第一章 ④
気づけば、洞窟のような場所に出ていた。
ひんやりとした空気が流れる洞窟は、頭上や足元から鍾乳石が伸びていて刺々しかった。
そんな空間を見渡し、一つの通路を見つけるとそこに向かって歩き出した。おそらくあそこに天宮はいると思う。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!」
しばらく歩いていると、洞窟の先から痛烈な叫びが聞こえてきた。間違いなく天宮の声だ。俺は急いで声のするほうへ走る。
この世界でも疲労は存在するらしく、辿り着く頃には汗が吹き出てへとへとだった。
天宮がいたのは、洞窟の中でも広い空間で、相変わらず鍾乳石が危なっかしい。そして天宮の周りには毒々しい緑色のナメクジが取り囲んでいた。
じわじわと寄ってはくるのだが、とりあえず天宮は無事らしい。
「大丈夫かっ! 今そっちに行くから!」
「坂本君! どうしてここにいるの?」なぜだろうねぇ……あなたを探しに来たのですが。
「そんなことはどうでもいいから早く逃げろっ!」
とは言ったものの、周りからじわじわと囲まれていて身動きが取れなさそうだ。
さて、どうしたものか……。やっぱり、倒すしかないか。
俺は下に落ちていた石をナメクジめがけて一直線に投げた。威力はそんなに高くないが、気を引くことくらいは出来るだろう。
果たして、石の当たったナメクジはこちらに視線を移し、天宮から俺に標的を変える。次々に石を投げて天宮の周りにいたナメクジは全部こちらに標的を変えた。
問題はここからだ。どうやって倒すべきかな。
さっきあの本は〝イメージを具体的な形に変える〟と言っていた。ということは、この世界では俺が想像したことが現実となるのだ。
だとしたら、〝ナメクジが消える〟とイメージすればそれで済むんじゃないか?
俺は必死にナメクジを消す想像をした。だが、ナメクジを消そうとするイメージは頭痛となって阻まれる。それに気づいた天宮が叫んだ。
「この世界はあの本が創って支配しているから、あの本に許された想像じゃないとダメみたいだよ!」そんな制約もありなのかよ……畜生っ!
「だったら……戦ってやる。お前ら、一匹残らずまとめてぶった切ってやる!」
そう叫ぶと、俺はいつも振っている〝木刀〟を想像した。あれなら俺でも戦えるはずだ。
すると、俺の左の手元が白く光った。手から発生した光は刀の形を呈し、左手を握ると確かな感触があった。
それを左へさっと振り払うと、光が掻き消え、木刀が姿を表した。
「うおぉぉぉぉぉっ!」
雄叫びをあげながらこちらを見ているナメクジに向かって走り出し、上段から一気に切りかかった。しかし、ナメクジの柔らかい体に吸い込まれた木刀は、刀身の半ばから溶けてなくなっていた。
嘘だろ、と驚いている俺に、ナメクジの吐き出した毒々しい緑色の粘液が襲い掛かる。反応が遅れた俺は、粘液を避けられなかった。
「うわあぁぁぁぁぁ!」
俺は今までに無い感覚を味わっていた。粘液を浴びた体からはシューッという音をあげながら煙が出ていて、激痛を感じる。ここはイメージの世界なのだが、同時に現実でもあるという事実を今更ながら思い出した。
このナメクジは、多分体の全てが〝毒〟の想像によって出来ているのだろう。だから俺が想像した〝木刀〟もあっさりと溶かしてしまったのだ。
そんなことを考えていると、他のナメクジも粘液を吐き出し始めた。為す術のない俺はただひたすら浴び続けるしかない。
俺はこのまま本の中で死んでしまうのだろうか……。
坂本君が危ない! なんとかしなくちゃ!
あたしはそればかりを考えていた。でも、ナメクジが怖くて体が動かない。
坂本君がここに来たときは正直とても驚いた。何故本の中に入ったあたしを見つけられたのかは分からないけど、なにより助けに来てくれたことが本当にうれしかった。
でも、その坂本君は今、ナメクジの攻撃を受け続けている。あたしはずっと逃げていたから分からないけど、とても苦しそうだ。
このままでは、坂本君が本当にいなくなってしまう。
それは、ナメクジに追われることよりもよっぽど怖いことだった。このままこの世界で坂本君が消滅して、もし二度と会えなくなってしまったら、あたしはどうやって生きていけばいいのか分からない。 あたしにとって初めての友達である坂本君。
いつだってあたしの話を真剣に聞いてくれた坂本君。
困ったときはいつだって助けてくれた坂本君。
そんなあたしの大切な人が、あたしのせいで苦しんでいる。そんなの、イヤ……イヤだっ!
助けたい、その想いだけであたしの頭はフル回転していた。さっき坂本君はイメージだけで〝木刀〟を創りだしていた。さっきまでのあたしは恐怖で何も考えられなかったけど、今なら冷静に考えられる。
ファンタジー小説では、毒は火に弱いと相場が決まっている。
あたしはひたすら〝火〟を想像した。マッチの小さな炎、それだけでも構わない。
すると、あたしの指先が白い光に包まれた。それが消えた途端、小さな〝火〟がポッと生まれた。あたしはそこから想像を広げ、キャンプファイアーの燃え広がる〝炎〟を想像した。
すると、指先の炎が白い光に包まれ、どんどん大きくなっていく。光が消えると、指先にはあたしの頭くらいの大きさの〝炎〟が音を立てて燃えていた。これならナメクジを倒せる!
あたしは思いっきり振りかぶり、ナメクジ目掛けて投げた。
毒に侵され意識が朦朧としている俺は、天宮を見ていた。
すると、彼女の指先に煌々と燃える〝炎〟があった。何事だろう、と思いながら凝視していると、こちら目掛けて炎が飛んでくる。
一瞬で周りは炎に包まれ、ナメクジが熱で溶けていくのが分かる。
数秒後、ナメクジは光に包まれたかと思うと、跡形も無く消えた。それを見ると、俺は完全に意識を失った。
……とくん、おきて、……坂本君っ!
俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。目を開けると、そこは鍾乳石だらけの天井、そして涙を目に湛えた天宮の顔。
俺は……さっきまで何してたんだっけ?
「坂本君っ! よかった……生きてたんだね」
そう言うと、堪えきれずに泣き出してしまう。この体勢だと涙が俺にかかるけど、今は気にならない。……この体勢?
一度状況を確認してみる。後頭部に暖かい感触があり、俺は仰向けに寝ている。まさか……。
「天宮……この体勢は嬉しいか嬉しくないかと言われるとまぁ嬉しいかもしれない。しかしうら若き高校生の男女が野外で膝枕ってのはちょっとぐはぁっ!」
最後まで言えなかったのは、話を聞いていた天宮が泣き顔を紅潮させて震えだし、右手で俺の腹を殴ったからだ。
「坂本君のバカぁ! あたしがどれだけ心配したかも知らないでっ!」
「それはこっちのセリフだ! いつまで経っても来ないからと心配してたら本の中にまで探しに行く羽目になって! ……本当に心配したんだぞ」少し涙目になったのが恥ずかしい。
「そう、なの? じゃああたしがここにいるのを知ってて、助けに?」
「当たり前だ! ま、天宮がいなくてもこの本を読んだらきっとここに来てただろうけど」
「……嬉しい。坂本君が助けに来てくれたとき、本当に嬉しかった。
だけど、坂本君が倒れたとき、本当に心配だった。だから、これからは無茶しちゃダメだよ?」
「わかったけど……それを言うなら天宮もだ。普通本の中に入ろうなんて無茶を通り越して無謀だろ…… これからは勝手にいなくなるなよ?」
「……うんっ、うっ、うあああああああん!」
それからずっと天宮が泣き止まなくて、なだめるのが大変だった。けれど、数分後にはなんとか普段の天宮に戻った。一時はどうなるかと思ったが、本当に良かった。
すると、頭の中に声が響いた。間違いなくあの本の声だ。
『ほぅ、どちらも見事に想像を形に出来たな。素晴らしい』
天宮もきょろきょろと周りを見回している。この声が聞こえているのだろう。
「これで、いいのか? 俺たちはお前の所有者として認められたのか?」
『うむ、その通りだ。お主らの想像の具現力には目を見張るものがあった。お主らは我の所有者として相応しき存在であろう』
「じゃあ、ここから出してくれよ。さっきの戦いで疲れたんだ」
『そうだな。では、お主ら自身の力でこの空間から抜け出してみぃ』
「どういうことだよ? この先は行き止まりだし、抜けられる道なんてどこにも……」
『お主はまだここでの事を理解しきれておらんようだな。この空間においてどうしたら抜け出せるかなんて少し考えればわかる事だろう』相変わらず上からの物言いだな、こいつ。
「坂本君。もしかしたら〝抜け出る〟と想像すればここから出られるかもしれないよ?」
『おぉ。天宮君は理解が早くて助かるな。つまりはそういうことだ。
我と話していた空間を想像してみるといい。我がそちらにお主らを送ったのと同じ原理だよ』
そういうことだったのか。言われたとおりにさっきまであの本と話していた〝薄暗い空間〟を想像した。
すると、またしても白い光に包まれ、視界が真っ白になった。