土下座の男
カーンコーン
井上への対応が終わり、気の抜けかけた坂本の耳へとコンビニの入店音が入ってきた。ほぼ、条件反射的に長年の経験から入り口の方へとあいさつの声を掛けようとしたが、入店してきた男を見るとその言葉が喉元で止まってしまう。深夜のコンビニで長らく働いてきて変人など幾らでも見てきた坂本でも、あまりにも異様な風体に唖然とした。
(え!?)
その男はパッと見はサラリーマンと言えよう。しかし、あまりにも間違った典型的なサラリーマン像であることを除けばだ。顔は、皺が所々見られるがそれほど年を取っているように見えないので三十代後半ぐらいだろう。髪は七三分けで纏められており、太い黒縁のメガネまでしている。スーツは灰色のシッカリとした生地の上等な物であると坂本でも理解できた。肩から掛けられている茶色い鞄も丈夫そうで特には問題ない。ここまでは、社会科の教科書に載っていそうな感じなのだが、この男を異質たらしめているのは両手に持っているものが原因だった。
それは、巨大な放射能を測定するガイガーカウンターのような物であり、少なくとも深夜のコンビニに持ってこようなどど考えるはずがない。左手にモニターとスピーカーが一体化した機械を、右手には測定用なのか金属製の棒状の物を持っている。入店したときからその男からは「ガガガガガガガガ」と異音が鳴り響いて、雑誌を読んでいたトラックの運転手やくじを開けていた井上も男を凝視し、店内の人間の視線を集めていた。そして、何を思ったのか男は棒状の物をカウンターで放心して突っ立っていた坂本に向け始める。異音は、途端に大音量となり場はさらに混沌と化しコンビニの経営者にとっても坂本にとっても悪夢であった。その音に満足したのか、男は左手の機械を弄くり音を消すとモニター部分を満足そうに見始め、肩掛けの鞄にガイガーカウンターを押し込んだ。坂本としてはこの時点で早く帰って貰いたいモノだが、男は坂本の方へ歩を進め意図せずに真正面から向かい合う形となってしまった。
(なんだこれ!?少なくとも原子力発電所でプロトニウムを盗んでデロリアンを改造したり、核実験に参加して体が巨大化したわけじゃないんだぞ!)
堪らなくなり視線を外して助けを求めるが、トラックの運転手は逃げ出したのか店内には居ない。頼みの綱の井上はこちらを見向きもせず、黙々とくじを開いてワザとらしい咳払いまでしている。典型的な屑である。そして、坂本は否応なしに一人不審者と向き合うことになった。
「お客様、どのようなご用件でしょうか?」
普段、コンビニでは滅多に使われないような丁寧な言葉遣いである。相手の気分を害してはどんな行動を起こすか分からない場合の典型的なアプローチであり、こちらに非は出ないように一挙手一投足に気を配ることで、トラブルの際の責任を相手側に全て押し付ける打算でもある。
「失礼ですが、坂本雄二さまでしょうか?」
いきなりゲームセットの展開だ。このコンビニでは店員のネームプレートは姓だけであり、名の部分は書かれていない。つまり、元々この男は坂本個人に用があってきたことが証明されてしまった訳である。
(今日は天中殺だったかなぁ・・・)
もはや、完全にどの展開でも馬鹿騒ぎの責任を追及されて解雇されるコースに無理やり決定されたも同然。詰みである。やけっぱちになった坂本は、この男に聞くだけ聞いて後は流れに身を任せようと思考を放棄した。
「私は坂本ですが、何か御用でしょうか?私とあなたは今日初対面のはずですよ。」
そう言うと、男は懐から名刺を取り出すと坂本に手渡してきた。
「申し送れました。私は、魔法少女関係の事務所を営んでおります根室隆三と申します。本日は、坂本様にとあるお願いに参りました。」
「お願いですか?私は、自分で言っては何ですが凡人ですよ。現に、フリーターですし。」
手渡された名刺には
「根室魔法芸能事務所社長 根室隆三(38)」
と書かれていて記載されている住所もここから一番近い駅で二駅ほどだ。すぐに真偽を確かめることは出来るだろう。だが、坂本にはまるで魔法少女の世界に興味も接点もないのだ。親戚にもそんな職業に就いている人物なんて心あたりもなく、魔法少女に関わる事件なんて関わったことすらない。根室という男の表情を見ると真剣な表情が見て取れるが、お願いとやらもまったく想像がつかなかった。そして、この後根室の取った行動は坂本の常識内の想像の範疇をまたしても悪い意味で飛び越えてくる。
根室は突然鞄を地面に置くと、床にひざまずき正座のような姿勢を取ったのだ。ここにきて坂本は猛烈に嫌な予感と共に、絶対根室がとるであろう行動が絶望的なものだと予想が出来た。そしてそれは的中する。
「坂本さまお願いします!私の根室魔法芸能事務所で働いていただけないでしょうか!お願いします!お願いします!私の根室魔法芸能事務所で働いていただけないでしょうか!坂本さまお願いします!」
「根室さん止めてください!!分かりましたから!分かりましたから!」
先ほどのガイガーカウンターよりも大きな声で懇願されては、堪ったものではない。コンビニの外にまで響いているのが、容易に想像がつく。井上に助けを求めるように見渡すが、トイレにでも篭っているのかくじを置きっぱなしにして隠れているようで、坂本にとってしてみればあまりにも酷い仕打ちである。とりあえず、根室を落ち着かせてずれたメガネはを整えさせる。詳しく話を聞いて見なければ何も始まらないからだ。
「根室さん、ここまでのことを仕出かしたんだから理由ぐらい説明してください。いきなり、事務所で働いてくださいなんて訳が分からりませんよ」
そう切り出すと、根室はすこしばかり深呼吸をして返事を返してきた。
「坂本さま、大変失礼しました。しかし、坂本さまには魔法少女の業界で一番求められる才能を有しているのです。だから、思わずあのようなご迷惑を掛ける行動を咄嗟に取ってしまったのです。」
「才能ですって?しかし、そう言われても私は魔法なんて使えませんよ。男なんですし。」
そう、男は魔法を使えないのは世界の常識である。そんな中で、君はこの業界で求められているなんて言葉自体ありえないのだ。
「ええ、存じております。しかし、一週間前に坂本さまを街中で見かけたときにもしやと思い、今日それ専用の測定器具を用意して確信しました。坂本さまの才能は、希有なものであると!」
なるほど、あの機械にはそれなりの理由があったのかと坂本は根室の説明を聞いて思った。しかし、坂本には根室に聞かなければ成らない事がある。
「ところで、さきほどの返事。断った場合どうなるのですか?」
根室は、すこし間を置いて考えるような素振りをしたあとこう返してきた。
「その時は、素直に身を引きますが坂本さまがこの業界に関わらないことは決してありえません。もし、最初から私に見つからなかったと仮定しても別の所があなたを回収するでしょう。」
「それはどこです?」
「私以外の事務所か国です。」
「国ですって!?」
「それだけ、社会全体としてみても必要なのですよ。」
そう言うと、根室は鞄からかなり分厚い茶封筒を五つほどと地図を坂本に手渡してきた。
「これは、今回のご迷惑をかけた賠償と身支度の費用です。その地図に私の事務所がマーキングされていますので、これ以上のお話は後日そこで致します。それでは、大変失礼致しました。」
根室は深々と礼をしたあと、コンビニから静かに立ち去っていった。坂本はあまりの自体の深刻さに声を掛ける余裕もなかった。ふと、坂本は茶封筒の中身を確認すると帯付きの万札が二束ほど一つの封筒から出てきた。どちらにしても、あの騒ぎは坂本に釘と圧力を掛けるためのパフォーマンスでしかなかったのだ。もはやどこにも逃げ場はない。
「こんなはめになるんなら、試験合格してからやらせてくれよ。」
深い深いため息と共に、朝日がコンビニが差し込んできた。出来ればこんな光り輝く将来を送りたいなと、そう考えながら坂本はヘラヘラしながらトイレから出てきた井上にゲンコツを食らわしに向かった。