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地下空間の狂気

 上映室の明かりが落とされ、誘導灯の微かな光のみが輝く。これから、漸く始まるのかと思われたその時、異変に気がついたのは塙だった。

 「なんか甘い匂いするんッスけど渋沢さん感じます?」

 「確かに匂いはするが、誰かが香水でも噴いたんじゃないかい?別に気分が悪くはなっていませんし。そちらはどうですか?」

 そう言われて匂いを嗅ぐと、バニラエッセンスのような匂いがするが体に変調が起こるほどの物ではない。

 「しますけど、この程度大丈夫ですよ。」

 萩野の方にも顔を向けると、顔を上下に振って合図を送ってきた。

 「やはり香水ですかね。」 

 「そうでしょう、それよりも始まりますよ。」

 坂本は渋沢にそうは言ったが、柏木のあの言葉がコレと無関係ではないとは思えなかった。

 (説明会で参加者が従順に説明を聞いてくれるためにあることをするのだが、君にまで余計な被害を与えたくは無いのでね。)


 「みなさま、大変長らくお待たせいたしました。これより、説明会を開始いたします。本日は、まず前半で今説明会責任者である柏木からのご挨拶、後半に今後のみなさまの御仕事や生活についての紹介をさせていただきます。では、皆々様スクリーンにご注目ください。」

 スクリーンには、あの柏木がにこやかな笑顔で大きく表示された。と、同時に上映室に設置されているスピーカーから体の芯まで揺らされるような大音量で柏木の声が上映室に鳴り響く。

 「説明会に参加していただいた参加者諸君!私が柏木だ。諸君らは、様々な事情があってここに集められている。借金を苦にした者、唯単に拉致された者、そして自分から志願した者。今一度自分の周囲を見てみなさい、老若や優劣関係無く自らの足でここまで来た者たちだ。考えても見たまえ、ここまでの道中で諸君らは本当の意味で拒否した者達を見てきたはずだ。命を絶った者も数多くいることは、ここに居る誰しもが知っている。だが、諸君は例え強制されたとしても、それらを尻目に選択肢を放棄した。そう、自分はあいつらよりも賢い選択をしたのだと思ってな。つまり、ここに居る時点で諸君は将来を我々に預けたのだ。・・・・・・違うかぁ!!!!」

 柏木が怒気を強めて大声で怒鳴った。スピーカーによって増幅されたそれは参加者達の脳まで、物理的精神的両面で圧迫する。あらかじめ、覚悟を決めていた坂本でさえ思わず歯を食いしばるほどだ。

 「だが、安心すると良い。諸君は命を絶った者を卑怯者だと思っているが、それは一般的な世論のなかでも正しい認識だ。世界中の多くの宗教でも保障されている。さて、そんな卑怯者の屑共と諸君らには決定的に異なる点がある。判るかな?なに単純なことだ、諸君らは国家によって将来を補償された輝かしく誇り高い者だと言う事だ!こんなことを考えたことは有るか?自分は他人より劣っている。産まれも育ちも、そして環境さえも!だから自分はダメなのだと。周囲が口を揃えて言う決まり文句の本気さえ出せば自分だって成功を収められるのだと。だが、それは間違いである。なぜなら、そのやる気やら本気を言ったあやふやな物は全て成功者が弱者に対して悦に浸りたいがために作り出した造語であるからだ。しかし、諸君は成功者になれる。文字通り生まれ変る事で、自称成功者達とは違う真の意味で社会を担うこととなる!さあ、諸君らはみなこの場で誰しもがオンリーワンの新星となった。今後、我等もそして諸君らも日本を支えるすばらしい人材となることを私は期待している。それでは、引き続き説明会を受けたまえ。」

 柏木の挨拶・・・、いや演説は身振り手振りでだけでなく、音響などで場を強調するナチスのヒトラーの手法そのものであった。さらに、所々にサブリミナル効果のような演出を混ぜて、参加者達の頭を徹底的に蹂躙した。現に、平気そうに感じられた塙でさえも目を思いっきり見開いて幸せそうに顔をニコニコしている。渋沢も荻野でさえも、何かに取り付かれたかのように自分の世界に没入していた。坂本は、自分だけが異質な空間に取り残されたようで、足元の感覚さえ判らないほどであった。周囲と周りとの違い、それは・・・

 (柏木に飲まされた錠剤か!)

 思えばあの怪しげな匂いが、催眠的要素を増大される役割があったのだろう。錠剤を飲んだ坂本が、他の参加者と違って正気を保っていられるのは。だが、今更監視されている中で何も出来るはずもない。坂本は、狂気のなかの正気を保たされたまま後編へと自らの意思とは無関係に見させられる。後編は、ますます洗脳目的を露骨とした坂本にだけ苦痛を与える拷問だった。繰り返し繰り返し同じところを何度も強調し、それも坂本が根室や柏木に教えられた情報の二分の一以下の陳腐なモノを参加者に教え込んでいる。音響もますます激しさを増し、坂本は前後を忘れる感覚に支配され突如と無く意識を失った。


 気がつくと、上映は終わったようで参加者達は退室している最中であった。同席していた三人も坂本を置いて先に行ってしまったらしい。だが、どうでも良かった。もはや、疲れ果てた坂本にとってしてみれば考えたくも無いことであり、さっさと地上へと戻りたかった。他の参加者達は車両センターで極秘裏に降ろされる様で、坂本も後に続こうと上映室から出ると東京タワーに出る際の小太りの係員が坂本に声を掛けてきた。

 「坂本さま、本日はお疲れ様でした。それと、根室さまからご連絡がありましたのでお伝えに来ました。新しい住居を用意したので、一度戻って欲しい出そうです。」

 そういえばすっかり忘れていたな、と坂本はぼんやりとした頭で思った。ふと、坂本の頭にまだ田舎暮らしの時に憧れてた頃の東京タワーが脳裏に浮かび上がって来る。世間ではスカイツリーに取って代わられてしまったが、彼にとっては今でも東京とは東京タワーなのだ。彼自身も場違いなことだと思いながら突拍子も無い、あるお願いを係員に伝えようとした。

 「ああ、どうも。それと一つお願いが。」

 「なんでしょう?」

 「東京タワーから帰りたいんだ。なんだかとても見たい気分でね。」

 もはや、世間では何者でもない坂本だが、それでも思い出だけには縋りたい。そんな、涙ながらの願いだった。

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