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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
中編
20/36

去る背中

 夢の中で、私は大窟の道を歩いていた。後ろから歩いてくる人々の気配に気づき、私は思わず岩の影に身を隠す。

 しばらくして、複数人の明るい声が響いてきた。

「次の目的地は」

「さらに地下だな。もっと鉱脈は続いているはずだ」

 何人かの会話が聞き取れたが、それがソヨウの声だと、すぐにわかった。

 ――追いかけなければ。

 私は、岩影から飛び出し、ソヨウの名を呼びながら、走り出した。しかし私がどんなに早く駆けようとしても、まるで川底を走っているかのように、足がもつれてうまく前に進めない。そうしているうちに、その集団との差はどんどんと開いて、やがては話し声も、遠ざかって消えていこうとしている。

 (私を置いていかないで)

 その声を発すると同時に、私はベッドから飛び起きた。


 部屋の真ん中に置かれたテーブルの向こうでは、フォークに肉を刺した状態で静止したヤコが、口をぽかんと開けてこちらを見ていた。

「ミクちゃん、大丈夫?」

 いたわるように、私に向かって声をかけたヤコは、もう少女の姿ではない。

 とうに昼を過ぎていることを示す、窓からの西日に照らされた彼女は、薄い眉毛に丸い目をした、サクヤとは対照的に、ふんわりとした空気を持つ美女に成長していた。

 大窟の社で初めて出会ったとき、泣きべそをかいていた少女が、こんなにあっという間に成長を遂げるなど、誰が予想しただろう。

「ヤコが作った燻製肉、食べる?」

 そういうと、ヤコはそのフォークに刺さった肉を、私に向けた。

 夢の中で、どこかむっとするような、煙のような匂いが、どこからか漂ってくるのを感じたが、それはこの燻製肉の為か、と気づく。

 目覚めたばかりにも関わらず、強く空腹を感じた私は、ヤコと食事をとることに決めた。

 ヤコとテーブルで向かい合って食事をしながら、ヤコは、私が寝ている間の出来事について話した。

 私がまる一日、眠り込んでいる間、ヤコはヒューと一緒に、鳥らしき生き物の肉を、加工して塩漬けにし、いぶして燻製にしたらしい。

 私がイブキの家を訪れた日を境に、ヒューとヤコは、急に仲が良くなったようだ。

 彼らはどこか似た者同士で、子供っぽいと言ってしまえば言葉は悪いが、脳の回線がシンプルにできていて、行動にあまり躊躇(ちゅうちょ)葛藤(かっとう)がない。

 感じたことに対して、本能のままに反応するタイプだ。それゆえか、時々、本質的なことをずばり言い当てることがある。

「美味しいご飯を食べて、たくさん寝たら、元気になるよ」

 そういうと、ヤコは優しく微笑んだ。

 つい数日前までは、私が一方的に、幼いヤコの世話をしていたはずだった。

 突然、夜に不安そうな声を上げて泣き出す彼女を、頭をなでて寝かしつけたり、風呂で水遊びに没頭しはじめる彼女に、タオルをかぶせて引きはがすのは、私の役目だった。

 しかし、今はどうだろう。ヤコが私の世話を焼いている。立場が逆転してしまったようだ。

「あのね、お風呂、沸いてるよ。入ったら?」

 私は、それに答えようとしたが、言葉にならず、胸にゆっくりと手を当てた。なぜそうしたのか、理由はわからなかったが、自然と体が動いた。

 心の中から、正体のよくわからない、不思議な感情が込みあがってくる。一番近くにいるのに、どんどんヤコが遠くなってしまうような、切ない感じ。あえて、言葉で表現するならば、『感謝』が、一番近いように感じた。

 私はヤコに勧められるままに、まるで小型の船のような浴槽に身を横たえた。

 体から、ゆったりと力が抜ける感覚がある。

 思えば、大窟に来てから、慣れない環境に緊張してばかりいた。身体に不自然な力が入っていたようだ。

 ヒューやヤコは、私が寝ている間も、起きた後のことを予想して、率先して居心地の良い環境を作ろうとしてくれている。

 むしろ今となっては、私の方が、彼らを、精神的に必要としていた。

 ヒューとイブキの仲が良いのも、初めは、どちらかというと生活力のないヒューが、イブキに養われているかのような印象を持っていたが、もしかすると、イブキの方が好んで、ヒューを側に置いているのかもしれない。

 そう考えると、やはりイブキと私は『同類』――確かに、どこか似たタイプの人間なのかもしれなかった。


「ミクちゃん、このお肉、レイヴァン先生のところにお裾分けする?」

 濡れた髪を拭きながら、風呂から出た私に、ヤコは草の包みを手渡す。かつてないヤコのしっかりとした言葉と気遣いに戸惑いながらも、私は、肉の包みを受け取った。

「ありがとう、ヤコは一緒にいかないの?」

「ヤコは、ロブの畑か、ヒューと一緒に、社にいるから。大きくなれたし、みんなの役に立ちたいの」

 まるで草原に吹く風のように、さわやかな声で、ヤコは喋った。体だけでなく、精神的にもすでに私を遥かに超えて成熟した大人の発言だ。

(大窟で、皆とはぐれてしまうのも、もしかすると、ヤコには予想がついていたのかもしれない)

 私は、ヤコの姿を見て、そう思った。


 私は、肉の包みを持って、久々に、レイヴァンの元を訪れた。

 レイヴァンは、すっかり生活のペースを取り戻した様子で、肉の包みを嬉しそうに受けとると、コーヒーを入れて私に椅子を勧めた。

「新鉱脈の発見おめでとう。ヤンやフリードのことは残念だったけど、嬉しいことが続くね」

 私が、その言葉に、ぽかんとしている様子を見て、レイヴァンが言った。

「ヤコから聞いていないのかい? 大窟の開拓に長く出かけていた、もう一つのチームが帰ってきたんだよ。フラグシップチームという、一番大窟の最深部に近いと言われている、優秀なチームだよ」

(きっと、それがソヨウのいるチームだ)

 私は、一瞬腰を浮かしかけて、姿勢を元に戻すと、どうやってこの場を取り繕いながら、うまく立ち去ることができるかと思案を巡らせた。

「なぜ彼らは帰ってきたんですか?」

「クオン完全結晶」レイヴァンはうっとりと歌うように言った。「あれを持ち帰ってきたんだ」

 私の脳は、煙を出してオーバーヒートしてもおかしくないほどに、高速回転を始めた。

「彼らは今、どこに……」

「イブキのところじゃないかな。自然界に存在しない、完全結晶を加工するには、彼の力が必要だから」

「レイヴァン、私、用事を思い出した」

 コーヒーを一気に飲み干し、私は唐突に、席を立った。

「あ、実は、君に伝えておきたいことが……」

「ごめんなさい、またあとで!」

 このときレイヴァンの話に少しでも耳を傾けていれば――と後から後悔したが、このときはソヨウに会うことで頭がいっぱいで、それ以外のことを考えている心の余裕はなかった。


 そこから、イブキの家にどう行ったかは記憶にない。

 ドアノッカーを激しく叩いても何の反応もなかったので、無作法を承知の上で、扉をおもいっきりあけると、イブキのアトリエは、もぬけの殻だった。

 拍子抜けした私は、いつもイブキが座っている位置に彼がいないことだけ確かめると、逆方向に駆けだした。風車の回り続ける坂道をまっしぐらに駆け降り、自分の家、レイヴァンの家の前を通過し、岬に飛び出して、サクヤの横の扉を走り抜けた。

 そして、ようやくたどり着いた大窟に向かう椅子の間で、ほんの一瞬だけ、その後ろ姿を見つけた。

 談笑しながら、大窟に向かう後ろ姿は、間違いなくソヨウその人であった。

 ソヨウのいる場所だけは、まるで舞台にスポットライトが当たっているかのように、神々しく輝き、どんな場所にいても、私はすぐにその姿を見つけることができた。

(ソヨウ)

 私が呼んだその声は、言葉にならず、私はその場で、呆然と立ち尽くした。

 決して楽ではない道のりだったが、あまりにもあっけない再会。

 私は、人生をかけて追いかけてきた人を目の前にして、何と声をかけてよいか、わからなくなった。

 その時、私の執念が天に通じたのか、前を歩くチームのメンバーのうち、ソヨウ一人だけが、入口に立つ私の気配に気づき、振り返った。

 私は、このときのソヨウの顔を今でも鮮明に思い出す。

 ソヨウと私の目があった瞬間、彼の笑顔は凍りついたように静止した。

 完璧な兄が一度だけ見せた、驚きの表情――その目は確実に私の姿と存在を捉えていた――しかしその直後、ソヨウは何も言わず、まるで私の姿を見なかったかのように、くるりと私に背をむけて歩き出した。

 私はその後ろ姿を、瞼の奥に焼きつかせるように、食い入るように見つめた。

(ソヨウ、私はきっと、あなたに追いつく)

 彼の姿が見えなくなるまで、私はずっと、その場に立っていた。やがて、ソヨウの気配が完全に消えるのを確認すると、くるりとその場から背を向けて、家に向かって歩き出した。

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