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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
中編
15/36

犠牲者

 私とヤコは、大窟から戻ると、サクヤに汲んだ水を渡しにいった。カウンターの奥の部屋には、レイヴァンが待っていて、サクヤとコーヒーを飲みながら談笑していた。

「おかえり」レイヴァンは言った。「初めての大窟は、楽しめたかい?」

「はい、ただ……」

 私とレイヴァンは、サクヤが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ヤコが捕まえた昆虫を逃がしてしまった経緯を伝えた。

 レイヴァンは穏やかな顔を浮かべながら、ヤコの頭を撫でた。

「ヤコは優しい子だね。学問の進歩のためとはいえ、やみくもに生き物の命を奪ってはいけない、と僕も思う。初代はね、大窟で発見した生き物を、(いつく)しんでいた。彼のレポートには、どうしたら数を減らさず、共存ができるか、という観点での記録が必ず見られる。ヤコはその教えを、誰から言われるわけでもなく、理解しているんだろうね。

 もしかすると、初代の思想に一番近い場所にいるのは、ヤコかもしれない」

 そのとき、ヤコが青ざめた顔で、私の袖を、これまでにない力で強く引いた。

「ママ! 人が二人、死んじゃう」

 それと同時に、椅子の間の方向から、サクヤの声が響き渡った。

「誰か! 誰か来て!」

 レイヴァンは素早く車椅子を切り返し、サクヤの声のする方へ前進していった。私もヤコを抱き上げ、後に続いた。

 サクヤは、私に〈伝魂〉を施した、椅子の間の台の上で、両手に二つの糸巻きを持って、格闘していた。

 私の体は自然と動いて、サクヤから片方の糸巻きを受けとると、「これを巻き取れば、いいんですね」と見よう見まねで糸を巻き取り始めた。

 その糸は目には見えなかったが、感触は確かに伝わってくる。私はその感触を頼りに、腕と指を駆使して巻き取る動作を続けた。

 しばらくして、手に糸が食い込む感触とともに、火に触れたかのような痛みが走ると、床にポタリと血が滴った。指の痛みがどんどん強くなり、このままでは同じ力を入れ続けるのは難しいと判断した私は、仕方なく、糸巻きを両手に持ちかえ、左右にぐいぐいと引っ張り、なんとかその糸の先にあるものを引き上げようと試みた。

 やがて、隣で格闘していたサクヤの動きが突然止まった。

「駄目だ……間に合わなかった……」

 サクヤは持っていた糸巻きを放り出すと、私が格闘している方に来て、ぐいぐいと手繰り寄せる動作をした。私の糸巻きの感触が軽くなったので、私も最後の力を振り絞って、必死に巻き取る動作を続けた。

 すると、椅子におぼろげに人の形が浮かび上がった。それは見るも無惨に焼け焦げた人の姿だった。吐き気を催してしまいそうな、むっとした焦げ臭さがあたりに漂う。

「ミク、糸巻きこっちによこして。キッチンから鋏と水差し! あとありったけの布持ってきて! ヤコ、ヒューとロブ呼んできて!」

 ヤコは青ざめた顔のまま、部屋を飛び出していった。

 私は周囲に立ち込める異常な臭いと、目の前で起きた出来事に、錯乱しそうな気持ちを抑えながら、必死にサクヤの指示に従った。

 レイヴァンとサクヤが、引っ張り上げた人に声をかけながら、処置を始めた。

 しばらくして、息をあげながらロブとヒューが部屋に飛び込んでくると、ほぼ同時に「フリード!」と声をあげた。

 ヒューが、サクヤから道具を受けとり、居場所を交代した。

 サクヤが放心したように座り込むのを、あわせてロブが受け止める。

 レイヴァンは「フリード!」としきりに声をかけながら、大窟から汲んできたばかりの水を、身体にかけている。

 サクヤも、ふらふらと起き上がり、もう一つの糸巻きを手に取り、ゆっくりと巻き取り始めた。私も手伝おうとそばにかけ寄ったが、サクヤは手で静止した。

「もう、大丈夫だ。ヤコと一緒に、外で待ってな」

 私はヤコの手を取ると、逃げ出すように外に出た。

 すると、そこには、イブキが黒い服を着て、静かに立っていた。中に入る様子はなく、状況を静観している。

 その様子はまるで、フリードの死を待っている死神のようだ、と私は直感的に思った。

 しかし、このときには、私自身も知っていたのだ。

 ヤンと呼ばれた人物はすでに手遅れで、フリードと呼ばれた人物は、遅かれ早かれ息を引き取るのだ、ということを。

 ――ヤコの予言どおり、今晩二人は天に召されるだろう。

 私はゆっくりとしゃがみこむと、ヤコを両手で、ぎゅっと抱きしめながら、混乱が続く室内に意識を向けないように、必死に他のことを考えようとした。

 ふと視界に入る赤いものに気付いて手を開くと、その手は血まみれになっていた。ヤコもそれを見て、心配そうに私の顔を覗き込んだが、私はヤコの目からそれを隠すようにしてかばうと、「私は、大丈夫」と言った。

 やがて部屋から、レイヴァンの「フリード!ヤン!」と呼び掛ける鋭い声と、ヒューの悲壮な嗚咽が聞こえてきた。

 部屋の中で起こっていることの、だいたいの想像がついて、大量の涙が私の頬を伝う。

 フリードという人にも、ヤンという人にも、私は面識がない。

 だから、人を失った悲しみというよりも、ごく身近に迫った死の恐ろしさに対して、涙が出たように感じた。それと同時に、それがソヨウでなくて良かったという安堵がごくわずかに混ざっていることも、私をひどく絶望させた。

 イブキは姿勢ひとつ変えず、視線だけを私に向けて、私が泣く様子をじっと見つめていた。

 永遠に近い時が流れたと思われたとき、憔悴しきった顔でレイヴァンが出てくると、そのあとにヒューとロブが担架で続いた。

 私は顔をあげて三人を見送り、交代で部屋に入っていったイブキの様子を、そっと部屋の外から覗いた。

 かつて部屋を仕切っていたカーテンによって、ヤンのものと思われる椅子が、覆われている。その椅子にすがりついて泣くサクヤの横で、イブキは祈りを捧げている様子だった。

 ――おい、祈りを捧げる台に足を乗せる聖職者がいるかよ。

 その時、私はようやく、イブキが聖職者であるということを思い出した。

 イブキが外で待っていたのは――自分の死期を悟らせまいとのフリードへの配慮だった。

 私の涙はいつしか乾き、私はヤコと手をつないだまま、どうしていいかわからず、途方に暮れた。

 一時間ほどして、イブキがすっと音もなく部屋から出てくると、何も言わず歩きだしたので、私も後に続いた。レイヴァンの家の前まで来ると、イブキは何かを気にするようにピタリと足を止めて三十秒ほどドアを見つめた。

 私とヤコも、思わず息を殺して、イブキの後ろで足を止めた。しかし、彼は何もなかったようにまた歩き出し、私の家の前に着いた。

 「おやすみ」と静かに言うと、イブキは法衣を翻し、早足で去っていった。

 ヤコと二人残された私は、ふと我に返った。まるで現実感がなかったが、目の前で起きたことは、確かに現実なのだ。

 私は今回の件で、開拓員は、命を落とすリスクもあるのだ、ということを、再認識した。サクヤの伝魂も万能ではなく、大窟の奥から人を引っ張りあげるには相応の時間がいるようだ。ましてや、二人同時ともなれば尚更(なおさら)である。

 大窟に潜ったままの開拓員は、常に死と隣り合わせの状態で、きっとソヨウも例外ではない。

 もしも、いつかソヨウが、サクヤの伝魂によって、あのような姿で引っ張りあげられたら――私は、そんな絵を想像し、身震いをした。きっと私は、耐えることができないだろう。

 サクヤはそんな、いつ呼び出しがかかるかも解らない、さらに言えば、その呼び出しの多くが、悲しい結果を生むとわかっている任務を、初代の頃から、ずっと続けているのだ。

 その夜は、何が起きてもよいように、夜通し起きていようと誓ったが、大窟を行き来した疲労が全身を襲い、ヤコを寝かしつけるうちに、いつしか私も眠りについていたようだ。


 翌朝、私はノックの音で目覚めた。

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