夢幻ループ
【あらすじ】
ある日、寝坊した『俺』は、彼女とのデートの約束に四十分も遅刻した。待ち合わせ場所に自転車を飛ばした俺を待ち受けていた運命は!?
※『第八回TO-BE小説工房』へ『悪夢と現実の狭間で』というタイトルで投稿したショートショートです。1661字。
※お題は、『あり得ない出来事』。
俺はこの日、焦燥の命ずるまま、自転車を飛ばしていた。三ヶ月振りのデートだってのに、三十分遅刻とか、フツーやらかすか。
脳内で自分を罵倒しながらペダルを漕ぎつつ、携帯端末を操作する。所謂チャリスマになってしまうが、非常時だ。致し方ない。けれども、十コールしても、彼女――泰加子は電話に出ない。
そりゃ怒ってるよな。連絡もせずに三十分も遅刻すれば、怒らない方がどうかしている。
端末を握り締めて、待ち合わせ場所まで自転車で駆けること、約十分。合計で四十分遅刻した末に辿り着いた高架下には、彼女の姿はない。やっぱり怒って帰ってしまったんだろうか。念の為、もう一度彼女の端末を呼び出して、スマートフォンの画面をタップする。だが、やはり彼女は電話に出てくれない。
――と思ったその時、ふと端末ではない所から耳慣れたメロディが聞こえるのに気付いた。随分近くだ。反射的に、音の方へ顔を振り向けるのと、何かが自分に向かって倒れ込んでくるのとは、ほぼ同時だった。
スタンドも立てずに自転車の側に立っていた俺は、咄嗟に避けきれなかった。まともにぶつかって、悲鳴と共に自転車ごと引っ繰り返る。ガシャン、と無惨な音が周囲に響き渡り、景色が反転した。どこをぶつけてどこが痛いのかも判断できない。
「……いってぇー……」
思わず情けない呻きが漏れる。自転車の上に倒れ込んでしまい、背中の下がゴロゴロとしていて居心地が悪い。だが、俺の上に何かがのし掛かっているようで、すぐには起き上がれなかった。ややあって、少し落ち着いた俺は、とにかく上に載った何かをどけようとして――目を剥いた。
俺の上にいるのは、言うまでもなく人だった。それも、血塗れの。
我に返って救急車を呼ぼうと端末を握り締めていた手を、どうにか動かそうとした時、場違いなくらい可愛らしいメロディがまだ響いているのに気付く。無意識の内に、その音源に向けた視線の先には、ここで待ち合わせをしていた筈の、彼女がいた。
「た……かこ……?」
「ごっ、ごめんなさい……」
彼女は蒼白な顔で、何に対する謝罪か判らないそれを呟いた。そして、見なかったコトにして、と早口で俺に言うや、素早く身を翻したのだ。
「きゃ――――ッッ!!」
途端、鋭い悲鳴が聞こえて、反射で振り返った俺と、悲鳴の主である見知らぬ女性と目が合う。
「ひっ……ひ、人殺し――――ッッ!!」
喚きながら駆け去る女性を、呆然と見送る。直後、俺は程なくその悲鳴を聞きつけた野次馬に囲まれてしまった。
「早く、救急車を呼んで! 警察も!」
「君はここにいるんだ、いいね!」
「えっ?」
年輩の男性に言われて、俺は目を瞬く。
「事情を話せば、罪は軽くなる。逃げてはダメだよ」
諭すように言われて、俺はようやくこの状況が、凄まじく有り難くない誤解を招いていることに気付いた。
「ちょっ……待って下さい、俺は何も」
「大丈夫。このまますぐに警察に行って話をすれば、罪が軽くて済むんだからね」
冗談じゃない。俺は何もしていない。
固まっていた筈の体をぎくしゃくと動かして、人垣から抜け出そうとする。
「あっ、君! 待ちなさい!」
「殺人犯だぞ、捕まえろ!!」
「止めろ! 俺は、俺は何もしてない――!!」
***
ハッと目を見開いた。
全力疾走した後のように、心臓がバクバク言ってる。だのに息が吐けなくて、俺は一瞬混乱した。意識して深呼吸すると、ようやく気管に空気が通る。まだ整わない呼吸を持て余すようにしながら、胸元を握り締めた。
(……何だ、夢か……)
内容は忘れてしまったが、物凄く怖い夢を見た気がする。とにかく夢で良かった、と思う程度に怖かったのは確かだ。
ホッと息を吐きながら、端末に手を伸ばして時間を確認する。デジタル画面に表示された数字は、『十時二十分』。
「げっ!」
途端、眠気も夢の余韻も吹っ飛んだ。
今日は、彼女――泰加子との久し振りのデートなのだ。高架下での待ち合わせを二十分もオーバーしている。俺は、大慌てで身支度を済ませて、アパートを飛び出した。
【了】