうなの?」

「そうかもしれない」

 ヒューはそういうと、ずぶ濡れになったピエロの仮面を振って水を切った。

「俺はさ、別に開拓員になんて、興味なかったんだよ。通行人相手に、芸を見せて、笑ってもらえれば、それでよかったんだ」

 ヒューが、唐突に話し出した。

「だから、イブキが言ってた支配者? みたいなことを聞いても、俺には関係ないな、ぐらいの感想しかなかったんだ。でもさ、俺大窟に来る前の記憶がないんだ。だとしたらおかしいんだ。だって」

 そういうと、ヒューはためらうように少しだけ言葉を切った。

「なんか俺、ここの記憶があるような気がする。この景色をうっすら見たことがあるし、この池も何だか泳いだような気がするし」

「それって、デジャブじゃなくて? 一度も見たことがないけれど、体験したような記憶があるっていう」

 私がそういうと、ヒューは首を振った。

「どうだろう。俺も、自信がない。記憶をなくす前に、何か悪いことを企んでたらどうしよう? 俺自身がもうそのことを思い出せないけど」

「たぶん、その心配はないと思うがな。何となくだが、お前は昔から、そんな感じだったんじゃないかと思うぞ。ここを泳ごうなんて、記憶をなくす前からバカだったとしか思えん」

 ロブは、ヒューの心配を軽く受け流すようにそういった。

「イブキのあの発言は、俺達を疑心暗鬼にさせるのが目的だったんじゃないか?」

「そうだね。私はヒューのことを信じてるから、ヒューも自分のことを、もっと信じてみたら」

「ありがとう」

 ヒューはそう言いながら、私の手をそっと握った。

 大窟の中で、迷子にならないようにと、ヒューと手をつなぐことは日常茶飯事だったが、私はそのときだけ、なぜか心がそわそわして、急に落ち着かない気持ちになった。

 ヒューはその手を誰にも見えないよう後ろ手に隠すと、ピエロの仮面の顔で、じっと私の顔を見つめた。

 ――私は、どうしてヒューとの距離感の取り方を失敗してしまうのだろう。

 私は顔が紅潮したのを感じて、慌ててその仮面の奥の、空間から目を逸らした。

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