初回の目的地
いわゆる中層と呼ばれているのは、今回の目的地である、水晶の滝を下った先だという。
中層の手前までは、日帰りで戻ってこられる距離だが、それ以上先は、一日以上かけて大窟に潜ることになり、それなりの装備と、覚悟が要るようだ。
「お嬢ちゃんと、ちびっこの頑張り次第だな」
ロブはまだまだ余裕、という表情だったが、私はほんの少しだけ不安を感じていた。
私の心に引っ掛かっていることがあるとすれば、本当に自分の中に、サクヤやイブキのような力が眠っているのか、自信を持てずにいることだ。
ロブやヒューに比べて、私の体力や経験は明らかに足りない。かといって、レイヴァンのように、圧倒的な知識の持ち主というわけでもない。
私は、大窟での生活を少しずつ、好きになり始めていた。だからこそ、せっかく開拓員として活動するからには、ヒューやロブの役に立ちたい、と思う。
もっと言えば、私の成長は、開拓員として先をいくソヨウの存在に近づくことにもなるのだ。
そんな想いを胸に秘めながら、ロブの後を黙々と先に進むと、大窟の内周、つまり外側に露出した道に出た。
私は久々に見る太陽の光に、目を細める。
所々で滴り落ちる水の粒が、プリズムのように光って虹を作っていた。新鮮な土の匂いが鼻をつき、どこかから鳥のさえずる声が聞こえる。そこは、大窟の中とは信じられないほどに、解放感に満ちた場所で、安全で歩きやすい道だった。
久方ぶりに、太陽の光と、新鮮な空気を吸った私たちは、少しだけ歩調を落として、ゆっくりとその道を歩くことにした。
同じような景色が続く大窟の道の途中で、少しぐずりかけていたヤコは、ロブに肩車されて、目線が高くなったことに喜び、手を叩いてはしゃいだ。
「ちょうどこの上が、大窟の社だ」
ロブが上を指差したので、つられて上を見上げると、天井には無数のツタのような草が絡み付いている。大窟の社よりも一段低い場所に設けられた道は、巧妙に社からは死角になっているようだ。
(全然気づかなかった)
一番最初にサクヤに手渡された手書きの地図が、よほど印象に残っているのか、いつの間にか、この場所を平面的に捉えていた自分に気づいた。
大窟の社に向かって降りてくる一本道と、対になるように、開拓員専用の道は、内周沿いに壁の中を通っていて、すり鉢状の地上層を降りてくる二本の道は、ちょうど二重らせんのような構造になっていた。
そして、開拓員用の道の中で、唯一、外側に露出しているこの道は、ジャングルのように茂る草が、うまく目隠しになっている。この道の存在は、展望台からどんなに目を凝らしても、きっと気付くことはできないだろう。
私はふと、ちょうどこの辺りが、光と闇のグラデーションの始まる境目のあたりなのかもしれない、と思った。
「今回は初めてだったから、この道を通ってきたが、次回は、開拓員のルートを通ろう。垂直にロープで降りてくるんだ。人がいない時間にな」
――なるほど、垂直に下ってくるのも、ありなのか。
目的地にたどり着くまでのルートは一つではない――より効率がよい方法、より安全な方法など、採りうるルートは無限にある。
いつか私自身も、お気に入りのルートを見つけられるだろうか――私は開拓員としての新たな楽しみを見つけた。
私が壁に這っているツタのようなものに何気なく触れていると、「あ、そのつる、引っ張ってみて」と、ヒューが言った。
言われるがままに、緑色のつるを勢いよく引っ張ると、地面から次々と、さやに入った豆のようなものが顔を出した。その豆のようなつるは、大窟のどこにでも生える雑草で、さやに入った豆は、食べられるのだ、とヒューは説明してくれた。
「これを煎ったのが、サクヤやレイヴァンがいつも飲んでるコーヒーだよ。大窟で採れる、一番の主食なんだ」そういうと、ヒューはどこからか、多肉植物のようなものを取り出し、手渡してきた。「あと、これも。噛んでみて」
それをおそるおそる口に含むと、苦味と甘味の合わさった独特の風味がした。
「大窟の食べ物は、単純な味が多くて、すぐイブキが『飽きた』っていうんだ。甘い味がするのは、あの花びらと、この草ぐらいしかなくて。だからこの草も、摘んでいったら、イブキが喜ぶね」
それを聞いて、私は少しの間、ヒューがその草を集めるのを手伝った。
「もう少し下に降りれば、貴重な湧き水もある。あの水だけは、沸かさないでも飲める。帰りに、少し汲んでいくつもりだ。サクヤ達も、いつもコーヒーばかりじゃ飽きるだろう」
十分な光量と水によって、豊富な自然に恵まれたこの場所は、開拓員にとっての生命線であるらしい。だからこそ、他の道以上に、力を入れて整備されているようだ。
ざあざあという滝の水の音を聞きながら、階段となっている段差を降りると、徐々に水分を含んだ空気の匂いがしはじめた。それは、十メートルほどの高さのある細い滝で、下から覗くと、ちょうど太陽の位置と重なり合う先に虹が出ていた。
私はその様子を心に焼き付けようと、振り向いたまま立ち止まった。
「とても綺麗――ここが、水晶の滝?」
私がそう尋ねると、ロブはにやりと笑った。
「いいや。正解はこの裏だ」
そういうと、ロブはヤコを肩車したまま、脇の飛び石を身軽に飛び越え、滝の裏側へと入っていった。そのときヤコは大きく腕を伸ばして、滝の裏側に手を触れたので、水しぶきが大きく跳ねて、足元の石を濡らした。
私も後に続くと、突然目の前に、一面青の世界が広がった。その美しさに私は思わず息を呑んだ。
滝の裏にはもうひとつの隠された滝があり、天井から光と共に落ちてくる水が、まるで時間を止めたかのように結晶化している。その結晶は周囲の壁にも及んでいて、天井からの青い光だけを反射し光っていた。
「わぁ――」
思わず、呼吸を忘れてしまいそうなほどの光景に、感嘆の声が漏れた。
「美しいだろ? 初代は、ここにルートを通すことに異常なこだわりがあったらしい」
「わかる気がする、だって、こんなきれいな場所見たことないもの」
私は、その感動を味わうように、一歩一歩、ゆっくりと足を踏み入れた。
「これは、凍っているの?」
結晶化している滝を指差すと、ロブとヒューは顔を見合わせて、同時に首を振った。
「いや、凍ってはいないと思う。触っても冷たくないもの。仕組みは俺らも、よく知らない。レイヴァンに聞いてみて!」
ヒューに促されるままに、私はプレートを透かして映像を送った。
――水晶の滝。結晶化部分を持ち帰れず、何が祈出しているか不明。液体成分は水。
レイヴァンの手書きのメモが素早く戻ってきたのを見て、私は舌を巻いた。
あれだけの標本や書物から、レイヴァンは正確に欲しい情報を捉えて送ってくる。彼の頭の中に全ての情報が入っていなければ、このスピードで返すことはできないはずだ。
「レイヴァンって、大窟のことなら何でも頭に入ってるのね。すぐに答えが返ってくる」
「結晶化の理由について、何か解った?」
「ううん、まだ、謎のままらしい」
「さすがの先生にも、この滝の謎はまだ解明できてないんだな」ロブは少し誇らしげな顔をした。「これが解明できれば、期待の開拓員として名をあげられるぜ、何しろまだ中層の手前だ」
私は滝を手で触れて感触を確かめた。手を見ると、少し濡れている。
「不思議ね。固形なのか液体なのかよくわからない。こんなの見たこともないし、学校で習ったこともない」
私がそう言うと、「俺、そもそも学校に行った記憶がないや。ロブは、ある?」「さぁな。何年前の話をしてるんだ?」と、ロブとヒューが真面目な顔で冗談を言いだすので、私はつい笑いを堪えられず吹き出した。
それにつられて、全員が笑い出すと、その声は水晶の滝で何度も何度も反響して響いた。私はこの時、心からこのメンバーで大窟に来られてよかったと思った。
「今日の目的地はここまでだから、好きなように過ごすといい」
ロブに言われたメンバーは思い思いに散開した。
私は、ヒューからサバイバルナイフを借りると、目の前の滝の結晶部分を削りだしたが、その結晶は手に乗せるが早いか、一瞬で液体になってしまう。
欠けた場所は、あっという間に水分が貯まったようになり、すぐに修復されて元の結晶に戻るのだった。
「ここは地上に近いから、色々な人がこの謎に挑んでるけど、誰一人結晶を持ち帰れないんだよね」
ヒューは残念そうに言った。
「美しいから持って帰りたくなるけど……ここはこのまま、謎として残した方が良いのかもね」
「そう思うだろ? みんなそういう結論になるんだよ」
ロブは結晶化した滝の下に、絶妙な形で寝転べるスペースを見つけて、下から見上げている。
ヤコは天井からの光が、床に反射しているのを見つけては、一つ一つ踏んで遊んでいた。
「もしかして、ミクさんは石が好きなの?」
私が、その結晶をしげしげと眺めているのを見て、ヒューが言った。
「レイヴァンの鉱石コレクションは見せてもらったかい? 普通の石が多いけど、中にはすごく綺麗なのもあっただろ。大窟で、綺麗な石を探そうか。イブキにお願いすれば、磨いて宝石にしてもらえるかも」
「一時期、まだルートが確立していなかったときは、ここを掘るついでに、石材も切り出してたからな。イブキの教会とか、石畳とかにその名残がある。ここは地下だけあって石だけはやたら豊富だ。下層に行けば行くほど、希少性は高い。いつかは発見してみたいもんだ……」
いつのまにか、ロブとヒューが楽しそうに石談義を始めたので、私は改めて滝の方に目をやった。
(ソヨウもきっと、この景色を見たのだ)
時間を超えて、私もようやく彼がかつて見た景色に到達できたことを、私は見えない何かに感謝した。
来た道をゆっくりと戻ってくると、すでにとっぷりと日は暮れていた。かくして、私の初めての大窟の開拓は終了した。
――事件が起こったのは、その晩のことだった。