6:秘密のはなし
「アキラさん、アキラさん」
小さな手が肩をたたく。船を漕ぎ始めていたアキラは、びくり、と肩を震わせ、我に返った。もう窓の外は真っ暗で、月明かりの青白さが、建物の壁を暗闇に浮かび上がらせていた。
ただ、風が出てきたようで、窓ガラスの外を時折、風を切る音が走り抜けていく。
「なんかお話ししませんか?」
こしょこしょ話しである。大きな部屋なので、他の人には聞こえていないみたいだ。ベッドの向こう側の召使は、と見ると、ベッドに突っ伏して、もう寝息を立てていた。
「なんかドキドキしちゃって、眠れないんです」
召使の方が、肝っ玉が大きかったということだろうか。
「なんかって、何を話すんだ?」
「なんでも良いですよ」
なんでも良い、と言われたって、そんなに話の種なんて持ち合わせていない。
「俺、別に面白い話なんてできないぞ」
「それなら、私の質問にあなたが答えてください。よろしいですか?」
よろしいですか、と尋ねられ、そのどこか有無を言わさぬようなところに、アキラはおもわず首を縦に振ってしまった。ルナリアは、いたずらっ子のように笑った。
「じゃあ、あなたはいつも、どんなお仕事をなさってるのですか?」
「八百屋だ。八百屋で雇ってもらってる」
「八百屋って、あの、お野菜を売っているお店ですか? 朝早くから、運河にでてらっしゃいますよね」
確かにこのウィアベルの街には、近くの川から細めの運河が引かれていて、一週間に一度くらいは上流から届いた荷物を卸しに行くことがある。
「ああ、その八百屋であってる」
「へえ! 働き者なんですね! …………えっと、お名前、なんて仰いましたっけ」
「アキラ・インウェニアムだ。アキラって呼んでくれ」
「えっと……、では…………、アキラ。アキラは、私のこと、好きですか?」
「ばっ…………」
おもわず大きな声が出そうになって、慌てて咳払いをして誤魔化した。ちょうど良く風も吹いてくれたみたいだ。
「ばかか、お前。あって間もない人間が好きかどうかなんて、分かるもんじゃねーぞ」
「そういうものなんでしょうか?」
「ああ。あとな、ひとつ言っておく」
アキラはそこであたりを見回した。幸い、誰もこの会話を聞いていないようだ。聞かれてたら、明日からこの街で暮らしていけないかもしれない。
そんな言葉を、目の前の(あくまで客観的に評価したらそういう評価になるだけだが)美少女にかけるなど、世の男どもに袋叩きにされるかもしれない。
「お前の事を好きになる余裕なんてない」
「衝撃的な事実!」
わざとらしく、彼女は驚いてみせた。もちろん内緒話をする声で、だ。その声で話すと、どうも声に息が多く混じる。彼女の吐息が頰にかかり、アキラは少し身を引いた。なんとなく気まずかったからだ。
「なんでですかなんでですか?」
「俺たちはいま、曲がりなりにも仕事中なんだ。怪盗ソキウスは、おそらく、これだけ見張りを出しておけば、お前の事をさらう事は出来ない。だとしても、一応は気を貼っておく必要があるんだ。
あと、お前、外であんまりそういう冗談言わないほうが良いぜ」
「あなたが、冗談を冗談と解る人だと思ったから、私は冗談を言ったのです」
部屋にみちる静かな光が、彼女の横顔を映し出した。すまし顔だ。でも、それは、いたずら心を隠すためのお面に見えた。
雰囲気と外見に似合わず、案外やんちゃなのかもしれない。
「ったく、ヒヤヒヤするよ」
「それくらいの会話の方が、暇つぶしにはちょうど良いでしょう?」
「確かにな」
なるほど、彼女は暇つぶしをしたかっただけのようだ。こちらが夜を徹して護衛をしているのに良いご身分で、とアキラは捻くれたくなったが、彼女はそんな事が解らないほど常識知らずではないだろう。
アキラは訊いた。
「お前、怪盗ソキウスに狙われてる、っての、怖くないの? 生身の人間なのに、だぜ?」
機械傀儡の駆動には二種類ある。魂石を外体に嵌め、機械傀儡として動かすのは同じだ。しかし、片方は機械傀儡に術者が憑依し、外部から操作する方法。もう一つは、魂石を百個単位で溶かし合わせ、純度を極端にあげた『魂玉』に、死んだ人間の魂を丸ごと放り込み、これを外体に埋め込んで、外側から憑依する事なしに機械傀儡を操作する方法である。生きている人間が脳でまかなっている記憶や判断の能力を魂玉で行う必要があるので、魂石よりも純度が高い必要があるのだ。
もちろん、後者は禁術である。理由はいろいろだ。人が増えすぎる、とか、そもそも魂石を大量消費すれば、機械傀儡が必要な人に魂石が回らなくなる、とかだ。なにせ、魂石自体、魔石を千個単位で溶かし合わせ、精製したものなのだ。
もし、ルナリアがどちらかの方法で駆動していると仮定すると、この、護衛七人体制はとても効率が悪い。埋め込んだ魂石か魂玉を、取り外してどこかにしまっておけば良いのである。怪盗ソキウスは外体は盗まないようだし、それで十分なのだ。
だから、目の前にルナリア自身がいるという事は、彼女が生身の人間である、何よりの証拠だった。
ルナリアは答えた。
「怖いですよ。でも、お父様がこれだけの魔術師さんを呼んでくださったのです。無理にでも安心して見せるのが、筋というものでしょう」
「それ、暗に不安だって言ってるのと、変わりなくないか?」
「いいえ。私は怖くありません」
そういうものか、とアキラは思った。
「それに、世を騒がす怪盗ソキウス、一度そのお顔を拝見してみたいと、アキラは思わないんですか?」
「そりゃまあ、思うけどさ。別にそんな野次馬根性が強いやつばっかじゃないしな」
「野次馬ではありません。知的探究心です」
思ったよりも冒険心が強いお嬢様みたいだ、とアキラはこっそり思った。もちろん口に出したりなどしない。そんなことをしたら、その冒険心という名のいたずら心で、もっと面倒くさくこじれてしまうに違いない。
それにしても、旧家のご令嬢と夜の内緒話だというのに、ちっとも、聞いていて頰を赤らめたりできない会話だ。むしろ、こっちが押され、いや、呆れさせられるくらいだ。
「知的探究心は、大いに結構だ。でも、お前には静かにしていてもらわないと、こっちが困るからな。もし奴が来たって、ぜったいこっちから顔を見に行ったりしたらだめだぞ」
「解りました。でも、残念ですね。まだ見ぬ怪盗ソキウスさんのお顔を拝見できないなんて」
ふふ、と彼女は微笑んだ。もちろん小声だ。
涼しげな目元が不意に和らぎ、かすかな明かりがその顔を照らす。その笑顔に、アキラは次の言葉を失いかけた。
「お前なあ………………」
「冗談ですよ」
彼女はそう言うと、自分に掛けていた布団の端を掴んで引き上げようとした。が、思い直して、体をアキラと反対の方向に捻った。さっき、召使に頼んで持ってこさせていた、ポットとカップだ。こんなところで飲むなんて行儀が悪い、と叱られていた彼女だったが、それを無理に押し通したのだ。「不安だから」と。
「これ、飲みますか?」
彼女が差し出したのは、暖かい葡萄酒だった。
「もう夏だってのに、温めて飲むのか」
「ええ、暖かいものを飲むと気分が落ち着きますから」
目を見合わせる。
「誰に捧げましょうか。あ、そういえば、アキラは八百屋で働いているのですから……」
「そうだな」
アキラもその視線に答える。二人で盃を小さく掲げる。
「豊穣の女神に捧げる」
暖かい葡萄酒は、体の中から溶かしていくような、そんな気分になった。この上なく幸せな感じがする。
「美味いな」
「でしょう。ちゃんとした葡萄酒を扱ってるのに、みんな薄めたとか何か混ぜただろとかいうんだもん。嫌になっちゃう」
そりゃ、自分で飲む分の葡萄酒は飛びきり高級なものを揃えておくだろ、とアキラは思った。思ったが、彼女にはそのまま幸せな勘違いをしていて欲しかった。アキラはそのまま黙っておく。
やがて、会話が途切れた。
暗闇で黙っていると、心の深く、暗いところから、眠気がアキラを呼んだ。アキラは抗うこともなく、眠りへと引きずり込まれていく。
今は眠ってはいけないのに、深い眠りへと落ちていく………………。