街の掟
「まだ、狩りやすすぎる」
この一月、紫雨たちは意識して狼達の中にああした行動を広めていた。
「まだ、食魔たちは入り込んでくるぞ」
紫雨は鮎の言葉に頷いた。その紫雨の手には燐光が漂い、腹をえぐられ絶命している狼の中へと吸い込まれていく。1時間ほど吸い込ませ続け、ゆっくりと傷の内側から肉が盛り上がってきた。狼はすうすうと寝息を立て始めた。
紫雨たちが立てた計算は単純そのものだった。魔物の強化。まだそれほど参加者たちへの警戒が薄かった狼達に弓の脅威を教え、罠の恐ろしさを染み込ませていった。また、強力な参加者が近づくとわざと音を鳴らし警戒させ、並の参加者については黙って戦わせた。多くの狼が死んだ。多くの参加者が死んだ。紫雨たちは一切、そのどちらにも容赦をしなかった。有用な狼には生命賦活を試みた。参加者を狩ったことすらなかったものの、彼らを見殺しにしたことは一度や二度ではなかった。狼達は恐ろしい速度で順応していった。鉄の匂いに敏感になった、罠をはるようになった、参加者を逆に探り監視するようになった。そして何より、参加者を食らい体に魔素を染み込ませていった。
そのうち森の黒狼にはだれも手を出さなくなった。まだ、獲物は他にも存在しており、手のかかる魔物のくせして殺して得られるものがゴブリン一匹分にも満たない。それもそのはず、狼達は魔物的強さではなく、行動の適応によって厄介な相手となったのだから。だが、他の獲物が全滅しても参加者たちが手を出さないままでいるという保証はどこにもなかった。
季節は9月。黒狼の生活環は地球のオオカミそのもので秋に肥え、冬に生む。群れの一番強い夫婦のみが子をもうけ、他は世話と狩りを行う。ただ、魔物は子供を作るときに大量の魔素を吸い取る。そして、魔素さえあればそれほど食事を取らなくても生きていくことができる。狼以外の魔物は殆ど狩り尽くされているので、この冬は狼達が大繁殖するに違いない。
これが達成されれば。紫雨は頭のなかで密かに囁いた。これが、その目論見のとおりになれば、この狭い森から狼達は飛び出して、参加者たちの第一の防波堤になるだろう。
これを考えたのは紫雨だった。鮎は話を聞いた時、数秒目を閉じて、それから頷いた。「人間の天敵を作る。それが、人の持続可能性を高める」 鮎が大事の時にはいつもそうするように、長く黙祷した。鮎がこれから背負うであろう紫雨の苦しみについて想ったのか、少なくとも紫雨にそう決断させるだけの人類の愚かさについて憐れんだのか、紫雨にはわからなかった。




