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第一話



 一歩、踏み出すごとに硬い靴音が響く。

 薄暗い石の廊下が続く地下迷宮。未だその存在を示す名前すらないこの迷宮では、今日も迷宮内の視界を確保しようと、壁に掛けられた松明が、点々と灯っていた。

 靴音を響かせ外套をなびかせて歩く度に、炎が身じろぎする。頼りない明かりではあるが、足元が見えないほど薄暗いわけでは無い。

 やがて、薄暗い石の廊下を通り抜けると広々とした大部屋に辿りつく。ところどころ苔むした床を歩きながら、部屋の中に左右対称に並び立つ巨大な円柱、その間を通り抜けて部屋の奥へと進んでいくと、古びた石壁に行き当たった。


(ここで……いいかな?)


 隙間なく組み上げられた石壁を右から左に眺めると、ファルスは腰にぶら下げた袋から、拳大程の蒼白い宝石を取り出した。

 そして、目の前の石壁に向かって差し出すように宝石を掲げると、ためらうことなく手を放した。手から解放された宝石は、自然界の物理法則に従って自重によって床に叩きつけられ――なかった。

 いや。異常はそれだけではない。

 宝石は何か謎の力に支えられているかのように、宙に浮いたまま光を発し始める。するとどうした事か、眩いほどに輝きだした宝石を中心に、蒼、赤、緑の三つの光が出現する。

 まるで、宝石から滲み出るように放出されるその光は、壁を這う様に奇妙な紋様と文字列を含む巨大な魔方陣を構成していく。

 ちりちりと音を立てながら蒼、赤、緑の三つの魔方陣が震える。

 そして――風景に亀裂が入った。

 壁の真ん中にぴしりと斜めに入った一線が、次の瞬間には無数の亀裂を発生させ、円状に広がってゆく。それは、瞬く間に目の前の壁を覆い尽くし――


「次元の扉を司りし時の神よ、古の約定に従い次元の扉を開く鍵をここに示す……」


 と、その光景を確認したファルスは両手を広げて呪文を唱え始めた。

 同時に宝石と蒼、赤、緑の三つの魔方陣が、吸い込まれるように壁に溶け込んでいき、やがて一つの白い魔方陣となって浮かび上がる。そして魔方陣の変化を確認すると、逸る心を落ち着かせるように、一度呼吸を整えてからファルスは言った。


「地上へと通じる門を開き、鍵を示したる我を地上世界へと解き放て! …………開錠」


 ガチャリと鍵を開ける音が部屋の中に木霊すると、白い魔方陣が一回転して風景が砕け散った。

 まるでガラスが割れるかの様に、風景は無数の断片となって崩壊していく。そしてきらきらと輝きながら舞い落ちる破片の向こうには、上へ上へと続く階段が存在していた。

 目の前に現れた階段に驚いたのか、ファルスはごくりと喉を鳴らすと、一歩また一歩と階段を登り始めた。

 左右の壁に並ぶように灯る蒼白い炎、それに照らし出された階段は、まるで奈落の底へと通じているかのように感じられる。そして階段を登りきった先には、神殿のような空間と巨大な建造物が一つ存在していた。

 門である。

 城に設けられていたかの様な重厚な造りの門が――まるで、その部分だけを切り取ってきたかのようにそこに在った。

 巨大な円柱とそれに支えられた巨大な扉。柱には細かな装飾彫刻がびっしりと刻み込まれており、青銅製と思しき両開き型の門扉にも、奇妙な紋様と文字列を含む装飾彫刻が、巨大な魔方陣の様に刻み込まれていた。


(これだ、これさえ開ければ!)


 ファルスは逸る気持ちを抑えながら足早に門の前に立つと、門に向かってゆっくりと手をかざした。すると、門扉に刻み込まれた巨大な魔方陣が一瞬だけ光り輝き、固く閉じられた門にぴしりと一本の線が走る。

 正中線――上から下に掛けて門の真ん中に引かれたその直線に従って、門扉は轟音とともに左右に開いていく。

 そうして、門の反対側より光と風が溢れ出るが、迷宮の薄暗さに慣れた目には厳しかったのか、彼は思わず目を覆った。

 やがて光に目が慣れてくると門の向こうに在る風景が露になる。

 石造りの建物がびっしり並ぶ街、朝飯前なのだろうか、煮炊きの煙が町のあちこちから立ち上り、食欲をそそる匂いがたちこめている。


「……地上、なのか?」


 門から出て周囲を見回しながらそうつぶやくと、ファルスは立ち止まって後ろを振り返った。

 石畳で舗装された大広場。昇りつつある朝日に照らされた重厚な城を背景に、ドーム型の建物に設けられた城門を思わせる巨大な門が、門口を開けて大広場にぽつんと立っていた。


「――ハ」


 ぼんやりとドーム型の建物を見ていたファルスの口から音が漏れる。


「ハハハ……やった、やったぞ! 地上だ、地上に戻れたんだ! 夢じゃない、本物の地上なんだ! ハハハッ、アハハハハッ!」


 大広場に笑い声が響き渡る。

 片手で顔を覆いながら、まるで全身から溢れ出る喩えようのない喜びを表すかの様に――傍から見れば箍が外れた狂人の如く、ファルスは笑い続ける。

 やがてひとしきり笑ったのだろうか、歓喜に満ちた表情のまま空を見上げて、ファルスはつぶやくように言った。


「……戻れたんだ。僕は……戻れたんだ……」


 朝焼けの空から澄み切った青空に変わりつつある天空。何となく天空に向かって伸ばした手を眺めては握り締める。


(幻覚じゃない。紛い物でもない。正真正銘、本物の空なんだ)


「おい、そこの貴様! ここで何をしている?」


 そんな事を考えながら笑みを浮かべて青空を眺めていると、どこからか誰何する声が大広場に響いた。

 眺めていた青空から声のした方へと視線を向けると、金属鎧を身に纏い槍を構えた兵士達が、門を包囲するかのように集まり始めていた。

 その後ろでは、大広場の端々で朝市の露店が開かれており、露店の店主や朝市の客と思しき人々が、遠巻きにこちらを眺めている。

 どうやら地上に出られた喜びからか、彼らの存在自体が目に入っていなかったようだ。


「おい、聞いているのか、ここで何をしていると聞いておるのだ!」


 自分の問いかけに反応を示さないファルスに業を煮やしたのか、包囲している兵士達の間から、指揮官と思しき立派な髭を生やした壮年男が進み出てくる。


「あー……その前にここが何所だか教えて頂けませんか? なにせ、久しぶりにねぐらから出てきたもので……」

「ここが何所かだと? 何を寝ぼけたことを言っておるのだ、ここはレトナーク司教国の都レトナークであろうが! それよりも貴様の後ろに在る建物はなんだ? 答えよ!」

「へぇ……レトナーク、ですか」


 そう言ってファルスは興味深そうな表情で、大広場を眺めるように視線を動かす。


「そうだ、そして我々はレトナーク自警団の者である。さあ、貴様はいったい何者で、後ろの建物はなんだ? 答えよ!」

「……ええ良いですよ」


 指揮官の問いかけにファルスは笑顔で答えると、そのまま指揮官に向けて手のひらを突き出した。

 突然の行動に指揮官は目を丸くするが、次の瞬間悲鳴じみた叫び声を聞いて反射的に振り向いた指揮官の顔は、驚愕の色に染まりきっていた。

 指揮官の視線の先では、一人の兵士が喉に突き刺さった矢を両手で握りしめながら、石畳の上でもがき苦しんでいる。

 やがて糸が切れた人形のように、身動き一つしなくなるのを周囲の兵士達は唖然とした表情で見ていたが、気を取り戻した指揮官が兵士達に指示を出そうとした瞬間、ファルスの手のひらから放たれた炎弾が直撃して、指揮官と周囲の兵士を巻き込んで炸裂した。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ああぁぁぁっ! ア゛ーア゛ーあ゛あ゛ああああぁあああーっ!」

「――思い知れ、クズども」


 炎に包まれ地面をのたうち回る指揮官を眺めながら、ファルスはぽつりとつぶやく。そして、そのまま周囲の兵士達に向かって、手当たり次第に炎弾を乱射し始めた。

 瞬く間に阿鼻叫喚の様相を呈する大広場。その光景に満足そうな笑みを浮かべながら、ファルスは腰に差していた刀を抜いて振り上げると、指し示すかのように前に向かって刀を振り下ろした。


「総員突撃っ! 目につく者は手当たり次第に殺せ、もしくは捕縛せよ!」


 ファルスがそう叫ぶと、カタカタと顎を鳴らしながら粗末な武具で武装したスケルトンの集団が、門から吐き出されるように突撃していく。それを生き残った兵士達が迎え撃とうとするが、濁流に呑まれる小石の如く、スケルトンから次々と繰り出される斬撃や突きを受けて、一人また一人と大広場に倒れていった。

 やがて、門を包囲していた兵士達を全て倒したスケルトンの集団は、手に持った得物を掲げてカタカタと顎を鳴らしていたが、次の標的を逃げ惑う人々に定めたのか、追いかけるように大広場に散っていった。


「主様」


 逃げ惑う人々に追いついたスケルトンが、剣や槍で斬ったり突いたりしているのをファルスが眺めていると、背後から声をかけられ後ろの建物へと視線を向けた。

 すると、門の内側に佇む人影が見える。人影は門の外を向いたり、迷宮へと続く階段を振り返ったりと、どこか戸惑っている様子だった。


「――サスミか、そんな所に立っていないでこっちに来いよ」


 ファルスが声を掛けると影は一瞬びくんと震える。そしてその声に意を決したのか、恐る恐るといった風に門を潜り抜けて――その姿が露になる。

 歳の頃は十代後半だろうか、身に纏っているのは純白の白衣と鮮やかな緋色の袴。腰の辺りまである白銀色の長い髪をなびかせ、頭には髪の色と同じ白銀の獣耳と緋色の袴から覗く白銀の尻尾。一見、静謐さを漂わせてはいるが、何処か迂闊にも近付きがたい様な怜悧な雰囲気を醸し出す少女だった。

 少女は門を出たところで周囲を見回して、視界に広がる街並みに驚きの表情を浮かべて一瞬立ち止まる。

 そして、すぐにはっとした表情になると、先程の己の行為を恥じるように袖で口元を隠しながら、何時でも撃てるように手に持っていた大弓を握りしめて、警戒するように周囲を見回しながら近づいてきた。


「――主様。お供を付けずにお一人で出歩くなど、危険ではありませんか」

「悪い悪い、久しぶりに地上に出られると思うと、いても立ってもいられくてな。……すまん」

「……今回は大目に見ますが、次からは必ずお供を付けて下さい。よろしいですね」


 呆れたように溜息をつきながらサスミは言う。


「ハハハ……悪かった。今度からはそうするよ」


 そう言ってファルスは苦笑いを浮かべながら大広場に視線を戻す。

 大広場にはスケルトン達以外に立っている者はいない。

 だが、倒れている“死体”の生死を確認すべく、スケルトン達は剣や槍などで軽く突いて回っていると、たまに悲鳴を上げる“死体”がいて、声を上げた途端に周囲のスケルトン達に群がられて、芋虫のように簀巻きにされてその場に放置された。

 その光景を面白そうに眺めながらファルスは言った。


「さて、念願の地上へと出られた訳だが、今の心境はどうだ? サスミ」

「――正直に申し上げれば少し驚いております。この様な街を作る人間の国を相手に、主様は本当に戦を始めるお積もりなのですか?」


 あらためて興味津々といった様子で街並みを見回しながらサスミが言う。


「巻き込まれるのが嫌なら出て行ってくれても構わない。……今なら人として普通に暮らせるだろうよ」

「……心外ですね」


 そう言ってサスミは笑みを浮かべると、ファルスに向かって片膝をついて頭を下げた。


「わたしは主様によって生みだされたホムンクルスです。たとえ世界の全てが敵に回ろうとも、最期の時まで主様のお側に」

「そうか……ならば、最期までついてこい。ここは少し任せるぞ」


 そう言ってファルスは苦笑いを浮かべてサスミの肩を軽く叩くと、踵を返して門の中に戻って行く。


「――承知いたしました」


 そう言ってファルスの後ろ姿を見送りながらサスミは一礼した。




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