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理想の家族

おそらく夢を見ている。

朝子は、そう思っていた。


とても優しそうで、笑顔の爽やかな、

背の高い、細身の男性。


この人は…… 誰だろう……?


朝子は30畳程のリビングに置かれた

ソファーに座ったまま、大型犬の頭を撫でていた。


犬種はラブラドール。

毛色はイエロー。


「かわいい……」

犬好きの朝子は、たまらない気持ちになった。


キッチンから、男性が犬を呼んだ。

「おいで!リトル!ご飯だよ」

リトルというのは、この犬の名前らしく、

犬は、すぐさまキッチンへ飛んで行った。


『あんな大きな犬なのに リトル なんて変なの……』

朝子は思った。


男性は「待て」をさせて、餌の皿をリトルの前に置いた。

「よし!」の号令と共に、餌に貪りつくリトル。


「かわいいですね……」朝子が声をかけた。

男性はキョトンとした顔をしている。


「ですねって…… 朝子、大丈夫か?熱でもあるんじゃないの?」

男性はツカツカと朝子の側にやって来て、横に座り、

彼女の額に手を当てた。


朝子は顔が熱くなった。

違う意味で熱が出そうだ。


こんな至近距離で男の人の顔を見たのは久しぶりだ。

しかも、なかなかのイケメン……


「熱はなさそうだな。少し疲れてるんだろう。

今日は早目に休むといいよ」

彼は笑顔で そう言った。


朝子は、恐る恐る聞いてみた。

「あのー……私と、あなたの関係を、お伺いしてもいいですか?」


男性は、少し困った顔で言った。

「僕の名前はたかし。 松澤 孝。君と僕は夫婦で、13年前から

ここで一緒に暮らしてる。リトルは仔犬の時に我が家へやって来た。

その頃は、小さくて可愛かったから、勢いで『リトル』なんて名前

付けちゃったけど、今は似合わないよね。君が付けた名前なのに……

忘れちゃった?」

孝が微笑んだ。


「また、ウチの親が、子どもの事を急かすような電話、よこしたんだろう?

いつも悪いね。朝子は気にしなくていいから」

孝はまた微笑んだ。


『松澤 孝……』どこかで聞いた事のある名前だ。

朝子は必死に、過去の記憶を辿った。


マツザワ…… マツザワ……

思い出した!高校の時の2つ上の先輩だ。


あの頃、彼に告白されて、朝子が振った相手だ。


ガリ勉で冴えない男の子のイメージだった。

活発な朝子にとって、眼中に入るようなタイプではなかった。


それなのに何故、その彼と結婚してるの?

それに、子どもって何の事?


「やっぱり私……気分が……」

混乱した朝子は寝室へ向かった。


と言っても、寝室がどこなのか分からない。

何となく二階への階段を上がった。


「ゆっくり お休み」

孝が下から声をかけてくれた。


階段を上がって、すぐ左側のドアは、彼の書斎の様だった。

右側のドアを開けると、ベッドが二つ並べられた寝室があった。


「広〜い!」

朝子が今住んでいるアパートの何倍あるのか……


そんな事より、とにかく考えなきゃ。

一体、何が起きているのか……


朝子が会社を出てから、ここへ来るまでの事を考えてみた。


知らない土地に辿り着いてしまった事、

不思議な喫茶店で、エスプレッソを飲んだ後、

ここに居た事も、夢だと思っていたが、どうやら現実で、

本当に、松澤 孝と夫婦である事……


じゃあ、子供たちは?

朝子は慌てて自分の携帯を探した。


ベッドサイドのテーブルの上に携帯はあった。

間違いなく自分の物だ。


でも、でも……

中身は知らないアドレスばかり……


子供たちと連絡の取りようがない。

孝に話しても、とても信じてもらえないだろう。


ベッドに潜り込んだ朝子は、

『子供たちを生んでいなければ……』と考えた自分を悔いた。


涙が溢れた。


考える事は山程あるのに、頭が言うことを聞かない。

目の前に、またもやがかかった。


朝子はそのまま眠りについていた。


翌朝、朝子はシャワーを浴びるため、浴室へ向かった。

浴室から出るのと同時に、孝がリトルの散歩から戻った。


「おはよう朝子!昨日より顔色が良くなった。

もう大丈夫だね。 僕もシャワー浴びるよ……

リトルに振り回されて汗だくなんだ」

彼が笑った。


着替えて、テーブルに着くと、家政婦のタミさんが、

「奥様、コーヒーでよろしゅうございますか?」

と尋ねてきた。


「そうね。あなたは?」朝子は孝に聞いた。


孝は身支度をしながら

「僕もコーヒー!」と言った。


朝食は、ベーコンエッグ、サラダ、コーンスープに、ライ麦パン。

いつも通りだ。


孝の職業は医者である。

父親が院長を務める病院で働いている。


腕もいいし、人柄に対する評番も上々である。

孝が院長になる日も、そう遠くないだろう。


孝とは、高校卒業後、5年後の同窓会で再会し、

朝子に振られた後も、まだ忘れられずにいたと、

もう一度告白され、交際がスタートした。


高校の時のイメージから一転し、爽やかな好青年になっていた。

何よりも、とにかく優しい人だった。


朝子の中の、昨日までの疑問や違和感は消失していた。

代わりに、孝との13年間の結婚生活が、記憶に上書きされていた。


朝子にとっては、今のこの生活が『当たり前の日常』だった。


「あなた、行ってらっしゃい!」

笑顔で孝を見送る朝子に、孝が言った。

「行ってきます! あ、そう言えば、週末に父と母が家へ来るって

言ってた。ま、気楽にいこうね……」


朝子は微笑んだが、心の中に暗雲が立ち込めていた。

「ふーー……」朝子は重い溜息をついた。


優しい夫。何不自由ない生活。

たった一つ足りないものと言ったら、2人の間に

子供が授からない事だ。


もちろん、不妊治療にも通った。

他の方法も試してみたが、どれも功を奏さなかった。


孝の両親がやって来るという事は、また、その事を責められるのだろう。


「子どもか…… 子ども?」

朝子は何かを思い出しそうになっていたが、思い出せない。


「何だろう……この違和感…」

一瞬そう思ったが、考えている暇は無い。

今度は何と言って、はぐらかそうか……


あの大きな病院の後継者が途切れてしまう事は、

松澤家にとって重大な問題だ。


朝子は自分が悪いと自責の念に駆られていた。

13年間ずっと……


夫にも自分にも、大きな問題はないようなのだが、

こればかりは自分達の意思では、どうにもならない。

朝子はまた重い溜息をついた。



週末、孝の両親がやって来た。


一通り挨拶が済み、テーブルに着いて会食が始まった。

何年経っても緊張する。

朝子にとって、息苦しい空間だった。


孝の母親が切り出した。

「で、どうなの?赤ちゃんは。不妊治療もしてるんでしょう?」


「母さん、もう、その話は……」

孝が、やんわりと遮った。


「大切な事だろう!朝子さんには何としても、

我が家の後継ぎを産んでももらわなければ……

お前は、一人息子なんだし…… ねえ、朝子さん……」

父親がそう言った。


朝子は俯いたまま、何も言えずにいた。


貧しい家庭で、決して恵まれていたとは言えない、自分の家柄の事も含めて、

朝子を受け入れてくれた孝には、本当に感謝している。


でも、この両親にとっては、最初から『不釣り合いな結婚』

という事で、猛反対されていたのだ。


その上、子どもが産めないなんて……


「そのうちさ。そんなに焦らなくても大丈夫」

孝が言ってくれた。


でも両親は言った。

「そんな事言って、朝子さんだって、もう若くないんだし、

子どもを産むなら、少しでも若い方がいいんだから……」


『そんな事、そんな事、私が一番良く分かってる‼︎』

叫び出しそうな言葉を押しとどめるのが、精一杯の朝子……


「朝子、このところ、体調があまり良くないんだよ。

悪いけど、今日はもう帰って」

孝が、両親に言った。


両親は渋々帰って行った。


両親が去った後、朝子は、

「ごめんなさい……」

と、孝の前で泣き崩れた。


「僕は気にしてないから。子どもがいなくたって、

僕達はちゃんと愛し合ってるし、うまくやってきたじゃないか」

孝は、そう言って、慰めてくれた。


孝は優しい。

孝の優しさが、余計に朝子を辛くする。


「本当に、ごめんなさい……」

朝子には謝罪の言葉しか浮かばなかった。



数日後、目覚めた朝子を襲ったのは、強烈な吐き気だった。

慌ててトイレへ行き、空っぽの胃が引っ繰り返りそなほど

胃液を吐いた。


『ストレスかしら?』

朝食のため、テーブルに着くと、タミさんが

「奥様、コーヒーで?」

と尋ねてくれた。


朝子の胸の辺りを、さっきのムカつきがまた襲って来た。

『何、これ……』

朝子はハッとした。


もしかしてと、掛かりつけの産婦人科へ出掛けた。


「おめでとうございます。6週目ですよ」


医師の言葉に、朝子の目から涙が溢れた。

「間違いないですか?」


「間違いないですよ。エコーにもちゃんと映ってますよ。ほら」

医師が指した画面には、小さな小さな豆粒のような胎児の姿が映っていた。


朝子は、驚きと、喜びを抱いて帰宅した。


帰宅した孝に、妊娠の報告をした。

孝も大喜びした。


諦めていたとは言え、やはり、孝も心待ちにしていたのだ。

「僕も、とうとう父親か……」

孝は、うっすら涙ぐんでいた。

照れ隠しの様に、やたらとリトルに絡んでいた。


朝子は、授かった命を、何が何でも守り抜くと決意した。



次の定期健診の時だった。

「エコーに胎児が映らない」と、医師が告げた。


「どういう意味ですか?」朝子は眉をひそめた。

「まだ分からないんですが、お腹の中で、赤ちゃんに

何かあったかもしれない、という事です」


「そんな‼︎」

朝子は叫んだ。

ここまで無理をしない様に十分気をつけていた。

そんなはずはない。


一旦、帰宅をして様子を見る様に言われたため、

暗い気持ちを抱えたまま家路に着いた。


まだ、孝には言えない、と思った。

あんなに喜んでいるんだもの……


いつも通り、帰宅した孝を、朝子は努めて明るく迎えた。

そして、いつも通り一緒に夕食を取り、ベッドに入った。


その日の深夜、朝子は下腹部の痛みで目が覚めた。

大量に出血していた。


孝と共に病院へ向かったが、

「残念ですが、今回は……」

と医師に告げられた。

結果は流産だった。


処置後、帰宅する事は出来たが、

一週間の絶対安静を言い渡された。


「あなた、ごめんなさい……」

朝子は、泣きながら孝に謝った。


「大丈夫!何も変わってないよ。君も、僕も。

それに……子ども、またできるかもしれないじゃないか……」

孝は精一杯、明るく言った。


やっぱり孝は優しい……

この人の優しさに惹かれたんだ。


でも、今は…… その優しさが辛い。

そう思う朝子だった。


書斎で一人になった孝は、声を殺して泣いた。


漏れ聞こえる、孝の泣き声が、

朝子の胸を、一層 (えぐ)った。







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