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プロローグ

 赤毛の少女は、静まり返った闇の中で深呼吸をした。

 すっかり昼間の熱を失った石畳に膝をつき、じっと通りを窺っている。彼女の横顔に、細い月明かりが一筋だけ差していた。


 何度経験しても、この瞬間だけは慣れないのだ。彼女は衣擦れの音、自らの呼吸の音にさえ気を配りながら、額に浮いた汗を腕で拭った。夜の街だ。誰もそんな小さな音に、耳を傾けたりはしない。

 でも、自分は泥棒なのだ。こそこそすることが、仕事のようなものだろう。

 彼女はそう思い、無理やりに微笑んだ。


 小さく息をついて、通りの向こう側、この街にはありふれた木組みの家を見る。昼間なら色とりどりの家々が立ち並んでいるのに、今はどの建物も藍色の闇に眠っている。窓から見える家の中は、灯りも消され、人はみな寝静まっているに違いない。


 今だ!


 心臓が躍る。

 少女は足音を殺して、一気に通りを渡る。素早くその家の壁に取り付く。窓枠や、縦横斜めに走る木骨、能うかぎり全ての手がかりに、両の手足を乗せて、一気に壁を登りきる。躊躇してはいけない。本能のままに、感覚を研ぎ澄ませ、軽やかに身を躍らせる。


 やがて、三角屋根のてっぺんに出た。

 星の光の雨が降る、明るい夜空だった。

 もう一度呼吸を整える。腰の鞘に手をやって、短剣を逆手に握る。


「よし」


 小さくつぶやくと、彼女は器用に瓦を踏みしめて屋根を走り、にょっきりと屋根に突き出した煙突へと飛びついた。

 窮屈な煙突の中を、両手両足を突っ張りながら降りていく。この季節だからだろう。はるか下に見える煖炉は真っ暗だった。


 やがて、彼女は建物一階にある煖炉の口から這い出した。服が煤くさい。顔にだっていっぱい塵が付いているだろうし、赤いくせっ毛にもたくさんゴミが潜り込んでいるに違いなかった。


 でも、そんなことを気にしている場合じゃない。三階建ての三階の小部屋に、目標はいるのだ。

 木板の張られた階段を、軋ませないように登り、三階へとたどり着く。

 三階には四つの部屋があった。迷いなく、彼女は一つの部屋の扉へ手をかけた。

 扉を静かに、それでいて大胆に開け放つ。


 彼女は見た。

 幸せそうに微笑む顔を。毛布の端を握る小さな手を。出窓から忍び込み、彼の金色の髪を照らす、青い月明かりを。

 小さな男の子が、静かな寝息を立てて寝ていたのだ。


「ごめんね」


 彼女は静かにそう言うと、男の子の傍へと歩いて行った。この街では裕福な方の家だ。ベッドはふかふかで、小さな男の子の体重でも、深く沈み込んでいる。

 彼女は男の子の毛布に、短剣を持った手を忍び込ませた。


「ッ⁉︎‼︎」


 男の子が目を醒ます。青い目が、驚きと憎しみで見開かれ、その中央に彼女の姿を映した。

 彼女は無表情に、彼の口元を左手で覆った。苦しげにくぐもったうめき声が部屋に響く。

 彼女はそのまま、ぐっ、と力を込め、切っ先を左胸に突き刺し、何かをえぐり取った。右手で掴み、そのまま毛布から引き出す。

 男の子はその瞬間、ぐったりと力を失った。青い瞳は再びまぶたに隠され、また、幸せな寝息を立てているかのような表情になった。


 でも、今はもう、息をしない。


 彼女の引き出した右手には、ちょうど、深紅の琥珀のようなものが握られていた。人の臓器とは程遠い、無機質で透き通った、「石」だった。

 彼女は「石」を、腰の皮袋にしまい、短剣を鞘にしまった。乱れてしまった彼の毛布をかけ直し、もう一度彼に声をかける。

 優しく語りかけるような声だ。


「ちょっとこれ、借りるね。おやすみ」


 彼女は懐から折りたたんだ紙を取り出し、それを広げて彼の毛布の上においた。そのまま、三階の出窓を開け、外へと飛び出す。

 三階分の高さを飛び降りても、彼女は何ともしなかった。石畳に足がついた次の瞬間、彼女は夜の通りを、月とは反対方向に走り去った。

 月だけが、一部始終を見ていた。

 光差す彼の部屋には、彼女の置き土産だけが、ぽつんと取り残された。


 君の魂石こんせき、お借りします。

                         君の仲間より


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