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ミクニと永遠の大窟  作者: 孫 遼
前編
1/36

地底大窟の出会い

 ——その穴は、巨大で深い。


 私は、地上に開いた真っ黒な穴の縁に立ち、他の観光客の誰もがそうしているように、おそるおそる底をのぞき込んだ。

 その穴は半径数キロに及ぶ大きさで、内側に螺旋(らせん)を描くスロープを持ち、下へ下へと降りていけるようになっている。俯瞰(ふかん)して見ると、その形はまるで、巨大な巻貝のようだ。

 そのスロープがたどり着く先はどこかと、視線でたどっていくと、やがて太陽の届かない真っ暗な場所へとグラデーションしていく境界がある。そこから先は、どんなに視線をたどっても、黒い空間が広がるばかりで、その闇に包まれた穴が一体何メートルの深さになるのか、さっぱりと見当もつかない。

 まばたきも忘れて、その景色にじっと見入っていると、ふと足元が吸い込まれそうな感覚を覚えて、ふらりと体のバランスを崩しそうになり、慌てて目の前の手すりをつかんだ。

 この場所には、手招きされているかのような誘惑がある――深い闇に吸い込まれていく感覚――高みから、地上を見下ろす時の、ミニチュアを見ているかのような非現実感。

 だからこそ多くの人が、この景色を見にやってくるのだ。


 船に何日も乗り、ようやくたどり着いた地底大窟(ちていたいくつ)の展望台で、私は観光客のふりをしながら、次に行くべき場所について考えていた。

 人の波に逆らわないように、ゆっくりと目的もなく歩いていくと、やがて私は受付らしき場所にたどり着いた。その場所はあくまで道の途中、ただの通過点のような所で、受付を置くにはいささか場違いな位置にあったのだけれども、私は、必要を感じて立ち止まった。脇を通り抜ける通行人に、じろじろと見られている視線を感じても、私はその場所から、動くことができなかった。

 目の前にはカウンターと、上の突起を押すとチーンと音が鳴る呼び鈴がある。さらに、そのカウンターの向こうには、やる気の無さそうな表情をした女性が、雑誌のようなものをめくりながら、ほおづえをついて座っていた。

 私はしばらくその場所で、声をかけるか呼び鈴を鳴らすか迷ったが、明らかに人を前にして呼び鈴を鳴らすのは失礼な気がして、女性の美貌に気後(きおく)れしながらも、人生で最大の勇気を振り絞って話し掛けた。

「あのっ」

 すると、女性はびくりと飛び上がった。

「え……え?」

 彼女は、突然声をかけられたことに動揺を隠しきれない様子だった。

「アタシに何か用かい?」

「ええ。驚かせてすみません」

「いや……別にいいけど、さ」

 彼女はがっくりと力を抜いてカウンターに倒れこむような格好になると、長い前髪をかきあげながら私を見上げた。

「アンタ、私が見えるの?」

「はい、もちろん」


 これが、私とサクヤの初めての出会いだった。


 この時、私はまだ、サクヤのことを、受付の人ぐらいにしか思っていなかった。

 今から考えてみれば、あの時の彼女の驚きようはもっともだと思えるのだけれど、当時の私は、初対面の人に話しかけるのが精一杯で、彼女の質問の意味について、深く考えられるほどの余裕はなかった。

 カウンターの向こうの女性は、何かを考えているかのように、口の中でぶつぶつと独り言を言っていたが、急に周囲を確認するように見回し、素早くカウンターの端を持ち上げて、私に手招きをした。

「ちょっと、こっちに来て。そこは邪魔だし、目立つから」

 そういうと、彼女はカウンターの奥の青い扉を開け、中に私を招き入れた。

 青い扉の先には薄暗い廊下が続いており、私はきょろきょろと周囲を見渡しながら、彼女について歩いた。

 彼女は美人なだけでなく、スタイルもそれなりに良くて、一緒に立つと数センチ彼女の方が背が高い。足も私の腰あたりまで届きそうなほどに長かった。

「あなた。見たところ、学生のようだけど?」

 私はうなずいた。

「なにしにきたの?」

「あの、えーっと、観光で」

 私は、咄嗟(とっさ)に嘘をついた。

 彼女はいぶかしげに、私の頭からつま先までをじろじろと観察し始めた。私はその視線の恐ろしさに、地底大窟に来た本当の目的を、あやうく白状してしまいそうになる。しかし、一呼吸ほど早く、彼女の方が先に口を開いた。

「観光ねぇ……あなた、いくつよ?」

「十六です」

 するとその女性は急に鋭い目になった。しかし、すぐに私の怯えた様子に気づくと、慌てて視線を遠くにそらし、ごまかすように咳払いをした。

「まぁ、座りなよ」彼女はぶっきらぼうにそういうと、マグカップを二つ取り出した。「何飲む? コーヒーでいい?」

 私は、はい、と返事をしながら、目の前の椅子とソファー、どちらに座るか選択に迷っていた。困惑している私の様子を察してか、サクヤがぶっきらぼうにソファーを指差したので、促されるままにソファーに深く腰かけた。

 そのソファーは、見た目以上にふかふかとしていて、吸い込まれるかのように、体は深く沈んだ。私はしばらく、そのソファーでうまくバランスを取ろうと格闘していたが、やがて全身の力を抜くとうまく安定することに気付くと、そのソファーに完全に降伏し、リラックスした姿勢になった。

 手渡されたコーヒーは、カップのふちを持っているだけでも手に痛みを感じるほどに熱く、私は息を何度も吹きかけてコーヒーを冷まそうとした。熱いコーヒーと格闘する私を、目の前の彼女はじっと観察しているようだった。

 私は気まずさに耐えられず、なるべく彼女と目を合わせないようにしながら、部屋をぐるりと観賞した。

 そこは書斎とも、カフェとも取れるような場所だった。書き物をするデスクや本棚が置かれており、仕事と休憩も両立しうる、快適に設計されつくした環境。しかし、照明は若干暗めで、窓がなく、壁は土でできている。つまり、ここは建物ではなく、横穴のような場所に作られたスペースなのだ。

 コーヒーが少し冷め、飲みやすくなったところで、その女性はようやく口を開いた。

「私の名前はサクヤよ、よろしくね」

 私も、よろしく、と会釈すると、初めて彼女は少しだけ口の端を上げて笑った。笑うとますます彼女の美貌は際立つ。生まれもっての魅力と華やかさを隠しきれない、しかし、どことなく幸の薄そうな、夜の世界を思わせる美しい人だった。

「アンタの名前も教えてよ」

「ミクニと言います」

 それを聞いて、彼女は口の中でミクニ、と発音の練習をし、二が発音しづらかったようで、少し申し訳なさそうに言った。

「ミク、でいいかな」

「はい」

「アンタ、アタシに何の用なの」

 その質問に私は苦笑した。

「特に用はありません。もしかして、用事がないと声をかけちゃいけなかったんでしょうか?」

 それを聞くと、サクヤはケラケラと楽しそうに笑った。

「そんなわけないでしょ。顔に似合わず面白いことを言う子ね。アタシなんだか久々に笑わせてもらった気がするわ。お礼に良いこと教えてあげる」

 サクヤは立ち上がると、机の引き出しから、一枚の紙を取り出して、ペンで地図らしきものを描きはじめた。紙いっぱいにぐるりと渦巻きを書くと、「まずアンタが立ってたカウンターがここ」と、書きはじめの線に四角く出っ張りを書き、それを黒く塗り潰した。

 そして渦の中に新しい矢印を、つつ、と引っ張りながら、彼女は続ける。

「……その左奥ね、この出口から、たくさんの人が出入りしていたでしょ?その中をまっすぐ行くと大窟の(やしろ)という場所に出るの」

 渦のやや真ん中あたりに、家のようなマークを描きおえると、サクヤは顔を上げて、私が話についてきているかを確認した。

「一本道だから迷わないと思うけど。無事社についたら、そこの中で〈神託(しんたく)〉受けてみなよ」

 私の口があんぐりと開いた。

「神託……神から託される、の神託ですか?」

「うん、行けばわかるよ。普通にみんな参拝してるから。深く考えなくて大丈夫。アンタはきっと、選ばれると思うから」

 私は、サクヤのざっくりとした説明と自信に満ちた言葉に、かえって戸惑ったが、サクヤは確信に満ちた表情で、行けばわかる、と強く繰り返すと、私の腕を取ってカウンターの外へ促した。私は慌ててコーヒーを飲み干すと、テーブルに空のカップを置いて、サクヤが書いてくれた地図を片手に、大窟の社に向かって歩きだした。


 サクヤが教えてくれたとおり、それは大窟の内周をぐるりと大きく回転しながら、螺旋階段のように下っていく一本道で、迷う要素はなさそうだった。

 その道は、傾斜をなだらかにするために、距離を犠牲にしている様子で、石畳の歩きやすい下り坂がずっと先まで続いているのが解る。

 展望台から見えていた、無骨な岩肌からは想像がつかないほど、綺麗に管理された道で、多くの人が参拝道として利用しているのだということがよく分かった。

 老人が、杖をつきつつゆっくりと同じ方向へと歩いていくのを、何度も追い越しながら、私は先へ先へと進んだ。

 私は、はじめのうちこそ、はやる心が抑えきれず、速足で歩いていたが、ふと、ところどころ、道端に置かれた休憩用の椅子のデザインが、全て異なることに気づいてからは、少しだけ歩みのペースを落とした。

 近づいて見てみると、私の故郷の民芸品によく似たデザインの腰掛けもあれば、四つの足がついていない、ただの地面に向かって水平な板でしかない見た目のものもある。私は一つ一つの違いと、そのバリエーションに感動しながら、時には腰かけて座り心地を試し、道中で椅子を見つけることを楽しんだ。


 しばらくそうして遊びながら進んでいくと、視線の横を、ふわりと金色の光る何かが横切った。

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