第二章 ②
帰り道、一緒に歩いていた天宮から提案があった。
「明日って図書委員会お休みだよね? じゃあ明日坂本君の家にお邪魔してもいいかな?
坂本君の家なら人があまりいないから、人目につかずに本の中に入れるしね」
中学の時から天宮は家に入れたことがあるので俺は別に構わないが、天宮は大丈夫なのだろうか……お年頃的にも親に何か言われてもおかしくなさそうだが。
以前思い切って尋ねたことがあるのだが、平気な顔で普通にこう答えた。
「あたしは気にしないよ。親も友達付き合いに関してはあまり言ってこないし」
天宮の親はすごい放任主義だと思う。まぁうちの親はたいそう喜び、和菓子を作ってもてなすから別に良いのだけど。
「分かった。じゃあ明日の放課後にうちに来てくれ。
……多分、明日は出来たての揚げ饅頭が食べられると思うぞ」
「本当っ? じゃあ明日楽しみにしてるね~」
そう言って、電車通学の天宮とは駅で別れる。
俺の家は二階建てである。一階が和菓子専門店〝坂本屋〟で、二階が住居空間だ。今どき和菓子専門店なんて繁盛しないだろうと思っていたのだが、祖母の手作りの和菓子はどれも人気があり、休日の昼間は近所の子供やお年寄りで大賑わいだとか。ここ最近は暑くなってきているので、手作りの水羊羹が大人気らしい。
俺の母、坂本朱美もこの店の従業員として彼女の母であり俺の祖母でもある店長、坂本武美の下で働いている。俺が帰ってくる七時頃には店じまいなので、玄関先では母が竹箒で掃除をしていた。
「あら。龍馬、おかえり~! 今日の夕飯は素麺よ~」
「ただいま、母さん。別に夕飯の内容は聞いてないけどね」
いつもこんな感じに、母がかます天然な発言に俺が冷静に突っ込む。これも小学校からやってるからもういい加減慣れたけどさ。
「先に言っておくけど、明日は天宮が遊びに来るってさ。
明日って確か揚げ饅頭作るよな? 天宮にも分けてやってくれると助かる」
「あらまぁ! それは母さんも私も気合が入るわね~。任せといて!」
そういうと、母さんは鼻歌を歌いながら掃除の続きを始めた。いつも思うけど、本当に若々しい。
俺もあれの半分くらいのアクティブさがあれば、もう少し人付き合いもうまくやれていたのかな? ま、そんなこと考えてもしょうがないけど。
玄関に入り、二階に上がる前に祖母に挨拶しておく。一階の厨房で祖母は翌日の仕込みとして、こしあんのストックを作っていた。
「あらお帰り。今日は早かったねぇ」
「ただいま、婆ちゃん。今日は早めに切り上げてきたんだ」
俺の祖母はこの店を母と二人で切り盛りしている。毎日忙しく動いているが、一度だって弱音を吐いたことの無い気の強さと体力を持ち合わせている。若い頃からしっかり者で、開業時は祖父と二人で切り盛りしていたが、経営のほとんどを祖母がこなしていたらしい。
そんな祖母も一度だけ俺の前で泣いたことがある。俺が中学に入る前の冬、俺の祖父である坂本虎之助が大腸癌で亡くなった時だ。
その時でさえ、子供や孫の前では泣くまいと必死に堪えていた。そんな祖母が、今のところ俺が一番尊敬する人物だ。
祖母が作業に戻ったので、俺は二階へと上がる。荷物を置いた俺はとりあえず着替え、学校の宿題を三十分程度で終わらせた。その後、家族揃って夕飯を食べ、風呂に入る。
湯船に浸かりながら、俺はこれからのことを考えた。
俺と天宮が今日生み出した世界、明日はその中で冒険できるのだ。早く明日が来るといいな……。
風呂から上がると寝巻きに着替えた俺は横になり、すぐに深い眠りについた。
あたしの家はマンションの一室である。駅から徒歩五分くらいにある、高層マンションの三階に住んでいる。
あたしの家の部屋はエレベータから降りて真正面にあるので、とても便利だと思う。家のドアを開けると、玄関には一足の靴があった……多分お母さんだろう。
「ただいま~。お父さんは?」
「お帰り。今日はお父さん残業だから帰り遅くなるって。聖子は今晩何食べたい?」
また残業か……食べたいものを聞くということは、今夜は外食かな。
「うーん……特に無いからお母さんが食べたいものでいいよ」
「そう? じゃあ久しぶりにお寿司でも食べに行こうか」
あたしの家は自慢じゃないけど多少は裕福だ。あたしのお父さん、天宮大志は医療関係の仕事をしていて、年収は大体三千万円と言っていた気がする。しかし、富を手に入れた家庭というものは、なんだかんだでコミュニケーションが取れないものなのだ。
事実、あたしが高校に入ってからは、お父さんとはあたしの誕生日以外ほとんど会話をしていない。顔を合わせることがあまりないし、合わせてもゆっくり話す時間が無いから、おはようの挨拶をするくらい。
でも、お父さんは家族のために一所懸命働いてくれているし、その部分は感謝している。感謝はしているけど、あたしとしては少し寂しいと思う。
あたしのお母さん、天宮理恵もそう思っているのかもしれないが、今のところそのような素振りは無い。結果、あたしの家は自然と会話の少ない家庭になっていた。
そのような環境で育った影響もあるのか、もとからこういう性格なのかは分からないけど、あたしは昔から人と接することが苦手だった。でも家族とは問題なく話せるし、特にあたしの弟、天宮昴とは小さい頃よくケンカだってしたものだ。今では昴も私立中学でサッカーに励んでいるので、こちらも顔を合わせることは、お父さん程ではないけどあまりないのだけど。
そんなことを考えていると、タイミングよくインターホンが鳴った。玄関のドアを開けるとそこには、あたしより頭一個分高い身長に、厳つい体つきと坊主頭。昴だ。
「お帰り。今日は結構早かったね」
「ただいま。今日はミーティングだったから早めに終わったんだ。
姉ちゃんこそ、制服で突っ立って何してるのさ?」
「別に。今さっき帰ったばっかりだったから」
「そうなんだ。まあいいけど……母さんただいま~。今晩の飯は何?」
「あら、昴じゃない。お帰り。今晩はみんなでお寿司を食べに行くわよ」
「ホントか? じゃあ早く行こうぜ! 腹減って仕方ないんだ」
この会話を聞いていると、〝みんな〟の中にお父さんが入っていないのを確認しなくても分かり合っているところが少し悲しい。ちょっと気の毒に思える。
その後は家族で寿司屋(昔から行っている高級なお店、一皿五百円から)に行って夕飯を済ませ、家に帰ってからは風呂に入り、宿題を終わらせた。
いつもならあとは寝るだけなのだが、今日は違う。あたしは〝創世物語〟と名づけられた古ぼけた本を鞄から取り出し、最初のページを開いて話しかける。
「ミカド。まだ起きてる?」
この状況を傍から見ればちょっと変な人に見えなくもないが、今は誰もいない。数秒後に、最初のページから文字が浮かび上がった。
『もちろんだ。我は睡眠を必要としないし、世界を再現している間以外は常に寝ているようなものだからな』
「そうなんだぁ~。ちょっと聞きたかったんだけどさ、今日あった出来事って他の人にバレたらやっぱりダメなのかな?」
『何故そのようなことを聞くのかは分からないが、別にそのようなことはない。逆に知られてこそ、我の存在意義が生まれるのだから、秘匿する必要はないぞ』
「ふーん……そっか。じゃああたしたち以外にも、もしかしたらあの世界に入ってくる人たちっているのかな?」
『それはあの学校の生徒次第、だな。我のような古ぼけた本を読む若い人間が今時どれだけいるのかも疑問なのだが』
「そうだよね。図書館にくる人間なんてあたしと坂本君と、あと先生がたまに新聞読みに来るくらいだし……先生もミカドの中の世界に入ることってあるの?」
『それは適正次第だ。あの世界に入るには、結局のところ〝想像力〟が無いといけないからな。難しいところではある』
「……微妙だね。出入りするときは気をつけなきゃ。じゃあ最後に、あたしは坂本君と同時に所有者になったけど、出入りするときも一緒じゃなきゃダメ?」
『もちろんだ。本来なら所有者は読者と違って出入りに制限がないのだが、お主らはあまりにイレギュラー過ぎた。登録が同時に行われたから、入るときも二人で入らないといけないというのは、流石に我も想定外だったがね』
「そう……なんだ」
『どうした? 一人で入れないのがお気に召さなかったか?』
「ううん。逆に嬉しいよ……じゃあそろそろ寝るね。おやすみ~」
『うむ、御休み』
ミカドからの返事を確認してから、本を閉じて鞄に戻した。
明日は坂本君と一緒にあの世界を冒険できる。あの世界を眺めた坂本君の輝いた目が、あたしは忘れられない。冒険できるのも嬉しいけど、またあの笑顔を見られると思うとあたしはもっと嬉しい。
そんなことを考えながら、あたしは目を閉じ、眠りに落ちた。