ハッカ糖
「あの、この子も一緒に大窟に連れていけませんか?」
サクヤとロブは口をあんぐりとあけて呆然とした顔をした。レイヴァンは、少し楽しそうな目をして、こちらを見ている。
「アンタ、正気なの? 相手は正体不明の子供よ? 伝魂もできないんじゃ、アタシがサポートするのも限界があるし、大窟は危険で何があるか――」
サクヤがそうまくしたてる横で、レイヴァンは無言で片眼鏡の位置を直している。ロブは腕組みをしながら口を開いた。
「まぁ、嬢ちゃんがそいつに何か感じることがあるんなら、俺は乗ってやってもいいぜ。ただし、危険な場所は避けたいところだけどな」
それを聞いて、私は大きく頷いた。
「初めのうちは、開拓済のルートの整備を中心にするつもりです。私自身も今はどんな力があるかわからないし、ヒューやロブも、地上で役割があるみたいだし……」
もちろんそれは、私の思惑——ソヨウが安全に大窟から戻って来られるように、という個人的な思いも多分に含まれていたが、その言葉は、自分が想像していたよりも強い説得力を持っていたようで、サクヤやレイヴァンは黙ってうなずいた。
「俺のことは別にいいんだよ。生活はなんとかなるし! もちろん、最下層で一攫千金を狙えたら嬉しいけど!」
正面から、がしっと肩を掴まれる感触があった。私は肩にかかったヒューの手を、握り返した。
結局のところ、私はまだ、大窟という場所について、何もわかっていないに等しい。だからこそ、『正解』なんてないのだ、と私は自分に言い聞かせた。
心を自由に解放できる場所を求めたであろうソヨウが、地底大窟を安住の地に選んだ理由が少し解った気がして、私はソヨウをより近くに感じた。
私はヤコの方を向いて力強く頷いた。
「私が一緒に行くから、心配しないで。守りきれないと感じたら、絶対に戻ってくるから」
かくして四名となった私のチームは、晴れて正式に、大窟の開拓員として、奥に進むことを許されたのだった。
「では明日、第一回の開拓に向けて出発します」
私がそういうと、ヒューが「はい、リーダー!」と明るく言った。
そのとき、サクヤがふと思い出したように口を開いた。
「あ、そういえばミクの住む場所を決めてなかったよ。ヤコと一緒じゃ、いよいよ仮眠所は使えないねぇ」
「ミクさん、住むところがないの? だったら、俺の家を使いなよ」
ヒューはあっさりと言った。
「どうせ俺は、いつもイブキのところにいるし。そもそも、あんまり家に帰っていないし」
ロブはこっそりと、私に耳打ちをした。
「ヒューはイブキと仲がいいんだ。まぁ、ヒューの方が、イブキに一方的にこきつかわれてるみたいだけど、な」
あのイブキと仲良くできるなんて――私はヒューの意外な才能に驚いた。
「ヒューの家を借りられるのなら、そうしたら?」
サクヤも私を見ながらそういうので、私はその言葉に甘えることにした。
「じゃあ、イブキのところに、これを持っていくついでに、案内するよ」
花の入った籠が、またひょいっと宙に浮いた。
「我々もそろそろ失礼しよう。この少女については、早速今晩から文献をあたってみなければ」
レイヴァンが車椅子を切り返すと、ロブがハンドルを握った。サクヤを除く五人は、家までの道のりを歩き出す。
ヤコは左の手をヒューと、右の手を私とつないだ。一歩歩くたびに、ヤコは嬉しそうにピョンピョンと跳ねて、二人の腕の間に何度もぶらさがった。
「紙みたいに軽い。体重がないみたいだ」
ヤコが体重を預けるたびに、私が感じていたことを、ヒューも口に出した。しかし、ヤコの見た目は、普通の子供と何ら変わりはなく、体は華奢だが、それなりに体重がありそうに見えた。
「あなたは、何者なの?」
私が思いきってヤコに尋ねると、ヤコはきょとん、という顔でこちらを見た。本人も、自分が何者なのか、自覚がないようだった。
「大窟には謎が多い。全てを今、知ろうとしなくてもいいんだ」
後ろからレイヴァンが、諭すように声をかけた。
――このとき、レイヴァンがさりげなく言ったことは、確かに正しかった。このとき私が全てを知っていたら、きっと自分自身で最後まで行動して確かめてみよう、という気は起こらなかっただろう。
あとから振り返ると、自分の足で行動し、聞き、感じたことは、まるでダイヤモンドのカットのように、取り込んだ情報を光のように反射させ、別の示唆を与えてくれた。
レイヴァンは、この時――大窟について、ある程度のことを知っていて、彼なりに仮説も持っていたはずなのだが、いっぺんに私に語ろうとはしなかった。私が知る楽しみ――一方で悲しみでもあった――を奪うまいとの配慮だったのだ。
ヤコが機嫌良く何度も跳ねる様子を見ながら、私は、その先にいるヒューの様子にもさりげなく注意を払っていた。ヒューの表情は全く読めなかったが、両手をつないではしゃぐヤコの様子から、感じるものがあったようで、彼はぽつりと言った。
「家族ってこんな感じかな」
「……同じことを考えてた。ヒューには家族がいないの?」
「どうだろう。覚えてないんだ。気づいたら、一人で大窟にいたからね」
ヒューは、特にそれを気にしている様子もなく、さらりと言った。
「ミクさんには、家族はいるの?」
「はい、兄が、一人」
「そっか……恋人はいるの?」
私は、首を横に振った。
ずっと、ソヨウを探すことで頭がいっぱいで、恋についてゆっくりと考えたことがなかった。むしろ無意識に、考えないようにしている気もする。
「……それは、良かった」
何が『良かった』なんだろう――私は少しだけ、ヒューの言葉の意味を捉えかねた。
「ヒューには、恋人がたくさんいるんでしょう? あんなに、女性のファンがいるんだもの」
私がそういうと、ピエロのお面は左右に大きく揺れた。
「ミクさんは、勘違いしてる。あの人たちは、観客として、俺の見た目を好いてくれているだけだ。そういうのは、本当の愛って呼ばないんだろ」
私はそれを聞いて、それほどまでに女性を惹き付けるヒューの容姿に興味が湧いた。
もし、私にヒューが見えていたら、私も一目で、ヒューのことを、好きになっていたのだろうか。
「ねぇ、ミクさん、俺のことどう思う?」
突然、心を見透かされたかのように核心を突かれて、私の心臓は何故か早鐘を打った。
「どう思うも何も……今日会ったばかりだし、姿も見えないし」
「そうだろ。愛って、俺には複雑すぎてよくわかんないよ。さぁ着いた、ここが俺の家」
その家はレイヴァンの家から少し先にあり、イブキの家に向かう階段のふもとにあった。
「この家は、自由に使っていいよ! じゃあね」
そのまま向きを変えようとしたヒューの腕を、ヤコがぐいっと引き戻した。
ヒューの仮面はその場でくるり、と回転し、どすん、という鈍い音と共に、すとんと下に落ちた。
同時に、「痛っ!」とヒューの声がする。彼はどうやら、しりもちをついたらしい。
私は、何が起こったのか解らず、茫然としていた。唯一、はっきりしていることは、ヤコはいざとなれば、大の大人を振り回すことができるということだ。
「ヤコも行きたい」
ヤコは私の手をとり、ニコニコと笑った。
「ええっ? イブキのところに行くのは、子供の足じゃけっこう大変だよ? ミクさんも疲れてるだろうし、今日はやめとこう?」
「いやだ。一緒に行く」
ヤコは、駄々をこね始めた。私自身も、明日に備えて早く休みたい、という思いはあったが、ヤコがテコでも動かない様子を見せたので、仕方なくイブキの元に向かう石段を、ヤコとヒューと一緒に、上がっていくことにした。
イブキは、私の訪問に気づくと、目を細めて嬉しそうに言った。
「ミクニを連れて来たの。ヒューもたまには、役に立つんだね」
イブキは昨日とはうって変わって上機嫌な様子で、鼻歌混じりに籠の中の花びらを一つ一つ検分しはじめた。
待っている間、ヒューはアクロバットの練習をしているようで、一定間隔でくるり、くるりと仮面が宙を舞った。ヤコは目を丸くしながら、その様子に見入っているので、私はヤコを膝に乗せて、彼女の気が済むまでその様子を見せることにした。
しばらくして、イブキが顔を上げた。
「社の木の花びら、確かに受け取ったよ。でもこれはミクニが集めたものだから、お前の借金は減らせないな」
「ええっ?!」
ヒューは信じられない、といった声を出した。
「私はヒューの手伝いをしただけなの。だから、彼の借金を……」
「無理だね」
イブキはきっぱりと首を振った。
「こいつらが僕に言うんだ。ヒューは何もしていなかった、ってね」
そう言いながら、イブキは籠の中の花びらを指差した。
「そりゃないよ……」
ヒューはがっくりとした様子でうつむいた様子だった。
姿が見えないにもかかわらず、ヒューの動きはわかりやすかった。道行く人に芸を披露する立場だけに、日頃からリアクションを大きくしているのかもしれない。
「あの、花びらの声が聞こえるんですか」
その質問に、イブキは薄く笑うと、花びらの一つを手に取り、優雅な姿勢でそれをふぅ、と吹いて散らした。息を吹き掛けられた花びらはふわりと宙を舞い、籠の中にあった他の花びらもそれを追いかけるように空中に浮いて、まるでスノードームのように、イブキの回りに集まった。
「僕の力を見せようか」
イブキは口の前に人差し指を立てると、大きく深呼吸をして、すうっと二回目の息を吐いた。
すると、周囲を舞い散る花びらがいよいよ激しくなり、一つの形を成していく。それは私が、最初に大窟の社を訪れたときに、老人から手渡された、願いを書き留めるためのチョークのような棒の形になっていく。
ヒューがどこからか、重箱のような箱を取り出して蓋を開けると、その棒は綺麗に整列して、箱の中に収まった。
イブキはその箱から一本を取り出すと、半分に折って口にほおりこんだ。
私が驚いた目でイブキを見ると、食べる?と、残りの半分を私に手渡した。私が恐る恐る、その温かな白い塊を口に運ぶと、甘い風味と爽やかな味が口に広がった。
「社の木に咲く花は甘い味がするから、こうしてハッカ糖にするんだ」
私はふと思い出して、大窟の社で老人から手渡された別のハッカ糖をポケットから取り出した。
「大窟の社でご老人に頂いたものです。私はてっきり、これはチョークなんだとばかり思ってました。皆さん、これで願い事を書いていたから」
イブキは一瞬、怪訝な顔をしたが、興味がなさそうにそっぽをむいた。
「僕は自分が〈吹いた〉物が、どういう意思を持つかはその物に任せているから。別にチョークとして役割を全うしたいということなら、それはそれで構わない」
私は、手に持った白いハッカ糖をぼうっと見つめながら、イブキの能力を想像した。
これまでの情報を総合すると、イブキに息を吹き掛けられた物は、まるで命を吹き込まれたように、意思をもった物体になるようだ。そして、それがどんな形、どんな機能を持つのかは、イブキの言葉を借りれば、その物の意思次第、ということらしい。
「願い事とか、どうでもいいの。僕にとっては、ただの食事だから」
イブキは、もう一つ、ハッカ糖を箱から取り出し、ぽいっと口に含むと、箱のふたを素早く閉じて、ぽんと叩いた。
「ヒュー、この箱、邪魔。片付けといて」
私はヒューの姿を探したが、テーブルの上に、ぽつんとピエロの仮面が置かれているだけだった。
「ヒュー、どこにいるの?」
「目の前にいるよ。あ、見えないんだっけ、ごめんごめん」
ヒューは仮面を拾いあげたので、ようやく居場所がわかった。
「見えない、だって?」
その震える声を耳にして、私はイブキの方に振り向いた。
彼は明らかに狼狽していた。いつも超然としている彼が、動揺した様子を見たのは、後にも先にもこれが初めてだった。
「ヒューの姿が見えないって、言うの?」
私がうなずくと同時に、イブキの顔から表情が消え、彼は「帰って」と冷たく言いはなった。
「イブキ、しばらく泊めて! 俺の家、ミクさんにあげちゃった……」
それを聞いたイブキは、目を丸くした。
「バカじゃないの。勝手にして」
イブキはプイッとそっぽをむき、踵を返して部屋の奥の扉に消えていった。
私は呆気に取られ、ヒューの方を見た。ピエロの顔は、左右に必死に首を振っているようだ。ヒューにも彼の不機嫌な理由はわからなかったらしい。
仕方なく、私はヤコをつれて、ヒューの家――私が今後住む場所――に戻ることにした。
家に帰ると、生活感のほとんどないがらんとした部屋が、私達を待ち受けていた。しかし、そこは広さも申し分なく、ヤコと生活するのに十分な設備が揃っていて、私はヒューに改めて、明日お礼を言おうと心に決めた。
昨晩とはうって変わって、その夜私は、なかなか寝つくことができなかった。
私の目には見えないヒュー、人ではないらしいヤコの存在、そして最後のイブキの態度――思い起こすときりがない。
しかし、大窟では、誰もその答えを知るものはいない。私は手探りのまま、この大窟の開拓を続けていくしかないのだ。