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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
中編
25/36

最深部を知る者

「レイヴァン、あなたと少し、話がしたいんですが。残っていただけますか?」

 私が喉から声を絞り出すと、「もちろん」と言いながら、レイヴァンは車椅子を押して前に進み出た。

 ロブたちは顔を見合わせてうなずくと部屋を出ていこうとした。サクヤは最後まで、心配そうな顔を浮かべていたが、ロブに促されて肩を抱かれたまま、外へと出て行った。

 私は、全員が外に出たことを確認すると、レイヴァンに、前回話を聞かず、急に飛び出してしまったことを謝罪した。

「ああ、そんなこともあっただろうか。すっかり忘れてしまったよ。そんなことは、気にしなくていいんだ。むしろ、君の体が心配だ。話をしても大丈夫なのか?少しでも休んだ方が……」

 私はそれを受けて、少しだけ笑った。

「もし私が死ぬのなら、なおのこと急いで遺言を残しておかなきゃ」

「……不思議だ。さっきより少し、元気を取り戻しているように見えるんだが」

「イブキも言っていたでしょう。こんな状態に自分を追い込んだのは、私自身なんです。レイヴァン、私に、手を貸してください」

 レイヴァンは不思議そうに私の目をのぞき込んだ。

「僕にお手伝いできることなんてあるのかい?……いや、それは愚問だな。僕にできることは一つしかない」

 レイヴァンは車椅子を押して、話しやすい位置に寄せた。

「僕が知っていることなら何でも話そう。それで君の力になれるというなら光栄だ」

 イブキの話を聞いている時は動揺しているように見えたレイヴァンだったが、すでに元の調子を取り戻しつつある。

「イブキが喋っている時に、あなただけは何かに勘づいているような表情をしていました。それについて話をお聞きできますか?」

 私は、レイヴァンに一番に話を聞くべきだと確信していた。彼は、研究家だけあって客観的な視点を常に持っており、自分自身が疑われる立場であることも重々理解している。

 だからこそ、次に彼が言いそうなことも予想がついた。

「先に聞いておくけど、仮に僕が黒幕だとしたらどうする気だい? 嘘をついて君を騙すかもしれないよ」

「仮にそうなら、なおのことあなたと手を組みたい。それに、もしあなたが何かを企んでいるのだとしたら、正直イブキがカマをかけただけで、簡単に尻尾を出すような方には見えないんです」

「君は僕を買い被りすぎだ。本当のことを言うとね、僕には、悪巧みができるほどの頭脳も度胸もないんだ。まぁこうして、正直者を演じるのも、作戦の一つだと思われてしまえば、それまでだがね」

 このときレイヴァンは初めて、この状況を面白がっている、というような不謹慎な表情をした。その顔は、ほんの少しだけイブキを思わせる、子供のような純粋さがあった。

「一つ気になっていたんだが……ロブが話していた、イブキの合口の話は本当なのかい?」

 私は、ロブの話がおおむね正しいことを伝え、イブキから譲り受けた合口をきっかけに、自分の力が発現したことについて、自分の視点で伝えた。それを聞いて、レイヴァンは目を輝かせると、見るのを待ちきれないと言わんばかりに、手をこすり合わせた。

「それは素晴らしい。サクヤもさぞ驚いただろうな。僕もぜひ、間近で見てみたいものだ。もしそれが事実なら、大窟の開拓は、ちょっとお遣いに行くぐらいのレベルで実現可能になるだろう。ミクニのチームは今後、初代にも勝る偉業を成し遂げられるに違いない。やはり実地での調査に勝るものなんて、どこにもないんだ。ああ、もしこの足が自由に動けばと願わない日はないよ」

 レイヴァンは心底悔しそうに、足を拳で叩いた。

「レイヴァン」私は切り出した。「一つ、聞きたいことがあるの」

 レイヴァンはそこで、ふと真顔になった。

「ああ、僕に答えられることなら、なんでも答えるよ」

「なぜ、イブキはあれほどまでに疑われなければいけないの?」

 すると、レイヴァンは顔を伏せた。そして、しばらく口をこすりながら次に話す言葉を決めかねているようだった。それはまるで、チェスで次の大事な一手を考えるかのような緊張感があった。

「僕の口から早く伝えておかなかったのは、僕のミスだ。しかし、できれば、このような重要な話はイブキ自身の口から告白してほしかった……」

 レイヴァンは頭を抱えて、首を横に激しく振った。そしてレイヴァンは、覚悟を決めたように私のほうをまっすぐ見据えた。

「イブキは、大窟で多くの人を殺している」

 背筋にすうっと一筋の風が通り抜けた。それは、最初にイブキに出会った時に感じた感覚によく似ていた。それと同時に、私がイブキに感じていた恐ろしさや、レイヴァン達の態度など、イブキに関するあらゆる違和感を説明するに十分だった。

 ――正直、イブキに対して余計な先入観を与えたくない。

 レイヴァンのその判断は、おそらく正しかったのだろう。私自身がその情報を先に知っていたら、私自身も真っ先にイブキのことを疑っていたに違いない。

 レイヴァンはゆっくりと言葉を選びながら、イブキについて語り始めた。

 イブキもかつて、私のようにサクヤが見える開拓員の一人として、大窟の下層に到達するほどの優秀なチームの一員であったらしい。

 しかし――レイヴァンが言うには――まさに彼らが所属しているチームが、今のフラッグシップチームのように、最深部に到達しようという時、イブキは当時開拓員として大窟にいた、三十人以上もの人々を次々に殺した。

「そのとき、止めに入ったのが僕だ」

 レイヴァンはそういうと、そのときのイブキの様子を詳細に語りだした。

 イブキは、刀を持ったまま、血だまりの中で放心したように立っていたらしい。レイヴァンが後ろから羽交い絞めにし、もみ合っているうちに、二人はその足元に大きく開いていた穴に転落した。

「二人は、サクヤが引っ張りあげてくれて、なんとか一命をとりとめた。しかし僕の足はそのときにはもう……動かなくなっていた」

 レイヴァンはひざの上で、手を組んで言った。

「あの高さから落下して、イブキだって無事では済まなかったはずだ。彼は平然としているけど……ね」

「イブキはなぜ、そんなことをしたんですか」

「誰にも彼の口を開かせることはできなかった」

 レイヴァンは言った。

「僕ともみ合っているときに彼は『ここは異常だ』と一言、つぶやいたきりだ。それ以来、ずっとあんな調子で、普段はなるべく僕たちも、彼と関わらないようにしているんだ」

 あんな調子――きまぐれで、どこか挑発的なイブキの姿は、確かに大窟の中にいて、異質に見えた。

「しかし大窟とは不思議な場所だ。人をほとんど受け入れない代わりに、追い出すこともできない。僕たちはイブキを恐れながら、彼にここから出ていけとは言わなかった。イブキはそのあと、様々な道具を作って我らの生活を支援してくれたが、僕らは、それが彼なりの誠意なのだと解釈していた。しかしそもそも、ここから彼は出ていくことなんてできなかったんだ。それが死を意味するのだということは、さっき知った事実だ。これは嘘じゃない。本当だよ」

 レイヴァンは話しながら爪をはじいた。

「しかし彼がどれほどまでに優秀で、すでに心を入れ替えていたとしても、三十人もの人を殺したという事実は変わらない。僕の足については、もはやどうでもいいことだ。しかし、多くの仲間が彼の理不尽な攻撃の犠牲になった。僕の目の黒いうちは、彼を許すことは決してないだろう」

 レイヴァンはそういうと、奥歯を噛み締めたような顔で感情の行きどころを探しているようだった。私はその告白を受け止めるために、彼をずっと見つめた。

「そのときイブキが持っていた武器は〈二重虹〉という日本刀だ。大窟の社に奉納してあったはずだが、どこから持ち出したのか。ロブの話から推察するに、おそらく君が持っているのは、その兄弟刀の〈虹〉だろうと思う。これでもまだ、イブキを疑うな、とロブに言えるかい?」

 レイヴァンは優しく私に問いかけた。

「よく、わかりました」

 私には、そう言うのが精一杯だった。

「さらに本音を言うと、僕たちは、イブキ同様に君のことも恐れている」

 ――君も〈同類〉だ。

 そう言ったイブキの顔が脳裏に浮かんだ。同類と認められた私が、大窟でどんな結末を迎えるのか。彼にはすでに予想がついているのかもしれない。

「僕自身がそうであるように、ロブやサクヤの心の中に、君がいつ豹変するかと恐れる気持ちがあるのだろう。だからこそ、ついイブキから遠ざけようとしてしまうのではないかな。

 もちろん、君が故意に誰かを傷つけるような人間ではないということは解っている。ただ同時に、君を大窟に近づけることによって、またあの惨劇が蘇りはしないかと、恐れる気持ちがないといったら嘘になる。

 僕は無意識のうちに、君が大窟に行かないことを願っていたのかもしれない。

 あの時僕は、彼に自分の本音を暴かれたようで、気が気ではなかったよ。ミクニ、僕にも、君を足止めする動機が十分にあった、そして皮肉にも、それに気づかせてくれたのがイブキだ」

 二人は沈黙した。話し声が止んだ大窟はあまりにも静かで、耳の奥で、血液の流れる音が聞こえてくるかのようだった。

「おぼろげではあるけれど、僕とイブキが落ちた場所――あそこは大窟の最も深い場所――最深部と呼ばれている場所だったのではないかと、僕は思う。

 イブキはもしかすると、そこで僕の知らない何かを見たのかもしれない。そこには、今の彼に異常な言動をさせている動機が隠されているのかもしれない。僕がイブキの話を聞きながら思ったのは、そんなことだ。

 しかし、つい表情に出てしまっていたようだね。彼は気づいていたようだ。

 仮に、イブキが僕に対して何かを気づかせようと、あのような発言をしたのであれば、ここまでが、僕の今の頭の中に浮かんだ考えの全てだよ」

 イブキにも隠された過去があり、それが大窟の奥に紐づいている。おそらく直接的にそれを伝えられないイブキは、レイヴァンを介してそれを私に悟らせようとしたのだろう。それを知っただけで十分な収穫だった。

「最後に一つだけ教えてください」

 しばらく遠くを見つめていたレイヴァンが、私の方に視線を戻した。

「仮にですが――イブキの言う通り、大窟に何かの陰謀があるのだとしたら、それは誰の陰謀だと思いますか」

 レイヴァンは手で顔を覆うと、車椅子に伏せた。

「イブキの発言の時から、僕はずっと、僕自身が原因じゃないかという考えから逃れられない。フラッグシップチームが最深部に到達すれば、僕が長年追い求めていた最深部の謎が明らかにされる。しかしそれは、僕が大窟での存在意義を失うことに等しい。それならいっそ、謎のままにしておいた方が――そんなことが脳裏に浮かぶんだ」

 レイヴァンは私のベットに縋りつくと、少年のように泣き始めた。

「ミクニ、僕の告白を聞いてくれてありがとう。協力どころか、話を聞いてもらうべきだったのは僕のほうだ」

 レイヴァンはしばらくの間、静かに泣いた。ようやく落ち着いた様子のレイヴァンを部屋から送り出すと、私は横になりながら必死に考えた。

(やはり、大窟の奥には、何か隠された秘密があるのだ)

レイヴァンから話を聞いた今、確信を持って言えることの一つであった。

(そして、今、ソヨウ達は、最深部に向かっている)

 レイヴァンが巻き込まれた惨劇――その歴史が仮に、イブキの言う通りに繰り返されるとしたら。ソヨウがそれに巻き込まれることを想像するだけで、私の心はねじれるような悲鳴をあげた。

 そして、私は思った。

 (私が行くしかない)

 ソヨウ達よりも早く最深部にたどり着いて、イブキが気づいた異常の正体を見極める。それが危険なものであれば、命を賭してでもソヨウを止めるのだ。そうしなければ、私がここにいる意味――開拓員としての役割が終わりになる。

(やはり、私はソヨウに会わなければ。会って話をしなければならない)

 その瞬間、大窟の社で聞いたシャン、という音が耳元で大きく鳴ったような気がした。私の四肢に強い力が入る。

(この大窟にいる意味――生きる衝動が失われたとき、そこには死が待っている)

 私は静かに目を閉じ、心の中にある本当の気持ちと向き合った。それは、大窟に最初に来たとき、神託を受けたときから何一つ変わってはいなかった。

 その時はっきりと、あの神託という儀式が私にとっては必要だったのだと理解した。私の心を震わせるものが何なのかを、自分自身が忘れかけた時に確認するために。

 私の足から延びる糸に輝きが戻り始めた。

 サクヤが紡いだ糸――それは、ただ椅子と私の足に結びついているものだと思っていたが、実際には違った。

 それは魂の糸――私の心と密接に結びついていて、私がかつて〈神託〉のときに耳元で聞いた鈴の音は、つまり、私自身の心が震える音なのであった。

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