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魔法使い卒業試験

「坂本さん、こちらですよー!」

  午後九時過ぎ、心身ともに疲れ果てた体を引きずりながら、根室の事務所がある駅までやっとのことで到着すると駅前のロータリーに根室が車を止めてこちらに手を振っていた。思わず中指でも立ててやろうかと思ったが、馬鹿馬鹿しくなり素直に車の中に乗車した。

 「お疲れ様です坂本さん、大変だったでしょう?」

 車を走らせながら気軽にそんなことを言い出し、坂本はかなり不機嫌になり眉を細める。そして、坂本の口から出てくる言葉も刺々しくなった。

「ええ、大変でしたよ。行きも途中も帰りもね。特に、あの柏木ってのは何なんですか?正直、根室さんの名刺渡さないほうが他の参加者達とハイな気分になれてまだ楽でしたよ。」

 「それについては、本当に申し訳ないですが言えなかったんですよ。これから行くのは実は洗脳じみた集会なんですよって。そんなの誰でも拒否します、絶対。あと、柏木君のアレは演技でもなんでもなく地ですよ地。学生時代の討論会でも、かなりの演説好きで有名でした。まあ、だからと言って演説が上手いかどうかは別ですけどね。彼は独善すぎる傾向が強くて強くて。」

 「・・・根室さん柏木のこと、嫌いでしょ。」

 「まあ、好きか嫌いかで言うなら大嫌いですね。しかし、彼は私のことを唯一無二の大親友だと思っているらしくてほっんとうに苦労しましたよ。今でこそ色々と融通きいて役に立ちますが、学生時代の思い出したくない青春の一つです。」

 その後、根室の車は駅から三十分ほど走ったところにあるマンションの前で停車した。マンションは最新式のオートロック式で、今まで坂本が一人暮らしをしていたボロアパートとは雲泥の差である。マンションに入り、最上階の昼間なら日当たりのよさそうな位置にある部屋へと案内された。都市部でこれだけのマンションを借りるなら月十万前後は行きそうだ。

 (いい部屋じゃないか。)

 今はまだ何も無い殺風景な部屋だが、不覚にもこんな境遇下で良かったと思ってしまった坂本を尻目に、根室は部屋の鍵と共に寝袋とシャツや下着の入った袋を手渡してきた。

 「今日から坂本さんにはここで暮らしてもらいますが、水道光熱費や通信料、家賃等の費用はちゃんとした収入が得られるまで私が支払います。それと、今坂本さんに手渡した袋の中にある現金十五万円で家具や生活用品を買っておいてください。ああ、男性から女性に変わるからって化粧品やら下着とかは買わないでください、無駄になりますよ。・・・それとちょっとお尋ねしますが。」

 「なんです?」

 「坂本さんは童貞ですか?」

 「へ?え、いい嫌だなそんなこと聞かないでください。」

 突拍子の無い質問に坂本はたじろぐ。ちなみに、坂本は童貞である。

 「これから、魔法少女になるんですからうまくお金を遣り繰りして、残ったお金で楽しんできてくださいね。なにしろ、最後になるんですから。」

 「ははは、・・・アリガトウゴザイマス。」

 もはや、笑うしかなかった坂本であった。

 根室が立ち去った後、いざ明日にそなえて寝ようと思っても坂本は眠れなかった。底辺生活を送り続けてきた坂本は、自分が童貞も捨てられず墓の中にいくものとばかりで、まさかこのようなビッグチャンスが到来するとは考えてもみなかったからである。初めてのアレへの体験への緊張と興奮で、坂本が完全に寝付いたのは日が変わってからだった。


 朝となり、近くのファミリーレストランで朝食を済ませた坂本は郊外にあるショッピングモールに家具を買いに向かった。ここで突然だが、これまでに坂本が受けてきた被害を振り返ってみる。彼は、根室の襲来から柏木による説明会に至るまで感情を爆発させずにこなしてきた。つまり、不満や怒りと言ったものを自我を保つために意識化に留めて抑圧している。これは、人間誰しもが持つ防衛機構であり、本来ならば様々な手段で体が抱えるストレスを解消させているのだ。坂本は、今ようやく自由に行動でき、所持金もたくさん所持している。まさに、抑圧から開放されて最高に気分が良くなって万能感に支配されているのだ。また、元々坂本は凝り性であり多額の金銭を扱ったことも無い。そんな状態で買い物をすると・・・。

 「まいど、ありがとうございまーす。五千二百円のお返しでーす。」

 (や、やってしまった・・・。)

 正気に戻り、気がつけば散財!残金残り五千二百円。もはや、取り返しの出来ない状況!これでは、卒業など夢のまた夢である。そんな危機的状況のなかショッピングモールをでて打開策を考えているが、どれもこれも所持金が増えるかどうかわからない不確定な物ばかり出てくる。

(考えろ、考えるんだ!)

 だが、答えはいつまで経っても出てくるわけも無く時間だけが過ぎていく。そして、坂本はある結論を出した。


 「で、これなんですか。」

 「ええ、おいしそうな豚のステーキでしょう?ちゃんと、下処理したんで臭みもありません。それと、ビールも買ってきたんですよ。美味しくいただきましょう。」

 結局、坂本は食に走った。さすがに、一人で食事も寂しく感じられたので、根室を誘い事務所を使って夕飯を共にしているのだ。今ある中で、最大限の幸福を実現することを選んだのだが、これで彼は魔法使いのまま魔法少女へとジョブチェンジが確定したわけでもある。哀れな男とも言える。

 「まあ、夕食を作ってくれるのはありがたいので頂きますが、なんで豚のステーキなんですか?まだ、それなりの牛肉が買えたでしょうに。」

 「ああ、それは豚肉のステーキが思い出の味だからですよ。」

 「と言うと?」

 「ええ、まだ故郷にいた幼い頃の私は貧乏暮らしでしてね。母親も一日中働きっぱなしで、毎日一人寂しく食事をしていたんですよ。まあ、こう貧乏だと周囲から結構虐められるんですよ。子供って下らない事で意地を張ったりしますから。その中でも一番多かったのが食事のことでした。それで、ある時母親にステーキでも焼いてやろうと決意して空き缶拾いなんかして、小金を貯めてたんです。ある程度お金が貯まって肉屋に行ったら、豚肉ぐらいしか買えなかったんですよ。まあ、当時の私は牛肉や豚肉の違いも判らなかったんで豚肉を買っちゃいましたが。」

 そう言って坂本はビールを呷る。

 (これは酒のせいなんだ。)

今まで、人前では自分のことを話すことなど滅多に無い坂本は、これは酒のせいで口がまわるのだとそう自分に言い聞かせていた。

 「そんなことがあったんですか、では私も自らの過去を話しましょう。なんで、この芸能事務所を開いたか、聞きたいでしょう?」

 そう根室が言い出したとき、坂本は興味津々であった。この男が自分からどうゆう人間かを話してくれるのだ。興味が沸かないわけが無い。

「聞きたいですよ、ぜひとも聞かせてさい。」

「あれは私が小学三年生の頃のことでして、当時の私の家庭環境は複雑でした。なにしろ、私の母親は大物政治家の愛人でしてね、ドラマでよくある隠し子として育てられてきたんですから。また、私の母親は絶対に父親のことは話しませんでしたので、私は父親というモノに強く憧れていたんです。で、小学三年生の頃に魔法少女の芸能活動がヒートアップした時期となり、私もすっかり夢中になりました。何でもこなせるみんなの憧れの的、いわば日本人の希望そのものみたいでしたよ。そして、ある日何を思ったのか彼女らなら父親を見つけ出してくれると考え、頼みにいったんですよ。」

 「それでどうなったんです?」

 「だめでしたよ、そもそもどこに居るかも判らないんですから。まあ、この体験からこの世界に興味を持ちましてね、ある程度人脈と金銭を確保したんで財務省を辞めて、この事務所を立ち上げたんです。まあこんな感じでしたね、いかがでしたか?」

 「面白かったですよ、しかし、こう聞いてみると案外似たよった部分もあるものですね。ささ、まだまだお酒はありますよ。じゃんじゃん飲みましょう。」

 坂本は、根室という人間の本質に今日始めて触れたと思った。と、同時に同じ母子家庭同士の居たもの同士だからかもしれないとも思った。こうして、二人は事務所で酒が尽きるまで飲み明かすこととなる。そして、翌日二日酔いで貴重な一日を無駄に過ごすことになったのは当然のことだった。

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