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現実同期

作者: さわ

 ちょっと、と呼ばれたとき、彼女は休日仕様の遅めの朝食を用意しているところだった。

 エプロンをかけたまま声の主のもとへ。部屋に入るなり、老人が鏡の前でファッションショーを繰り広げている光景が飛び込んできた。

「あら、お義父(とう)さん、ベッドの上までネクタイ広げて」

 ジャケットやシャツもいくつか比べた痕跡があったが、ネクタイの量に比べればまだ可愛らしい。

「どちらがいいかな」

 両手に一つずつのネクタイを交互に首元に重ね、鏡の前で唸っている。いつもはひとりで身支度を済ませる義父が、ネクタイの色を決めかねて呼んだようだ。

「そうですねぇ。明るい色の方が若々しくて良いんじゃありませんか」

 似合うより、かっこよさより、若く見える方が良いはず。

 彼女は知っていた。義父が若さを求めていることを。

 そして彼女のアドバイスに従って、彼は明るい色のネクタイを締め、ぴんと背筋を張って出かけて行った。


 その間に起き出したらしい。居間では少女が朝食をもそもそ食べていた。寝ぼけ眼で、テレビのニュース番組を見ている。最近は不治の病が治療できるようになったことを、連日特集として報道していた。

「おじいちゃんもう出かけたの? 早くない?」

「待ちきれなかったのよ」

 本人は老いを気にしているが、義父の心は若いままだ。




 何年もこの地で花屋を開いていた彼女が覚えている限り、その客は初めてその日やって来た。

 かっちりとした格好の、明るい色のネクタイを締めた老人。

「花束をいただきたい」

 彼は髪を撫でつけながら、端的に注文した。

「予算はおいくらくらいをお考えですか」

「いくらでも」

「どういった花束になさいますか。最近機械を導入したので、一瞬でプリザーブドの花束も作れますよ」

 プリザーブドフラワーの花束は、少し値が張るが最近人気のものだ。花粉アレルギーの心配がなく、水を与える必要もない。一昔前は破損しやすいことが問題だったが、新しい薬液が開発されたことでそれも解消された。

 しかし老人は首を横に振った。

「きっと驚かせてしまうだろうから、生花の――昔ながらの花束でお願いしたい」

「どなたに贈られるんですか」

「大切な人に」

 初めて来た客ではあったが、彼女は老人のことを知っていた。

 彼が、近所のとても裕福な家に住んでいること。

 息子とその嫁、娘と仲睦まじく暮らしていることも。そして、彼女が店を開く前から、彼の妻は傍らにはいないことも。

 お供え用の花束なのだろう。今日が命日なのだろうか。

 彼女はいつもより厳粛な気持ちで花束を作った。片腕で抱えるほどの花束を受け取り、彼は礼を言って去って行った。

 老人の表情に悲しみはなく、過ぎた年月の長さを感じ取った彼女だったが、ふと気づいて首を捻った。

 あの老人は、今までどこで花を買っていたのだろうか。




 確かめたいことがあった。しかし急ぐわけではない。

 だから彼女は、師長、と呼びかけようとして、目的の人物が誰かと話していることに気づき口をつぐんだ。

師長が話している相手は花束を持った老人だ。見舞いだろうか――いや。

 この前入院手続きをしに来た方だ。

 自分が担当したわけではなかったが、印象に残っていた。古株の職員何人かと、何やら話し込んでいたから。

「あのときは、妻がお世話になりました」

「いえ、力及ばず……」

「当時は不治の病でしたから」

 どうやら、彼の妻が昔入院していたらしい。

 老人は深く頭を下げる。

「またお世話になります」

 彼もまた、同じように病にかかってしまったのだろうか。その花束は、病状を墓前に伝えにいくためのものだろうか。

 しかし、顔を上げた彼の顔は晴れやかで、高揚感さえ感じさせるものだった。

 不思議に思いつつも、ひとりになった師長を捕まえ質問する。

「あの、明日入院される方の年齢なんですけど」

「ああ。これはこれでいいのよ。表記に迷ったのだけどね」




 メトロノームが二つ、一つの板の上に並んでいる。そんな図案の社章を彼は胸につけていた。

 彼はパソコンのメッセージを開く。技術部から『予定通りで構いませんか』という確認。

 今度はスケジュールを二つ開く。どちらも内容は同じだが、三十分時間がずれている。

 予想通り、予定外の動きがあるはず。彼は腕時計を確認し、そろそろだろうと画面を見つめる。数秒も経たないうちに、片隅に新着メッセージが表示された。『社長がいらっしゃいました』

 呆れまじりのため息をつく。そして、『予定通りでお願いします』と返信した。


 ガラスでできた壁の前で、老人が歩き回っている。

 どちらで呼ぶべきか。迷った後、彼は「父さん」と呼びかけた。

「指定した時間より三十分早い」

「遅刻するといつも怒られていたから、早く来ないと」

「……そんなことだろうと思って、三十分早いものを予定として提出しておいた」

「それならもっと早く来たのに」

「時間通り来てほしいからそうしたんだよ。待ちたくないだろ」

「三十分なんてちょっとじゃないか。待ちくたびれて、じいさんになってしまったからな」

 ガラスの向こうでは、社員達が忙しなく動いていた。いくつかのセキュリティが解除され、奥にある金属の扉が開かれていく。

 父親はその奥を見ようと、花束を置いてガラスに張りついた。つぶれた感触から、それは生花であるらしい。

『保存』(プリザーブド)の花だったら、怒られてたかもな」

 入院患者に鉢植えの植物を贈るようなものだったかもしれない。

 息子の言葉を聞いているのかいないのか、父親はじっと眼を凝らしている。

「花束は、プレゼントだ。惚れ直してもらわなきゃならないからな」

 そして、何十年も待ち望んだ瞬間がやってくる。

 扉の向こうから、カプセルが運び出された。人間ひとりが入る程の、無骨なカプセル。

 社員が厳かに運んでいく様は、それを棺に連想させる。しかしその実、まったく正反対の性質を持つものだった。




 少女はコートを身にまとい、肩からポーチもさげている。出かける準備は万端だった。

「ママぁ、まだー?」

 頬杖をついてテレビを眺める。母親はまだ部屋から出てこない。大きな画面の中では、正午のニュースが始まっていた。

「もうちょっと待って! ママも初めて会うからおめかししないと」

「もうちょっとってあと五分? 十分? さんじゅっぷーん?」

「そういう細かいとこパパに似てきたわねえ!」

 もうちょっとが本当にもうちょっとだった(ためし)がない。少女はふてくされた顔でテーブルの上に伸びる。

 テレビがCMに切り替わった。

 メトロノームが二台、映し出されている。一台は動いているが、もう一台は静止していた。そう間を置かず画面の外から手が伸びて、もう一台も動き出す。

 ばらばらに音を刻んでいた二台が徐々に揃い始め、やがて完全に音が重なった。

 社名が前面に表示され、ナレーションが入る。

『大切な人と、同じ時を刻むために。安心安全なコールドスリープを提供しています』

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