2:魔術師用の仕事
昼飯を平らげ、彼は再び広場へと出た。この地方特有の、乾燥した夏の暑い空気が彼を包む。
向かうは魔術師派遣協会ウィアベル支所だ。
「うええ、あっつ」
目が痛いほどの青空だ。真夏の日は容赦なく石畳を焦がす。ひりひりと焼けていく首の肌をさする。
この暑さだからだろう。広場に軒を連ねる店々には客の姿もまばらになっており、客を呼び込む声さえしない。運河から引かれ、広場を横切る小さな川も、暑い空気の底によどんでしまったようだ。見ていても、全く涼しくない。
アキラはよろよろと広場を抜け、街の目抜き通りへと入った。木組みの三角屋根の、桃色や薄黄色の、三、四階建ての家々が両側にぴったりと並んで、通りを見下ろしている。家々の一階は、そろって種々雑多な店になっていて、こちらは広場よりも客足があるようだった。
そんな目抜き通りの中にあるのが、アキラの目指す魔術師派遣協会ウィアベル支所だった。両側に並ぶ家と変わらない、白い壁の建物だった。
重い木のドアを押し開ける。
まず、黴くさい匂いが鼻をつく。昼間の光に慣れた目が、やがて暗い室内を正確に捉え始める。
入った正面にある木の長テーブル。その前には、同じく木の椅子が何脚か。テーブルの向こうには大きな戸棚があり、もう何年そこに差さっているのか、埃まみれの書類や、何に使うのかわからない道具たちが置かれている。
目を左へずらしていけば、そう言った家具たちの仲間のように、じっと動かないでいる老婆がいる。暗い室内で、日がな一日そうやって書物を読み耽っている。仕事の募集に応じようという者が声をかけたときだけ、迷惑そうに動いて返事をする。彼女はこの魔術師派遣協会ウィアベル支所の所長、オルガだった。
入って右には、壁に巨大な木の板が打ち付けてあり、ピンでいろんな紙が留めてある。仕事の募集だ。魔術が使える者への求人である。仕事を探す者はこの中から好きな仕事を選び、その紙をピンから外して、オルガの元へと持っていくのだった。
挨拶をすると、オルガは迷惑がる。アキラはそれを知っていたから、何も言わずに仕事の募集情報たちの前に立った。
『機械傀儡用の魔石作成 一個あたりクブルム銅貨一枚』
だめだ、とアキラは思う。魔石を作るには、決まった鉱物を決まった量だけ混ぜ合わせ、熱して溶かし、そこへ魔力を流し込まなければならない。自分の魔力だって、使い果たせば貯まるまで待たなければならない。貯まるのに時間がかかるし、彼には作れて三十個が限界だろう。
魔石一個あたりの売値の相場はこの銅貨一千枚は下らないから、こんな、一個あたり石ころの様なパン一欠片くらいしか買えないような報酬は、決して良いとは言えない。
『豪雨で流された橋をもう一度架け直します 報酬は応相談』
またも、だめだ、とアキラは思った。一人一人、魔術の『最高瞬間出力』は決まっている。アキラのそれは、せいぜいジャンプ力が高くなるくらいのもので、橋の建築資材なんかを運んだ日には、この歳で腰を痛めてしまうだろう。却下。
『女の子のお守り 日没から翌朝の日の出まで 報酬アウルム金貨十枚』
……、こんな割のいい仕事があるだろうか?
アキラはしばらく動きを止め、その募集広告を見た。どこからどう見ても、書かれたこと以上のことは何も書いてない。お守り、という言葉がよく分からないが、つまり一緒にいれば良いということだろう。
アキラはその紙をピンから外すと、奥の長テーブルへと向かった。
「オルガおばさん、仕事、受けたいんですけど」
「ん?」
丸くなった背中の向こうから、ぎろり、と鋭い視線が飛んだ。深いシワの刻まれた瞼の奥の目が、品定めする様に透をねめつける。
「ああ、アキラか」
嗄れてはいるが、床を揺らして響く様な声だ。アキラはぴらぴらの紙切れ一枚を、古びて黒光りするテーブルに置いた。オルガは目を細めて手元の文字を読むと、大儀そうに立ち上がり、後ろの棚をごそごそ漁り始めた。
その間、アキラは気まずさを覚えながら、突っ立っていた。
棚の一番上を左から右まで漁った後、二段目に降りてきたあたりで、オルガは目当てのものを見つけたらしかった。
「はい、契約書はこれね。募集内容を確認したら、ここ、サインして」
「はい」
ぶっきらぼうにそういうと、オルガはまた定位置へと戻っていった。アキラは、オルガが何かに蹴躓かないか、彼女が定位置に戻るまで見送った後、手元の紙に目を落とした。暗くて見づらい。目を凝らして字を読む。
四角く角張った字で、こう書いてあった。
《募集内容》
・仕事内容:ルナリア・セレーネのお守り、および身辺警護。
・場所:教会前の広場の東、カンパニュラ通りのセレーネ商会。
・期間:次の満月の夜の日没から翌朝日の出まで。
・報酬:アウルム金貨十枚
問い合わせはセレーネ商会まで。
何にも怪しいところは無いと思う。アキラは何度も紙を確かめ、そして、傍にあったペンにインクをつけ、サインをした。
「オルガおばさん、サインしたけど」
「あ? ああ、そうかい。仕事は明日の夜から。こっちから向こうに連絡しておくから、明日の日没前、遅れずに向こうに行くんだよ?」
「わかりました。ありがとうございます」
アキラの返事に、オルガは何も答えなかった。闖入者がいなくなるので、せいせいしたのだろう。彼女はもう、手元の本へと視線を下ろしていた。
重い扉を押し開ける。乾いた暖かい空気が、彼を包み込んだ。
風の中に涼しさが混じって、陽はまだまだ高いが、そろそろ夕方が近づきつつあった。
と、彼は、通りの真ん中に、人だかりができていることに気がついた。若い男と女、おじいさん、おばあさん、子供達。みんな輪になって、でも、誰もがそれ以上中へは行こうとしない。妙な距離感を保って、何かの状況を伺っている様だった。
アキラも自然と早足になる。よく中が見えない。人だかりの外側から中を覗き込んでいる男に声をかけた。
「なにかあったんですか?」
「ああ、また、『怪盗ソキウス』だ」
男は、自分が何かを盗まれたわけでも無いのに、ものすごく悔しそうな表情だった。
「白昼堂々だぜ、こんどは。女の子が一人倒れたかと思ったら、もう盗まれてた」
「こんな真昼間にですか?」
「ああ。ボロ切れをかぶってた。俺とか、あそこの靴屋のおやじとかで追っかけたんだけどさ、やつ、どうやって逃げたと思う?」
「どうやってって……、普通にここを走って逃げたんじゃ無いですか?」
「いや、それがだ。あいつ、この木の骨に捕まってさ、ひょひょいって壁登って、そのまま屋根を走って行きやがった。そんなんされたら、どうやったって追いつけないさ」
彼は「クソが!」と吐き捨てると、もう一度人混みの中を見やった。つられてアキラもそちらを見る。
茶色い髪をした、アキラより少し年下くらいの女の子が、眠っているかの様に石畳に倒れていた。
『怪盗ソキウス』、機械傀儡だけを狙う、最近話題の泥棒だ。
機械傀儡とは、魔女が作り上げた一種の人形で、人の体をそっくり模した『外体』と、それに命を吹き込む『魂石』からなる。
所有者は自らの魔力、もしくは、魔石を飲み込んで得た魔力によって、この機械傀儡に憑依する。普通、他人に憑依することは、憑依される側の意識が残っている限り難しいが、機械傀儡の『外体』にはもともと意識が無いため、簡単に憑依できる。
憑依すると、所有者の五感は機械傀儡を通して伝えられる。この時、所有者の意識を通じて伝えられる『外体』への指示を実行に移すためのエネルギー源が、赤く輝く『魂石』で、これこそが機械傀儡の、文字通り魂なのだ。普通、人間の心臓と同じ位置、つまり、左胸に埋め込まれる。
つまり、ベッドに寝たまま、機械傀儡を買い物に行かせることもできるのだ。そして、巧妙に作られた『外体』を、人の意思で動かしているのだ。
機械傀儡は、人と見分けがつかない。
怪盗ソキウスは、この『魂石』を狙った泥棒である。もう、何ヶ月も前から、ウィアベル中で被害が報告されているが、どれにも共通しているのは、機械傀儡から『魂石』だけがえぐり取られていること、そして、被害にあったパペットの上に「君の魂石、お借りします 君の仲間より」と書かれた犯行声明文が置かれていることだった。
連続で同じことが起こる。何件かは便乗した輩が何かやらかしたとしても、大部分は一人によるものだろう。人はこの怪盗を、いつしか怪盗『君の仲間』と呼ぶ様になっていた。
アキラは再び、人混みの中心である、女の子を見た。彼女は『外体』だ。ああやって倒れていても、血の気が引いたりはしていない。ただ、エネルギーを失っただけだ。いつしか持ち主が取りに来たりするのだろうか。
機械傀儡は、人と見分けがつかない。
だから、ああやって魂石を失って初めて、人は「ああ、彼女は機械傀儡だったんだ」と分かる。なんとなく、納得がいかない。怪盗ソキウスが何か事件を起こすたび、アキラは不思議な気持ちになった。
アキラは人だかりを抜け出すと、ちらりと一回女の子を振り返り、そして、またウルフの店へと歩き出した。