3:セレーネ商会へ
そして、翌日の夕方である。
アキラはやっぱり不安だった。隣の肉屋のエドに話したら、
「それって、やっぱり危険な仕事なんじゃね? だって、割が良すぎるじゃん」
と言われ、アキラのモヤモヤしていた不安は、はっきりと形を持ってしまった。
セレーネ商会といえば、ひところはそれこそ栄華を極めていたものの、ここ最近は商売がそんなに上手くも行っていない様だった。利益が減ったから、ぶどう酒に水を混ぜて薄くして売っている、などと市民に囁かれる始末だ。
そこが、わざわざ一晩のお守りに、金貨十枚も出すのだろうか?
教会前の広場を通り過ぎ、言われた通りにカンパニュラ通りへと入る。いくらも行かないうちに、セレーネ商会は現れた。
やはり、周りの建物と比べても、ひときわ大きな建物である。入り口には兵隊の様な格好をした門番が二人立っていて通りを睨みつけている。入り口には鉄格子が嵌っていて、奥には、着いたばかりであろう、荷物を乗せた馬車が見えた。さすがは商会、傾きかけとはいえ、やはり金持ちだ。
アキラはすっかり怯み上がった心を押さえつけて、門番に話しかけた。
「すみません、こちらのルナリアさんの身辺警護で参った者なのですが」
「…………君がかい?」
門番はアキラを訝しげに見下ろした。確かに、アキラは背は高いほうじゃないし、筋骨隆々というわけでもない。
しかし、《募集内容》に「筋骨隆々の男」などと書かれていなかったのだから、ガタイが良くない男が来たって文句は言えないだろう。アキラは開き直った。
「おい、お前、ニコラス様に訊いてきてくれないか?」
鉄格子の向こう、馬車から荷物を下ろしていた男に、門番はそう声をかけた。中の男はこちらの話を訊いていたのだろう、「おう」とだけ答えて、そのまま奥へと消えていった。
門番は、アキラと会話をしようという気さえないようで、不躾な視線でアキラを眺めては、「こいつがルナリア様のお守りをするのか?」「お守りだけなら、別に関係なかろう」「でも、ほら……」「あんなこと書いたら、素性の知れない野次馬が押しかけるに決まってるだろ」「こいつだって、どこの馬の骨か分からないじゃないか」「それも……、そうだな」
アキラは、失礼な会話を聞き流していた。そのせいか、時間が早く過ぎた様に感じられる。
奥のほうからさっきの男が小走りで来て、鉄格子越しに門番に耳打ちした。彼は頷くと、鉄格子についた扉を開けて見せた。
「ようこそ、セレーネ商会へ」
急に物腰柔らかくなった彼を見て、アキラは少し可笑しく思った。
階段を三階まで上がり、客間へ通された。広い廊下の途中に、似たような扉がたくさんある。その中の一つが客間だった。
「こちらへ」
重そうな扉が、ぎぎ、と軋んで、徐々に中の部屋が見える様になる。アキラは吸い込まれる様にして、足を踏み入れた。
三階ともなると、ガラス越しに入ってくる光もそうとう明るい。光の中に浮かび上がった様に、部屋の中のものが目に飛び込んでくる。
柔らかそうなソファ、美しい装飾のついたテーブル、踏みしめて良いのかさえわからない絨毯。
そして、彼女がいた。
明るい部屋へ踏み出そうとしたアキラの足は、縫い付けられた様に止まってしまった。
思いがけず、目があってしまったのだ。
燦々と降り注ぐ光の下、背筋を美しく伸ばし、じっと、珍しいものを見るかの様に、青い瞳がアキラを見つめている。その瞳が逃れることを許さないかの様に、アキラの心を覗こうとしてくる。目を逸らせない。彼女から、目が逸らせない。
金色の髪が光を返し、彼女の周りだけは、何かの祝福を受けたかの様に、明るかった。
アキラは、いつの間にか息が詰まっていたことに気がついた。ここまでついてきた門番に、乱暴に背中を押される。冷静に室内を見回してみると、彼女の隣に一人中年の男、そして、部屋の隅にはすでにガタイの良い若い男たちが、数人集まっているのが見えた。
「さ、早く」
アキラは我に帰り、ぎくしゃくした歩き方で、部屋の真ん中、ソファーの横へと立った。彼の歩き方を見て、彼女は微笑んだ。
と、彼女の隣に座っていた男が、アキラに声をかけた。立派な髭を蓄え、なんだか偉そうな態度が、しぐさ一つ一つににじみ出ている様な男だ。
「座りたまえ」
「あ、はい」
アキラはこそこそとソファに腰掛けた。思ったよりも柔らかく、思ったよりも沈み込む。バランスを崩して後ろのめりになり、背もたれにバウンドして、今度はちゃんと座りの良い姿勢になった。
そんなアキラを見て、ピクリとも口角を上げず、男は言った。
「君は、魔術師派遣協会を通じて申し込んだ。間違いないね」
「はい」
「じゃあ、仕事内容についても、ある程度は知った上で来たんだね」
「はい、ルナリア・セレーネさんのお守りと身辺警護だと……」
「私がルナリアです。今日は、よろしくお願いします」
鈴降る様な声がする。そして、彼女はゆっくりとお辞儀をした。小さい頃から躾けられてきたのだろう、少しの乱れもない、淑やかな会釈だった。アキラはどぎまぎして、不恰好な礼を返すだけだった。
おほん、と咳払いの音がした。
「セレーネは私の娘で、私はニコラスだ。では、詳細の説明に入ろう」
「よろしくお願いします」
どうも、目の前の男とはリズムが合わない。
「怪盗ソキウス、と巷では呼ぶそうだが、その怪盗のことを、君は知っているかな?」
「はい、一応は」
最近よく耳にする。それに昨日は、犯行のあった場所そのものを見たのだ。
「なら、話が早い。奴から、こんな犯行予告が届いた」
彼はそう言うと、テーブルの上に畳んであった紙を、ルナリアに開かせた。粗末な紙を、四隅を合わせることもなく雑に畳んである。が、そんな月さとは裏腹に、中に見えたのは流れる様な達者な筆致だった。
『次の満月の夜、君を奪いに行く。君の味方より』
男女の関係なら何か勘違いをしてしまいそうな文だが、もちろん差出人は泥棒である。欠片もロマンティックじゃない。
「で、怪盗ソキウスは、今日現れるのですか?」
「ああ、今日まで現れなかったのだから、現れるとしたら今日だろう。勿論ただのイタズラである可能性もあるが」
ニコラスは髭をいじりながら、険しい顔をした。
「だから、今日に合わせてこの仕事を発注した。君を含めて、八人の魔術師が派遣されてきた。
今夜は、君たちで、一晩ルナリアを護衛してほしい」
「わかりました」
アキラは答えた。答えながら、心の中で思う。
これが、報酬を弾む理由なのか、と。
しかし、奥に居並ぶ他の七人を見て、少しアキラの気は落ち着いた。あれだけ猛々しい若者が集まっているのだから、何かが起こっても、自分の仕事は少ないだろう。何も起こらなければ、金貨十枚、丸儲けだ。
能力が高くない自分を認めるのは嫌だったが、一度それを我慢すれば、嘘の様に気が楽になるのだ。
「では、夜が更けていくまで、ここでお待ちいただこう」
ニコラスは、これで話は終わりだ、という様に、そう宣言した。とっさにアキラは「あ、どうも」と言ってしまう。
目の前の少女は、くすり、と笑った。