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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
中編
13/36

本音と建前

「ここじゃ何も見えない。早く行こう!」

 ヤコの声に反応したヒューは、私の手を引っ張ってトンネルの出口に向かって走り出した。

 薄ぼんやりと輪郭が浮かんでいる、トンネルの出口を抜けると、そこは煉瓦のように四角い石が組まれた、家のような場所だった。

 そこは、レイヴァンの説明によると、開拓員が『暖炉』と呼ぶ、最初の休憩所だった。

 ロブが、ライターの灯りを頼りに、壁際にある石のかまどのような場所を探し出すと、大窟草を入れて火をつけた。急に周囲がぱっと明るくなり、目がくらんだ私は慌てて眼を閉じた。

 目が光に慣れるのを待ってから、ゆっくりと目を開く。大窟草は、油を含むのか、想像以上によく燃えた。火から少し離れた場所では、ヤコが手を合わせて、なにやら包み込むような仕草をしているのが見える。

 ロブや私が近くに歩み寄り、その手の中を覗き込むと、黒っぽい甲虫が動かずじっとしているようだった。ときおり触覚が動くと同時に、片方ずつに黄色い目のような模様が見え隠れする。お世辞でも美しいとは言いがたい、どちらかというとグロテスクな方に分類されるであろう昆虫であった。

「おい、レイヴァンに見せないのか?」

 私はその奇妙な虫が、ヤコの手の中で動くのに目を奪われていたが、ロブに促されて、プレートでレイヴァンに情報を送った。即座にレイヴァンから映像が届いた。

 ――カタメツブリ。暗がりを好み、夜行性。標本なし。

 レイヴァンの指が、トン、と『標本なし』のキーワードを指し示した。つまり、生きて持ち帰れば初の報酬となるのだ。

「お手柄だ」「やった!」と思い思いの喝采をあげる中で、ヤコは嫌々をして虫の入った手を遠ざけた。

「殺さないで」

「えええ!」

 ヒューは信じられない、というようにお面を仰け反らせて落胆を表現した。

 私も、大窟の初の発見を持ち帰ることができないことに、ほんの少しだけ失望したが、ふとヤコの言い分も正しいと思い直した。

「離してあげよう、ね?」

 私がヤコの頭を撫でながら言うと、ヤコは安心したように笑って、ふわりと手を開き、その捕らえられた昆虫を逃がした。昆虫は触覚を左右に必死に動かして、壁づたいに走り去った。

「勿体ない……」

 ヒューは、がっかりと肩を落としている様子だったが、私は少しだけ誇らしい気持ちで、ヤコの様子を観察した。

 ヤコはしばらく、その虫の走り去った方向をじっと見ていたが、ふと、私の視線に気づくと、恥ずかしそうな表情を浮かべて、私の足に抱きついた。

 私たちは少し休憩を取りながら、ロブから説明を受けた。実はここが、大窟の社のすぐ下にあたると聞いて、長い道のりを下ってきたと思っていた自分が、まだほぼ地表近い位置にいることを再認識させられた。

「ロブは、どうして私とチームを組んでくれたの?」

「サクヤの推薦もあったし、なんというか、普通のお嬢ちゃんだから、ほっとけないと思ってな」

「サクヤを信用してるのね」

 私が少し茶化したように言うと、ロブはしきりに焚き火をかき回して言った。

「いいや、どうかな。別の他の奴らと変わらないだろ」

「ロブの目には、サクヤは見えないんでしょ?」

 そういうと、ロブはゴーグルに触れながら、口を開いた。

「ああ、見えない。どうしたら見えるようになるか、お嬢ちゃんには秘訣を教えてもらいたいもんだ」

「私にもよく……解らないんです」

「だろうな」

 そう言うと、ロブはヒューの方に目を向けた。ピエロの仮面は、炎から少し離れた場所の空中に浮かんでいる。ヤコの喰いつくような視線がヒューに向けられているところを見ると、何かの大道芸の練習をしているようだった。

「ヒューは今、パントマイムの練習をしてる。しばらくヒューの芸は、見てなかったが、意外と上達したな。まるで壁がそこに存在してるみたいだ。でも、お嬢ちゃんには見えないんだろ。逆に、どうしてヒューが見えるのか、と聞かれたら、俺も答えようがない。『ただ、見えるから』としか」

 ――見えない壁。

 ヒューが見えない私は、彼がそこに存在していることを、周りの状況から判断するしかない。

 裏を返せば、ロブやレイヴァンにとって、サクヤはそのような存在、ということだ。

「サクヤは、初代の頃から、この大窟にいるんでしょう? 魂だけの存在になって、開拓員をサポートし続ける理由が、何かあるんでしょうか?」

「さぁな。ここの生活に慣れすぎて、もう疑問も持たなくなった。サクヤだけじゃない、他人をどうこう詮索しねぇ……そう決めたんだ。ここはそういう場所なんだって」

 ロブのその言葉を聞いて、私の胸は強く突かれたようになった。

 確かに、私も大窟に来る以前のことをあれこれ詮索されたことはない。たった一度、胸の内に秘めた動機を、大窟の社の樹の下で誓っただけだ。

 ヒューの言う通り、心の中の強い動機が、あの樹の花を散らすのだとしたら、きっとソヨウをはじめ、この大窟の開拓員はそれぞれ、思い思いの動機を抱えて、この大窟で暮らしていることになる。

 私は、炎で照らされたロブの横顔を、しばらくじっと見つめた。

「――サクヤのことが、気になるか?」

 ロブは目を合わせず、ぽつりと言った。

「俺も、あいつのこと、何とかしてやりてぇ、とはいつも思ってる」

「どういうこと?」

「サクヤはいつもつまらなそうな顔をして、あのカウンターで開拓員の候補を待っている。もっと幸せに生きる方法があるなら、それに越したことは、ないだろ」

 その話しぶりから、ロブの本音が透けたような気がして、私は確信を得た。

(この人は、サクヤのこと――)

 すると、途端に目の前の男が、どこか不器用な人間に見えてきた。サクヤとの、まるで夫婦漫才のようなテンポのよい会話も、何かと理由をつけて地上近くから離れない理由も、すべてが納得できた。

 しかし残念なことに、サクヤがその想いを受け入れる気配は、今のところなさそうだ。

「別に開拓員だけが、大窟の仕事ってわけじゃない。ましてや、足の悪いレイヴァンや、見えないサクヤにとっては、俺みたいな普通の人間のサポートが必要だろうからな」

 しみじみと、ロブは語った。

「ところで、前々から思っていたが、お嬢ちゃんは何で大窟に来た? ここの開拓をして、どうするつもりなんだ?」

 その時、遠くにいたヒューのお面がふとこちらを向いた気配に気づいた。ヒューもどうやら、この話題に興味を持っているらしい。

(ソヨウのことを打ち明けるべきか)

 私は一瞬迷ったが、サクヤやレイヴァンにも話していない秘密を、話題に出すのは時期尚早に感じた。

 私が言い淀んでいる様子を見て、ロブが言った。

「訳あり、ってとこか。いや、さっきも言ったが俺は詮索する気はない。別に潜る理由なんて何でもいいんだ。ただ、この場所にたまたま一人で来て、サクヤに都合よく目に止まって開拓員になるなんて、偶然にしては出来すぎに思えたからな」

 鋭い質問だった。詮索するつもりはない、と言いつつも、どこか私の行動をけん制しているかのようだ。

 そこで、私は当たり障りのない回答を探した。

「大窟に興味があるの。サクヤが見える理由をはじめとして、大窟にはわからないことがたくさんある。大窟を開拓することは、言ってみれば自分を開拓することなの」

 それを聞いて、ロブはぷっと吹き出した。

「若いな。羨ましいよ」

 嘘ではなかった。

 しかしそれが、ロブの質問に対する、私にとっての本当の回答ではないことは、自覚していた。

 私は心のどこかで、ソヨウを探しだし、あの幸せで誇らしかった数年間――元の一つの家族としての生活に戻ることを期待している。

 まるで枯れ葉の中にどんぐりを埋めるように、事実のなかに、うまく本音をまぶして隠蔽しようとしているだけなのだ。

「ついでに俺が見えない理由も解明するのを、忘れないでいてくれると嬉しいんだけど」

 ヒューは拗ねた口調で言った。

「でも、そんなに難しく考えなくていいんじゃないかな。ここの開拓は、皆でゆっくりやればいいよ。俺もフォローするし」

 ロブはそれを聞いて神妙に頷くと、「ヒューの言うとおりだ……」と呟いているのが唇の動きでわかった。

 どこかほっとした様子で、表情が少しだけ緩くなっていた。彼は小さくなってきた火種をつついて空気を送った。

「大窟開拓だろうが大道芸だろうが、やりたいことがある奴はどんどんやればいい。意思と行動力のある奴を無理には止めない。なるべく近くで見守ってやる方がそいつのためだろ。少なくとも俺にはそっちの方が性にあってる」

 そう自分の立場を定義づけたロブは、さて、いくか、と屈伸をして立ち上がると、キャンプの先へと歩きだした。ヒューも残りの草を一気に火にくべたのちに立ち上がる。

 私はパチパチと燃え上がった火を振り返り、あとに続いたのだった。

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