第五章 ②
かれこれ十分は攻防を続けただろうか……。
結局俺とセインは、デーテに一発もクリーンヒットを与えられず、ほぼ一方的に銃弾を浴びせられた。
想像力も残り少ないのをひしひしと感じているし、俺もセインも満身創痍だ。
「……なんだ、もう終わりか? もう少し楽しめると思ったのだが、私の見込み違いみたいだな。
まったく、時間を使って損したよ」
デーテは未だ、余裕の表情で銃を弄んでいる。俺は立つことも出来ずに地面に臥せ、セインは炎の翼を半分失いながらも、かろうじて飛んでいるという状態だ。
「くそっ……ここまでなのか……」
俺の呟きに、セインは苦悶の表情を浮かべながらも反対する。
「ダメ……諦めたら、この世界が……消え、ちゃう。あたしは……諦め、ない」
そうだ……ここは想像で何でも出来る世界。まだ戦える自分を想像すれば、おそらく……。
「君は今、〝想像さえすれば戦える〟とでも考えただろう。そんな考えを二度と起こせないように、私が手っ取り早く始末してあげよう」
俺の心中を読み取ったかのようにデーテが言い放ち、俺に向けて銃を構えた。
「想創。〝ブルータル・フェイト〟」
デーテが初めて、想創の言葉を口にした。彼の持つ銃が想創光に包まれ、そして消える。
想創光の白い光から一転、全てを吸い込むような漆黒の刃が銃口から伸び、禍々しい雰囲気の銃剣が姿を表した。
本能的な恐怖に襲われ、危機を察知しつつも体を動かせない。やがて、デーテは俺の近くにやってきて銃剣を構え、ポツリと呟く。
「君に二ついい事を教えてあげよう。
一つ、この世界を〝生命あふれる希望の世界〟と想像したのに、不幸な人が多いのに疑問を持っていただろう?
あれ、実は君たちが世界を創造している間に、私がこの世界を改変したのさ」
「……!」
俺は衝撃をのあまり、言葉も出なかった。セインも何かを言いたそうに口をパクパクと動かしているが、同じように言葉が出ない。
「私は、この世界の基礎が出来始めているときから、行動することが出来たんだ。君たちも見ただろうが、土地が生まれて生命が宿れば、自然に文明が出来る。
そこに私が介入して、異種族間の対立を誘導し、今の世界が出来上がったというわけさ。どうだい、傑作だろう?」
「ふざ、けるな……」
「ん? 何か言ったかい?」
「ふざけるなあぁぁぁっ!」
俺は出せる力を全て出し尽くして体を起こすと、木刀でデーテに斬りかかった。
「……delete|(消えろ)」
スッ……ザシュッ!
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
いったい何が起きたのか、分からなかった。
ただ一つ分かるのは、腰の辺りからとてつもない激痛が来ているということ。
痛みに悶えて、地面を転げ回る俺を哀れむようにデーテが視線を送り、さらに呟く。
「本当にせっかちだな、君は。これからもう一つ、いいことを教えてあげようというのに……この世界において龍人というのはね、尻尾が最大の弱点なんだ。このようにチョン切ってやれば、まず死は免れないだろうね」
その言葉を聞き、俺はあの一瞬に起きた出来事を理解した。
スッ、というのは俺の木刀が漆黒の刃によって断ち切られた音。
ザシュッ、というのはその返しで俺の尻尾を切り落とした音だったのだ。
しばらくすると、先程までの激痛が引いてきた。同時に俺の体が想創光に包まれ、視界が真っ白になっていく。
最初は俺自身が死ぬのかと思ったが、よく見れば周りの木々も想創光に包まれて、輪郭を失い始めている。
……あぁ、この世界が死ぬんだな。
「リュウウゥゥゥゥゥッ!」
セインが叫びながらこちらに向かってきている。しかし、俺とセインの間にデーテが立ちはだかり、漆黒の刃をセインに向ける。
「おっと、ここで余計な真似はしないほうが、身の為だぞ? どうせこの世界は、所有者が死んだことで崩壊するんだ。……君も一緒に、この世界の終末を見届けるといいさ」
セインは震えながら俯き、しかし珍しく強い口調で叫ぶ。
「イヤだ……このままリュウを見殺しにして世界が無くなるくらいなら、あたしも最後まで足掻いて一緒に死んでやる! 想創っ! ファースト――げほっ!」
セインが想創をしようと発声したところを、デーテが腹部を殴り、セインを気絶させた。
「はぁ……どいつもこいつも、綺麗事ばかり言いやがって。世の中の本質は悪だというのに」
違う、と反論したかったが、意識が遠のいていく。最期に見えたのは、倒れこんで動かなくなったセインと、崩壊しつつある世界、そして高笑いするデーテ。
〝残酷な運命〟と冠された刃によって、俺は世界と共に死んだ。
目が覚めると、そこは見慣れた俺の部屋だった。
「……そうか。俺は幻界で死んで、強制的にこの世界に戻されたんだな」
何が起きたかを理解し、俺は乾いた笑い声を上げた。
「はははっ……こんなの、こんなのってねぇよ。ふざけるなよ」
俺は幻界を守れなかった。セインも守れなかった。
悔しくて、悲しくて、何かに当り散らしたい衝動に駆られたが、何故か笑えてきた。本当なら周りを一切気にせず、声を上げて泣くか怒るかしたいのに、笑いが止まらない。
……自分の無力さが、情けなさ過ぎて。
「くそっ、畜生っ! なんでっ、なんでこうなるんだよっ!」
俺は机をバンバンと拳で叩きつけた。そうしているうちに笑いも消え、俺の頬を一筋の涙が伝って床に落ちる。
二筋、三筋――そして滂沱。
こんなに泣いたのは、いつが最後だろうか。
……そうだ、中学に上がって再び剣道を始めようと道場に行って、原田さんに基本から教えてもらったときだ。
あの出来事からはもう泣かないと決めたはずなのに……やっぱり俺は弱いな。
涙で濡れた目を腕でゴシゴシ拭き、顔を上げるとあることに気が付いた。
机の上にあるはずのミカドが、何処にも見当たらない。
俺と天宮は、確かにこの部屋から幻界に入った。だから、この机の上にミカドがいないということは、あり得ないのだ。俺は周りを見回してミカドを探したが、やはり見つからない。
だとしたら、ここはいったい何処なんだ?
『どうした? 浮かない顔をしおってからに』
不意に、何処からか声が聞こえた。
最初は気のせいかと思ったが、よく耳を澄ましてみるともう一度先程の声が聞こえる。
『そんな暗い顔をしていると、幸運もあっという間に逃げていくぞ?』
この声、この口調……すごく聞き覚えがある。どこか厳しく、そして懐かしい感じ。
あり得ないとは分かっている。でも、本当にそうだとしたら……。
俺は信じたいという一心で期待を込め、勇気を出して口を開く。
「爺、ちゃん?」
すると、俺が正座している正面に想創光が発生した。十秒ほどの時間を掛けて形を作り出すと、想創光が消える。
そこには、微かに見覚えのある初老の男性が正座していた。
「ほっほっほ。あのヘナチョコ小僧が、随分と大きくなったもんだな」
不敵な笑みを浮かべながら、しかし嬉しそうに話しかける。
「まぁ、泣き虫なところは未だに変わっていなさそうだが。……龍馬、どうした?」
俺は爺ちゃんを直視出来なかった。伝えたいことは沢山あったし、話したいことも沢山あるはずだった。心の中では、面と向かって謝りたいとも思っていた。
でも、目を見るのが怖かった。もし気持ちを伝えた後に、爺ちゃんがまた消えてしまったら、今までよりも寂しさが募る気がしたから。
「逃げるのか?」
はっとして顔を上げると、そこには先程と打って変わって、真剣な眼差しを向ける爺ちゃんがいた。俺は反射的に背筋を張り、表情を強張らせながら口を開く。
「逃げたくは、ない。でも、爺ちゃんがいなくなったらって思うと……」
すると、爺ちゃんは目を閉じて静かに語り出す。
「龍馬、お前は〝龍頭蛇尾〟という言葉を知っているか?」
突然の質問に、俺はこくりと頷く。何の事だか分からなかったけど、言葉の意味自体は知っている。初めは勢いがいいが、終わりになると勢いが衰えるという意味の四字熟語だ。
「昔の龍馬は、まさにそれが当てはまる人間だった。最初はやる気を持って剣道に打ち込んでいたのに、最後は恐れ慄いて剣道から逃げている。それを見ていたワシが何を思ったか、龍馬は想像出来るか?」
「…………」
爺ちゃんの言葉一つ一つが、俺の心に突き刺さる。しかし、爺ちゃんが伝えたかったことを、今ここですべて受け止めなければならない。絶対に逃げてはいけない。
「……心配だったさ。この先龍馬が苦から逃げて、誰とも正面から向き合えない人間になってしまったらと思うと、ワシは心配で夜も眠れなかった。そんなことばかりを考えているうちに癌が悪化して、結局思いを伝えられぬまま、ワシは死んだのだよ」
「……ごめんなさい」
話を聞いている間は絶対に泣かないと決めていたのに、もう目には涙が溜まっている。自分が怒られているからではない、爺ちゃんが悲しそうな表情をするからだ。
しかし、そこで一息つくと一転、微笑を浮かべながら話を続ける。
「謝る必要は無い。むしろ、その後の行動を褒めてやりたいくらいだ」
「えっ?」
「龍馬は、中学校に上がってから友達が出来たな?」
「……うん」
爺ちゃんが言いたいのは、きっと天宮のことだろう。しっかり見ていたんだな……。
「ワシは龍馬のとった行動をすべて見ていた。その子が上級生に捕まったとき、龍馬は彼女を守るために必死に立ち向かったじゃないか。……結局彼女に助けられる形で事件は終わったが、その後龍馬は何をした?」
「……強くなりたくて、剣道を始めた」
「そう、それだ。龍馬は自分の弱さを知ったとき、その弱さから逃げずに克服しようとしただろう? 今までの龍馬だったら出来なかったはずだが……何故だ?」
「それは……俺の力で天宮を守りたかったから」
俺の答えを聞いた爺ちゃんは、満面の笑みを浮かべてさらに続ける。
「やっと本題に戻れたな。ワシが伝えたかったのは、まさにそのことだ。守りたい人が出来たとき、人は強く優しくなれる。龍馬にも、そのような人間に育って欲しかったのだ」
これが、爺ちゃんの伝えたかったこと。久しく聞いた爺ちゃんの優しい声が、俺の心の隙間を満たし、奥の奥まで広がってゆく。
気付けば、俺の後悔の念はほとんど消えていた。
「まぁ、今伝えたところで、龍馬はそのことをすでに理解しているようだが。ならば、今龍馬がしなければならないことは何か、分かるだろう?」
爺ちゃんの言葉に、涙を拭いた俺は迷わずに答える。
「……天宮を、そして世界を守りに行かないと」
俺の返答に満足そうに頷いた爺ちゃんは、すっくと立ち上がって足元を指す。
「ならば、あそこでずっと倒れている訳にはいかないだろう? ワシが少しだけ力を貸してやるから、早く守りたいものを守ってきなさい」
爺ちゃんの指差した先を見ると、そこにいたのは想創光で白く包まれた世界と、倒れているセイン、そして相変わらず高笑いしているデーテ。
セイン、少しだけ待っててくれ。今すぐ助けに行くから……。
「爺ちゃん、ありがとう。俺、爺ちゃんにはもう会えないと思っていたから、今日会うことが出来て本当によかった。
……でも、なんで爺ちゃんがここにいるんだ?」
最初に気付くべき疑問に今更気付き、首を傾げる。爺ちゃんは笑いながら答えた。
「何故も何も、ワシの魂はまだお前の中で生き続けている。
この世界に来て、龍馬にもワシの魂が認知出来るようになった、ただそれだけだろう。……まぁ、ワシももうすぐ消えるのだが」
「えっ……どうして」
せっかく会えたばかりなのに、何故爺ちゃんが消えなければならないんだ。
冷静に考え、そして俺は一つの結論に辿り着いた。
「まさか、俺を生き返らせるために? そのために爺ちゃんが犠牲になるのか?」
すると爺ちゃんは、笑いながら横に首を振った。
「そんな訳ないだろう。犠牲になるのではなく、龍馬に力を分け与えるだけだ。
ワシの力が龍馬の力に変わるだけなのだから、ワシが消えたとしても犠牲という言葉は似合わないな」
「爺ちゃん……」
「だから、絶対に敵を打ち倒し、守るべきものを守って来い!」
爺ちゃんはおもむろに俺の目の前まで来て、頭半分くらい大きい俺を抱きしめた。その温もりがあまりに優しくて、俺も強く抱きしめ返す。
「……本当は死ぬ前にこうしたかったのだが、これはこれで悪くないな」
「俺も、本当はもっと爺ちゃんにいろいろなことを教わりたかったし、話もいろいろしたかった。
今更だけど、今まで本当にゴメン。俺、これから少しずつでも爺ちゃんの望むような男になるから、今後も見守っていてくれる?」
「あぁ、もちろんだ。……これからは龍馬の守りたいものを守って、ワシが守れなかった家族も守ってやってくれないか?
無事に元の世界に帰れたら、武美と朱美、ついでに竜ちゃんにもよろしく言っておいてくれ」
「うん、約束する。……それじゃ、俺もう行かなきゃ」
俺はいっそう強く、爺ちゃんを抱きしめる。この温もりを一生忘れないように……。
「そうだな、急がねば時間がない。……最後に一つだけ、ワシは龍馬の成長を信じているが、念のために言っておく。
もう〝龍頭蛇尾〟にはなるなよ? それが、虎であるワシと並び立つ、龍の名を持ったお前への、ワシからの最大の願いだ」
「……俺の名前、もしかして爺ちゃんがつけたのか?」
「そうだ。結果的には龍馬という名前になったが、ワシの想いは龍馬の名前にきちんと刻まれている。だから、龍馬は自分の名前を恥じなくてもいいんだ」
「……ありがとう、爺ちゃん」
てっきりふざけて付けられた名前だと思っていたのに……これじゃ怒れないじゃないか。
爺ちゃんは長い抱擁を解くと、今度は俺の胸に掌を当てる。
「では、今から龍馬に力を分け与える。……勝って、そして守れ」
その言葉を最後に、爺ちゃんは想創光に包まれた。眩い光は腕を通って胸に直接届き、心が温かくなる感覚に包まれる。次第に体が軽くなり、今居る空間も想創光に包まれて砕け散る。
勝ってくる、そう呟くと俺は目を閉じて空間の破片と共に落ちていった。




