あの子が鈍感で困っちゃう
冷めたコーヒーほどまずい飲み物はないと思う。
なんとも言えない酸味が強く感じられて、好きではないのだ。それが好きだという人もいるだろうし、本当に美味しいコーヒーは冷めてもおいしいのかもしれないが、とにかく私は嫌いだ。そんな冷めたコーヒーを今、ちびちびと飲んでいる。酷い味に顔をしかめてミルクと砂糖を加えるが、熱くないので砂糖がなかなか溶けない。スプーンでよおくかき混ぜてから飲んでも砂糖が砂のようにジャリジャリと舌にまとわりついて不快だ。イライラする。
私が不機嫌なのはコーヒーのせいだけではない。目の前の存在が普段は気にかけないコーヒーの味にまでケチを付けたくさせるのだ。
「この子結構かっこいいよね。なのにね、特技は早食いだって! イロモノ扱いなのかなぁ~。雪菜は新しく入ったこの子どう思う?」
喫茶店の二人席テーブルに雑誌を広げて尋ねてくるのは同級生の夏葉。緩やかなウェーブを描いた茶色く長い髪が特徴のおっとりぽわぽわした女の子で、クラスでは癒やしの女神的なポジションに収まっている。肩まで伸びたストレートの黒髪にツリ目でキツイ印象を与える私とは対照的だ。
彼女とは中高一貫校の中学一年生の時から現在高校二年生までずっと同じクラスで出席番号も近かったので、自然と仲良くなった。多分、お互い親友だと思っている。気恥ずかしくて口にしたことはないけど。
意外なことに夏葉は、若い男の子を集めてグループを組ませて歌い踊らせたり、ドラマに出したり、バラエティ番組で喋らせたりする某事務所のアイドルたちにご執心な、所謂アイドルオタクというやつである。アイドルについて語らせるとマシンガントークが止まらない。彼女自身、それが恥ずかしいことだと思っているようで、一番仲の良い私にしかアイドルの話をしない。全く興味の無い話題なのだけど、楽しそうに話す夏葉を見ていると幸せな気分になるので適当に話を合わせていた。そう、今までは。
「え? いいんじゃないの。歌上手いし」
「なんだかテキトーな返事~」
気の無い返答に頬を膨らませる夏葉。すごくかわいい。けれども本当に頬を膨らませたいのは私の方なんだよ?
私が彼女への想いに気付いたのは二年前の中学卒業を間近に控えた日、夏葉がクラスの男子に告白された時だった。それまでは同世代の男なんか眼中に無いアイドルに夢見る女の子だと思っていたのに、告白された時の顔は満更でもない様子で……それを見て男子に嫉妬している自分に気付いてしまった。夏葉を誰にも渡したくないと考えてしまった。結局、彼女はその男子を振った。相手が別の高校へ行くので卒業記念に告白したのだと分かったかららしい。その日の夜、安堵して布団の中で涙を流したのをよく覚えている。それから私は夏葉を女の子同士だけど、恋愛対象として意識していた。今では彼女が夢中なアイドルにさえも嫉妬してしまっている。我ながら器が小さいなぁと思うがこの想いは抑えられない。
「もー! ちゃんと聞いてるの!?」
全然聞いてなかった。「ごめんごめん」とその場しのぎに謝るが、そっぽを向いてふわふわの髪の毛を指でくるくるといじりはじめてしまう。お姫様はすっかり拗ねてしまわれたようだ。まぁ、機嫌を戻すのはそう難しいことじゃない
「そのケーキ一口わけてくれれば許す」
「はじめからもらう気満々だったくせに」
予想通りこう来たか。
もう半分ほど胃の中に収まっているこの抹茶ケーキは彼女がオススメだと言って注文したものだ。そのくせ自分は無難な苺のショートケーキを頼んでいるのだから、最初からわけてもらう気だったに違いない。
「だって抹茶のケーキって時々苦いのあるじゃない? あまりビターなのは苦手だから、ね?」
「私は毒見役か。苦いの平気だから別にいいけどさ」
コーヒーをブラックで飲める私だ。苦いのは嫌いじゃない。むしろ好きなくらいなので美味しくいただいている。この抹茶ケーキは甘いのと苦いのの中間といったほろ苦さで、夏葉も好きな味だろう。
「じゃあ雪菜、あーんするから食べさせて」
「はぁ? なんでそんなことしなくちゃいけないのよ」
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃない。友達同士普通にやってるよ?」
確かに女友達同士で食べさせあうのは珍しい事じゃない。周りの客たちも少女の戯れと思って生暖かく見守ってくれるはずだ。しかし、食べさせあいっこなんて恋人同士でもやるイチャイチャの代名詞みたいなものじゃないか。夏葉とそれをすることはすごく恥ずかしい。
私が意識し過ぎなのか? この場合どう行動すれば正解なのだろう。
まったく、天然ニブチンはこれだから困る。勘付かれてもそれはそれで困るが。
「どうしたの?」
「わかったよ。はい、あーん」
「あーむっ……んーおいしい~。余は満足じゃ~」
「お口に合いましたようで光栄です、お姫様」
恥ずかしさを隠して茶化すと、二人してひとしきり笑い合う。
あー、今日はじめて心の底から笑えたかもしれない。
「雪菜の機嫌が直ってよかったよ~」
そう言う夏葉に内心ギクッとする。変なところで鋭いなぁ。
「なにそれ、食べさせてあげたのは私の方なんだけど?」
「うーん、なんだか不機嫌オーラが出てる気がしたから?」
「気のせいだよ」
「ふうん、そっかぁ。あ、私のショートケーキも食べる?」
「それじゃ遠慮無く」
夏葉の眼前にあるショートケーキに手を伸ばし、フォークで一掬いしてパクっと食べる。
うん、かなり甘いけどなかなか美味しい。私的にはもうちょい甘さ控えめが好みかな。
「ああ! 今度は私が雪菜にあーんしてあげようと思ったのに~」
あんなこっ恥ずかしいこと二度もできるか!
夏葉のことは無視し、自分のケーキを食べ進めようとして、ふと思い至ってしまう。
あれ? このフォークってさっき夏葉の口に入れたものだよね? ということは私の唾液が夏葉の中に……それに私は彼女の唾液が付いたフォークを舐めとってしまった。夏葉と私の唾液交換。うわ、これってすごく興奮する。食べさせあいっこを恋人同士がやりたがる気持ちが今わかったよ。ああ、もっと夏葉の体液をじっくり味わえばよかった。もう一度フォークを舐めたら夏葉の味が分かるかな? ってこれじゃあまるで変態みたいじゃないの私っ!
「あれれ~? もしかしなくても間接キス、意識しちゃったぁ?」
「んなっ!?」
心を読まれた!?
「そんな赤い顔して気付かれないとでも思った? どうして私があの時の告白を断ったか、まだ分からないの?」
「な、なんで今さらそんな昔の話を」
私の言葉なんて最後まで聞かず、夏葉は続ける。
「それはね、他に好きな人がいるからに決まっているじゃない。本当に雪菜は鈍感なんだから」
「え……? それってどういぅっ」
発しようとした疑問の続きは、彼女が私の口唇に当てた人差し指で塞がれた。
「私も雪菜と同じ気持ちってことだよ」
一瞬、夏葉が何を言っているのかわからなかった。でもよくよく考えて彼女の言った意味を理解すると、途端に顔が熱くなる。
そうか、夏葉は私の想いなんて最初から全部知っていたんだ。もしかしたら鈍感な私よりも先に……。
テーブル越しに目を細めてこちらを見る彼女はいつものように聖母のごとき笑顔をたたえている。私はなんだか心の奥底まで見透かされているような気がして、一気にカップの中身をあおる。照れ隠しに飲んだコーヒーはさっきより美味しく感じた。