その夏、僕らはここにいた。
【あらすじ】
僕達は、暗い場所で出番を待っていた。素晴らしい歌声を、響かせる為に。
やっと歌える。遂に、僕の出番が来たのだ。――そう、思ったのに。
※TO-BE小説工房第九回へ応募した作品です。お題は、『Re:トリック(解釈自由)』。
「え、」
僕は、外へ出ようとして、思わず硬直した。
「……え、何で?」
疑問は次々口を突いて出る。とは言え、突然ボキャ貧に陥ったように、「何で?」を繰り返すばかりだ。
自慢じゃないけど、僕達の祖先は皆、ここで歌を披露してきたと、僕は母から聞かされている。外へ出る季節になれば、煌めく陽光の中、自慢の声を響かせて来た。
家の主がいなくなってからも、それは変わらなかった。
庭で歌いさえすれば、誰かが聴いてくれたからだ。
時折は、空き家となった家に誰かが泊まりに来て、僕達の歌に耳を傾けてくれていたという。
『さあ、次はお前達の番だよ』
そう言った母から送り出されたのは、もう何年も前の話だ。
兄弟達も思い思いに母の元を巣立ち、歌を披露する日を待っていた。そして、待つ時間は終わった。長かった。やっと外へ出て存分に歌うことができる。
そう思って、外へ出ようとした。
だのに、いざそうしようとしても、一向に外へ出ては行けないのだ。
「何で?」
いくら頭上の壁を破ろうとしても、うまくいかない。手は、壁を擦り、空しく引っかくだけだ。
周囲を見回しても、何かが見える訳ではない。そう言えば、もう随分前から兄弟達の気配がしなくなっていたと、今更になって気付く。
「……みんな。どこへ行ったの?」
恐る恐る問い掛けても、答えはない。
「……ねぇ! みんな!!」
返る沈黙が怖くて恐ろしくて、僕は声を張り上げた。
しかし、突然目の前を恐ろしい速度で上から降るように通過した何かが、僕の悲鳴じみた呼び掛けを掻き消す。それが何かは分からない。途方もなく大きくて幅も広くて、全体像が掴めない。
その桁違いに大きな『モノ』は、どんどん僕の方へ近付いてくる。
逃げなきゃ、早く。
僕は必死にもがいた。
けれど、僕の足掻きなど、『それ』の速度からすれば、本当に微々たるものだったらしい。
あっという間に体を掬い取られて、僕の意識は途絶えた。
***
敷地面積が百坪にもなる土地の片隅に、古びた邸宅が建っている。築九十年近くなるその邸宅に、ショベルカーのシャベル部分が無慈悲に食い込んだ。
ドールハウスが崩れたように断面を晒した戸建ての家は、程なく瓦礫の山になった。
だが、これだけではまだ作業は終わらない。
家を崩す作業をしていた男は、ショベルカーから降り、向けるともなくその庭へ視線を向けた。
邸宅の主である老夫婦が世を去ったのは、二十年程前の話だそうだ。
時折、彼らの子供達が、風入れや草刈りに来ていたものの、常時人が住まなくなった家や庭の荒れ具合は、半端ではない。
その土地を所有する一族で話し合った結果、この土地は売られ、後にはマンションが建つことになったらしい。
その為の準備作業――殆どジャングルのようになった庭の下草や、木を引き抜く仕事が、これから彼らを待っている。
「おう、お疲れ」
声を掛けられて振り向くと、現場のリーダーが手を挙げて男を呼んでいた。
「少し休憩にしようや」
「はい」
リーダーに応じて踵を返した男は、知る由もなかった。
その庭では、毎年夏には、沢山の蝉が、その鳴き声を響かせていたことを。
時に、十一月初め頃までその鳴き声が響いていた時期さえあったことを。
そして、これから無情にもコンクリートで固められる予定の地中には、七年前に地下へ潜った筈の、沢山の蝉の幼虫がいることを。
歩を踏み出した男の足下には、先年羽化したと思われる蝉の抜け殻が、ひっそりと転がっていた。