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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
中編
17/36

虹色の合口

「最近、ヒューとばかり遊んでずるいな。明日は僕んち遊びにおいでよ、いいね」

 はっと顔をあげた時には、イブキは、まるで自分は発言などしていない、とでもいうように、元の神妙な顔つきに戻っていたので、私はそれが空耳ではないかと疑った。

 イブキの横顔をまじまじと見ていると、彼は、ほんの少しだけ眉を上げた。彼の視線の先には、海の方向から、次々に戻って来る三人の姿があった。

「お嬢ちゃん、悪いんだが、そろそろ限界でな。数日、休ませてもらってもいいだろうか」

 ロブは疲弊した顔で言った。私はその提案に即座に頷く。

「そうしましょう。サクヤにも連絡しておきます。では、また椅子の間で」

 その言葉を合図に、私たちは、静かに解散した。


 翌朝、私は約束通り、イブキの元を訪ねた。

 ポッペン、と金属のような不思議な音が聞こえて、おそるおそる戸を開けると、イブキは台に足を乗せる格好で、ビードロをくわえて遊んでいた。

 そこには昨日、垣間見せていた、聖職者としての厳格さは欠片もない。

「ガラスが、たったこれだけになっちゃったんだよね……」

 イブキは、残念そうにそれだけ言うと、またビードロをくわえて、音を鳴らし始めた。

「おお、ミクさん来たんだ」

 ヒューの声が奥から聞こえ、ピエロのお面がひょいっと覗いた。

「ミクニは『僕に』会いに来たの。二人にして」

 私は、ヒューやヤコにも同席を期待していたので、慌ててヒューを制止しかけたが、彼は「はいよ」とあっさりと返事をすると、私の隣にいたヤコを素早く担ぎ上げ、「社で、芸でもしてるよ」と去っていった。

 その場に取り残された私は、遠ざかっていくヒューの仮面とヤコの後ろ姿を見ながら、急な心細さに襲われて身震いをする。

「さて、邪魔者はいなくなった。なにして遊ぼっか?」

 ポッペン、ポッペン、とビードロの音が響いた。

 イブキは、私をわざと困らせたかったようで、薄笑いを浮かべながら、ビードロをくわえて私の反応をじっと伺っている。

 私がそわそわと居心地悪そうにすると、イブキは心底面白そうに、目をまるで細く欠けた月のように細めるのだった。

 しばらくそうしていると、突然、ビードロの音が止んだ。

「ミクニは客人をどうやってもてなすの?」

 イブキは、唐突に尋ねた。

「お茶を出したり、お菓子を出して……話をします」

 私は、乾いた喉から絞り出すように声を出した。

「ふーん」

 イブキは立ち上がると、奥の扉に入っていった。

 しばらくして、お椀のようなものに入った香りのよい液体と、ハッカ糖をお盆に乗せて戻ってきた。

「これしかなかったけど。ヒューがいないからよくわからないんだ」

 その様子から、彼なりに私を歓迎してくれているのだ、という想いが伝わってきて、私は緊張の糸を少しだけほどく努力をした。

「これは――ハーブティー? とてもいい香りがする」

 大窟に来てから、コーヒーしか飲んでいなかった私は、珍しそうにお椀をぐるりと眺めた後、一口飲んだ。イブキはその様子を面白そうに、じっと見つめている。

「ヒューが持ってきた草を色々混ぜたんだ。初めは味がひどかったけど、好きな味に変えた」

「器用なのね」

「暇だからね。でも昨日は仕事が多くて、疲れた」

 イブキは、大きな欠伸をすると、ソファーのひじ掛けに、組んだ足をドスンと乗せた。彼が、ふぅ、と大きく息を吐くと、足元にキラキラと輝く、金色の糸のようなものが見えた。

 イブキは祈るように両手を組むと、目を閉じて、天井を見上げる。

「ああ、退屈だ。ヤンとフリードは運がいい。こんな場所(とこ)に囚人みたいに閉じ込められるぐらいなら、死んだ方がまだましだ。そう思わないか?」

 私は、その発言の意図を正確に捉えることができず、首を横に振った。

「イブキ、正直、私は、あなたが怖い」

 私が勇気を出して口を開くと、イブキは目を見開いて、私の方に顔を向けた。

「人が死んでも顔色一つ変えないし、周りの人の反応も、その態度も私を不安にさせます」

 私は、自分なりに支離滅裂に言葉を並べて、その畏怖の感情を表現しようとした。

「じゃあ」そう言うと、イブキはかすれた声で言った。「どうして僕に会いに来たの」

「わかりません」

 イブキは、私の矛盾した言葉に、懸命に笑いをこらえているようだったが、やがて堰を切ったように高らかに笑いだした。

「何故なら、君は『同類』だからさ」

「『同類』って、どういう意味ですか?」

「君は、どういう意味だと、思う?」

 イブキはそういうと、まっすぐに私の目を見据えた。大窟のメンバーの中では珍しい部類に入る、黒い双眸は、まるで地上に開いた大きな穴のように、深い闇を宿していた。

 私は、その闇に強く吸い込まれそうになり、顔ごと横を向いて、目を逸らす。

「そうだ……あれを、君に渡しておこうか。ここで待ってて」

 イブキはそう言って、また、奥の扉に消えていった。

 しかし、それからしばらく待っても彼は戻ってこなかった。

(どうしたんだろう)

 私は立ち上がって、彼が消えていった扉を、恐る恐る覗き込んだ。手前の扉が、用具入れ付きのトイレであることは、掃除のときにイブキが教えてくれたので、すでに知っている。

 さらに奥に、いくつかの扉が並んでいたが、よく見ると、一番奥の扉が、少しだけ開いているようだった。

「イブキ……いるの?」

 小さな声で呼び掛けても返事がなかったので、隙間から扉の中を少し覗くと、私は「ひっ」と小さな声をあげて息を飲んだ。

 苦悶の表情で半分に割れた顔が転がっている。

 それが人に見えたのは一瞬のことで、すぐに胸像の一部だと気がついた。

 しかし、その回りに散らばった物が、ことごとく破壊されているのを見て、恐怖がじわじわと心を支配していく。

 ふいに「見たね」と声がして、私は飛び上がった。

 いつの間にかイブキが後ろに立っていた。彼は扉を開くと、私の体ごと、中に無理矢理押し入った。

「僕が毎回、上手く物が吹けると思ったら大間違いだ。ほとんどの物は、拒否反応でろくに形を維持できない。これは失敗作だ。これも、これも」

 彼はそう言うと、側に転がっていた食器のようなものを、勢いよく足で蹴った。パン、と鋭い音がして、壁にぶつかると、それらは粉々になった。

 破壊を繰り返すイブキの表情は読み取ることができなかったが、その行動には狂気じみた恐ろしさがあった。私は息を呑んで、その破壊が自分に及ばないことを祈るしかなかった。

 しかも、イブキの右手には、木で出来た棒のようなものが握られている。

(殺される)

 それが刃物だと気づいた私は、直感的にそう感じた。

 しかし彼は、私の方を急に振り向くと、そっと私の手を取り、その刃物を手渡してきた。手に伝わるひんやりとした感触と、ずっしりと重さに戸惑っていると、イブキはそれを(さや)から抜くよう促した。

 ゆっくりと、両方の端を持って引き抜くと、それは黒っぽい金属でできた刀だった。

「これは……」

「合口という武器の一つでね、僕が作ったものだ。言っておくけど、これは『吹いて』いないから。これはただの道具で、どう使うかは君次第」

「イブキって刀鍛冶まで、するのね」

「いや、刀は一度作ってもう懲りた。その一振りと、あともう一つ、社に奉納したものの二つだけだよ。兄妹刀の妹分なんだ」

 妹、と聞いて、私は動揺し、身体に少しだけ力が入る。

 その瞬間、ぼんやりと虚空を見つめながら話していたイブキの目に、怪しい光が灯ったように見えた。

(気づかれた……?)

 しかし次の瞬間には、その顔から表情が消えた。

 私は、その表情の変化に気づかなかった風を装いながら「そんな貴重なものを。貰ってしまって、いいの?」と尋ねた。

「僕にそれを振り回させるより、自分で持っていた方が、安全だと思わない?」

 そういうとイブキは、ゆっくりと接近し、呼吸が触れるか触れないか、という近くまで顔を寄せると、合口をもった私の手をそっと握った。

「僕のことが邪魔になったら、遠慮なく、それで僕の首を切ってくれ」

 私の手を握ったイブキの手から、細かい振動とともに、彼の興奮が伝わってきた。

「その刀は、打つにつれて、僕の魂が削られるような感覚がした。魂を奪うために生まれてきたような刀だ。たとえ僕が吹いたとしても、自分の魂すら受け入れることがないだろう。きっと自らを破壊してしまうよ。あの失敗作たちのようにね」

 息がかかりそうなほどの距離で、イブキは続けた。

「僕が唯一、〈吹く〉のをやめた刀――君にあげるよ」

 自分が武器を持つ、という感覚は、少しだけ恐ろしかった。

 しかし、ロブやヒューが当たり前のように鎌やサバイバルナイフで作業する様子を見て、いざという時のために必要だろうと、イブキから差し出されたその合口を受け取った。

 もう一度、その合口を、そっと柄から引き抜くと、刀の断面に、油をこぼしたような美しい虹色の紋様が見える。私はしばらく、その断面に見とれた。

「ありがとう」

 自然と、感謝の言葉が口をついて出た。

 イブキは意外そうに、私の顔をまじまじと見て、ふっと、少しだけ柔らかい表情で笑った。

「どういたしまして。ヒューより僕の株は上がった?」

「そんな……そもそも比較なんか、してません」

「あいつは役に立ってる?」

「役に立つどころか、いつも助けられてます」

「そう。なら良かった」

 イブキはそう言って薄く笑ったが、目は笑っているようには見えなかった。

(やはり、この人は怖い)

 つい覗いてしまった部屋の様子と相まって、どうしてもイブキの中に見える攻撃的なイメージを払拭できなかった。

 私は合口の白木をぎゅっと握ると、そんな恐怖を悟られまいと必死で努力した。

「ああ、なんだか僕、今日は退屈しなかったな」

 イブキは一仕事終えたかのように、大きく伸びをすると「また遊びにおいでよ」と言った。

 私は、お礼を言うと、逃げるように、イブキの家を出た。


 ヤコとヒューは家におり、何やら小さい豆を(さや)からせっせと取り出す作業に没頭していた。

「あ、それ〈虹〉だね? イブキからもらったの?」

 ヒューは私が持っていた合口に気づいて、言った。

「そう」

「いいなぁ。俺もそれ、一度欲しいって、イブキにお願いしたんだけど。すごくよく切れるから、気をつけてね。ロブ達は心配性だから、秘密にしておいた方がいいよ」

「ありがとう。そうする」

 数日後、この合口が、私の眠っていた力を目覚めさせることになる。

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