ハヤシライスと赤色の歴史
根室が勧めるだけあって、この喫茶店ホルンのハヤシライスの味だけはとても美味しい物だ。今までの人生経験の中で、ハヤシライスを片手で数えるほどにしか口にしたことがない坂本の舌でもこれは良い物だと判るほどの出来ある。しかしながら、それ以外の部分については最悪の食事の時間であり、針の筵のような感覚まで味わいたくはないのが坂本の本音である。まず、根室と一緒に入店して白髪の目立つマスターに席に案内された時のことだ。店内には何人かの先客が居たが、店を出るまで坂本たちを延々と視線を向けていてとても居心地が悪い。根室は交渉に失敗したときのお零れを狙うだけのハゲタカだから気にしないでくださいと言っていたが、無理である。それだけではまだしも、根室と同席しているだけで坂本は苦痛だった。まあ、魔法関係の話を人前で喋ることなど期待はしていなかったが、代わりに根室の個人的な趣味である鉄道模型の話題を永遠と聞かされる破目になる。まるで興味の無い坂本には適当に相槌をするはめになり喫茶店でリラックスだど出来るはずがなかった。
「さて、素敵な食事もしましたし続きをしましょうか。」
悪夢のような喫茶店から事務所に戻り、根室は説明に必要だからと書類やら機械やらが詰まった鞄を取り出しながら言った。どうやら午後からの話題にはかなり重要な部分について触れるらしく、それなりの準備が必要らしい。坂本にとってもここからが本番であることは、根室の行動からある程度理解していた。そうボンヤリと考えていると、準備が終わったらしく根室は手帳を取り出しながらソファーに腰掛けた。
「どうも、お待たせいたしました。かなり長い話になるので私でも確認しながらじゃないと滅名が出来ないんですよ。」
「それで、何を説明してくれるんですか?」
「まあ、この日本という国家における魔法少女の歴史というやつです。そこから話さないと、絶対に理解なんて出来ませんからね。他の事務所では、これを飛ばしていきなり契約に入るらしいんですから恐ろしいものですよ。」
そう言うと根室は手帳の中身を開きながら説明するようだ。書類を渡しての説明は行われないらしい。
「では、説明を始めます。今から六十年ほど前の1950年代、第二次世界大戦が終わり日本が復興へと歩を進め始めた時代でもあります。丁度、朝鮮戦争が始まり自衛隊の前身警察予備隊が総理府の機関として組織されたのもこの頃です。当時の治安は今よりも格段に悪く、殺人事件なんて現在の数字の三倍の規模で発生していたとされています。しかし、人間が殺害した以外の数字が含まれた上でのことですが。」
「実際は違うと。」
「田舎などの僻地や都市部問わず、何も無い空間から見たことも無いような化け物による殺人事件が小規模でありながら報告され始めたんです。今でこそ魔法少女や自衛隊が処理しますが、当時は一度の出撃で数十人もの犠牲を出しながら撃退していたようです。しかし、化け物を退治しても戦後間もないく治安悪化を阻止するために極秘に処理され、決して公表されることなどありえませんでした。また、敵に対して通常の火器が通用せず有効打が無い状況を世間に知られるわけにはいかなかったのです。」
「こうして、死者の数が増え続ける環境を止めることが出来ないのかと思われた1955年にある転機が訪れます。詳しいことは極秘指定で私も知りませんが、今の魔法技術の元となった技術を持った異世界人が訪れたことから魔法少女の歴史は始まりました。しかし、それでも犠牲は減ることはありません。なぜなら、それはすぐに攻撃転用出来る物ではなかったのです。精々、一定以上の魔力を持った男性を人間爆弾としてぶつけるぐらいしか選択しか取れなかったのです。」
「よくそんな提案採用されましたね。正気を疑いますよ。」
「私もそう思います。しかし、年々凶暴化する怪物に対抗できる手段が無かったのです。今でこそ色々言えますが、当時はかなり緊迫した状況だったのでしょう。人間爆弾というのも男性は女性と比べても魔力が膨大である反面、魔力を扱うのに適していなかったのです。だから、体内の魔力を暴走させてぶつけるしか手段が無かった。逆に、女性は魔力を扱うのに適していることが判明し、男性を無理矢理女性に変える技術の研究が進められたのです。」
根室の説明から、なぜ坂本は態々男性である自分が魔法少女として求められているのをおおまかにに理解した。しかし、それなら坂本を勧誘するのは芸能事務所の根室ではなく、国の役人のはずである。
「じゃあ、根室さんは国の役人なんですか?」
「元ですよ、今は事業的に少しは関わりはありますがね。さて、なぜ魔法少女が国ではなく事務所に在籍する形になっているのかも歴史と一緒に説明しますね。魔法少女の技術は1970年代に完成しました。しかし、国が何百人もの男性を拉致して人体実験をしたなんて言える訳がなく、様々なサブストーリーと共に世間で活躍することになります。当初は国が全てを管理していましたが、時代が進むにつれて使われる予算が膨大になってきました。それが、本格的に問題視されたのは1991年のバブル崩壊です。事務所制度が始まったのは、魔法少女に掛かる費用の削減と全く新しい新たな景気刺激策の両面の期待と共にスタートし、それが今でも続いているわけです。ご理解いただけましたか?」
「はい、大丈夫ですよ。」
坂本は軽く頷いて見せた。
「次に、坂本さんのことについての話しになるのですが少し休憩しましょう。何か飲みますか?」
おそらく自分に気を利かせてくれたのだろうと思い、遠慮なく受けることにした。
「ホットコーヒーでお願いします。」
根室は立ち上がると台所の方へと歩いていった。坂本は深いため息をついて天井を見上げ、少しでも次の説明に向けて疲れを取ろうとするのだった。