第四章 ⑤
終わってみれば、俺が叫んでたったの一分も経っていなかった。
あれだけ数多くいたスケルトンは全て消滅し、残されたのは俺たちと森の静寂だけだった。
あれほどのつむじ風を発生させておきながら、木々を一本も傷つけなかったのはある意味奇跡かもしれない。傷つけたらきっと、セインが黙ってはいなかっただろう。
立ち尽くしている俺の下へ、セインとシュンが駆け寄ってきた。
「リュウ、大丈夫? すごく大規模な魔術を想創したけど……」
「大丈夫、とは言えないかな。想像力使いすぎて頭痛いし」
それでも初めて成長種族を使った頃と比べればなんてことはない。龍人の姿をとっていても、あまり疲れを感じなくなっているし。
「無茶をするなとあれほど言ったのに……お前はもう少し学習するべきだ」
「ワリぃ。でも、結果的に倒せたから良いじゃないか」
「良いことなんてあるもんか。ここでバテてたら、大本命と戦う羽目になったときに、あっさり負けることになりかねんぞ」
そうだった……俺たちの本来の目的は虫の異変の調査であって、スケルトンの駆除ではないはずだ。
まだ戦うことを考えたら、今の状況は結構厳しいかもしれない。
「……相手の思うツボじゃねぇか」
【まったくもってその通りだな、所有者よ】
「っ!」
俺の呟きに返事をしたのは、明らかにシュンではない。シュンよりもさらに低く、重々しい声だった。
しかし、セインとシュンはこの声に気付いていないらしく、未だに平然と会話を続けている。
俺にしか聞こえていないのか?
「ん? どうしたんだ?」
俺の表情に気付いたシュンが、表情を硬くして問いかけた。セインも気付き、俺の顔を心配そうに覗き込んでいる。
何か聞こえないか? そう問いかけようと口を開きかけると、また先程の声がした。
【私の仕向けたスケルトンごときに、そこまで想像力を使ってやるとは……いや、単に制御が出来ていないだけなのかな? どちらにせよ、所有者にしては未熟な奴だな】
何処からともなく聞こえる声に、俺はいくつかの疑問を抱いた。
いったい何処からどのようにして、俺にしか聞こえない声で語りかけているのだろうか?
何故シュン以外のこの世界の存在が、俺がミカドの所有者だと知っているのか?
そもそもお前は、何者なんだ?
考えていてもしょうがないので、一度話をしてみることにした。
「おい、お前は一体何処にいる? どうやって話しかけている?」
一応近くに声の主がいないか探してみるが、セインの炎に照らされた森には、生き物の気配がほとんどない。もし近くにいれば、シュンがすぐに気付いているだろう。
セインとシュンは、何がなんだか分からないというような表情で俺を見ていた。やはり、この声が聞こえるのは俺だけみたいだ……。
少し間をおいて、先程の声が質問に答える。
【何処、とまでは流石に言えないな。簡単に教えてしまったら、面白くないじゃないか】
こいつ……今の状況を心の底から楽しんでいるみたいだ。さっきから声が妙に弾んでいる。
【だが、今の状況なら教えてやれる。俺はお前に〝念話(テレパシー)〟を使って話しかけているんだ。お前たちの想像力なら、すぐに出来るようになるだろう】
ひとしきり言い終えると、さらに小さく付け加える。
【この後生きていれば、な】
背筋に悪寒が走った。この声の主は、最後の一言だけ声に殺気を込めていた。
声を掛けようとしていたセインを、口の前に人差し指を立てるジェスチャーで制し、次の言葉を待つ。
声の主はさらに続ける。
【私は、お前たちがこの森に入ってからずっと監視していた。正直な感想を言うとな、君たちの実力を見て拍子抜けしたよ。
想像力はものすごく高いのに、ただ強力な想創をすればいいと思っている。戦闘が終わってみれば想像力を使いすぎてバテているし……まだ雑種の方が賢く戦っていると思ったよ】
「くっ……今はそんなことどうでもいい。お前はいったい何の目的で俺たちを監視しているんだ?
そもそも、お前は一体何者なんだ?」
【質問の多い奴だなぁ……それくらい自分で考えたまえよ。
もしも分からないのならば、君が持っている便利な本があるじゃないか】
……ミカドの存在を認知している。これは只事で済まされなさそうだ。
【まぁ私は気長に待つから、早く探し出して私を楽しませてくれよ】
「ふざけるな! お前は――」
何様のつもりだ、その言葉は念話の声によって阻まれた。
【私の送り出した虫たちをどうにかできたら、の話だけど】
それを最後に、声の主は何も言わなくなった。
未だに状況を飲み込めてないセインとシュンは、しかし俺の深刻そうな雰囲気を確かに感じ取っているようだった。
セインが静かに口を開く。
「……リュウ、誰と話をしていたの?」
何から説明していいか分からなかったので、俺は簡潔に答えることにした。
「誰かは分からない……でも、相手はミカドのことを知っていた」
「えっ?」
「嘘、だろ?」
二人ともが驚愕の表情を浮かべていた。幻界の住人でこの話をしたのは、間違いなくシュンだけなのだから当然だろう。
やがて、表情は驚愕から不安に変わる。
「そんな……じゃあいったい相手は何者なの?」
「分からない……けど、ミカドに聞けば分かるかもしれない」
『呼んだか?』
俺の声を聞きつけて、ミカドが虚空から姿を表した。俺はすかさず質問する。
「なぁ、この世界でお前のことを知っている奴がいると言ったら、信じるか?」
『まさか。我の外見だけ知っていても、この世界そのものだと気付く者はおるまい』
「……過去に創り出した世界でも、か?」
『……』
ミカドは急に黙り込んでしまった。もしかしたら何か心当たりがあるのかもしれない……。
しばらくして、ミカドは静かに語り出した。
『この世界の住人に我のことを認知されることは、所有者が打ち明けない限りあり得ない。それは、今まで創り上げた世界全てに共通することだ』
「じゃあ、相手はこの世界の住人ではないんだよな?」
『その通りだ。だとしたら、我の存在を認知し得る存在は、所有者以外にはあり得ないのだ』
「だとしたら、一体誰が……」
『……この不可解な状況を理解するためには、我の過去を知ってもらう必要がある。
しかし、ここからはあくまで推測の域を出ない。話半分に聞いてくれ』
俺とセイン、そしてシュンは頷いた。
それは、リュウとセインの一つ前の所有者の作り上げた世界、〝桃源郷〟での出来事だった。
所有者のペンネームはルート。彼の創り出した世界は女子だけの世界で、毎日誰かしらの女子と一緒に戯れていた。
我もそいつとは気が合って、その世界を日々楽しく過ごしていた。
ある日のこと、いつものように可愛らしい女子と手を繋いで歩いていたルートは、海岸にあるヤシの木の上に奇妙な人物を見かけた。
それは、その頃の世界には存在しないはずの男の姿だった。フード付きの黒いコートを身に纏って、手には拳銃を握っていたらしい。
不審に思ったルートは彼の下へと立ち寄り、お前はいったい何者なのかと尋ねた。すると彼はおもむろに拳銃を構え、ルートを撃ち抜いた。
突然の出来事に、何が起こったのか分からない表情をしていたルートはその場に倒れた。我は急いで彼を回復させようとしたのだが、間に合わなかった。
そんな我を見たその男は、小さく呟いたのだ。
「随分と堕ちたもんだな、ミカド」
何故我の名前を知っているのか、全くもって分からなかった。
せめて撃ち抜いた犯人の特定だけでもしようとしたが、ルートが死んだことによってすぐに世界は崩壊し、犯人を見つけ出すことは叶わなかった。
こうして、いくつかの謎を残したまま桃源郷は消滅してしまった。
『――ということだ。我が想定するに、お主に話しかけた人物は、おそらくその事件に関係があるのだと思う。相手の外見を見ていないからまだ分からないのだが、我のことを知り得るのはおそらく奴しかおるまい』
「……まぁ世界のことはあえて何も言わないが、要するに以前の世界でも同じような人物に会ったんだよな?」
『うむ……その通りなのだが、奴からはただならぬ気配を感じたのだ。
迂闊に接触すれば、命を取られかねんぞ』
俺もセインもシュンも、難しい顔をしていた。もしもこの推測が正しければ、今回俺たちが戦おうとしている人物は、俺たちの命を狙っているかもしれないからだ。
「……罠、なのかな? その人はあたしたちを狙うために、わざと村を虫に襲わせたの?」
セインは悲しげな表情を浮かべる。俺だって気持ちは同じだ……。
「きっと、そうなんだろうな。だからって今更逃げ帰るのは俺の本意じゃないが」
「何を言っている! 狙われているところにわざわざ飛び込むなんて、正気の沙汰じゃないぞ……今回の件は、お前たちに関わらせる訳にはいかない。俺一人で行く」
「ダメっ!」
セインが大きな声で反対した。その表情は今までにないくらい険しく、真剣だった。
「そんなの……ダメだよ。シュン一人だけを危険な目に遭わせられない、遭わせたくないんだよ!
それに、あたしたちを狙っているのだとしたら、シュンだけ行ってもきっと姿を表さないと思うんだ。……だから、一人で行っちゃダメ」
ここまで真剣な表情をして人と話すセインを、天宮の時でさえも見たことがない。
でも、これが本来のセインであり、天宮聖子という人間なのだ。
どんな状況でも思いやりを忘れず、誰でも優しく包み込んでくれる存在。
だからこそ俺は彼女と友達になれて、この世界で生きている今がある。
しかし、セインの言葉にシュンは引く気配を見せず、こちらもさらに反対する。
「確かにそうかもしれない……けどな、俺だって索敵能力は高いんだ。
それに、俺は自分から命を落としに行くような友達を、見過ごすことなど出来ねぇんだよ!」
どちらの言い分も正しいと思う。間違ってなどはいない。
けれど……。
「悪かった。確かに俺たちは、自分から命を落とそうとしていた。それは、あまりに愚かなことだと自分でも分かっている。すまなかった」
「……分かればいいんだ。後は俺に――」
「でもな、俺はお前一人で行かせることも許可できない。
もしもお前だけ危険な目に遭って、俺たちだけ逃げるのだとしたら、傷ついたお前を見た俺は、俺自身を許せなくなると思うんだ」
俺の言葉を聞いたシュンは黙り込む。彼も迷っているのだろう。
だから、俺は一つだけ提案する。
「もしもお前一人だけで行きたいというのなら、俺を倒していけばいい。
その代わり、もしお前が負けたとしたらその時は、今ここに向かってきている虫たちを抑えて欲しい」
正直、こんな強引な提案はしたくない。
でも、それだけ俺の気持ちは強いということだ。シュンも気持ちは強いだろうから、どういう返事が返ってくるかはだいたい予想が出来ている。
「……望むところだ。お前たちはここで、虫たちを抑えてればいいんだ」
シュンの返事にセインは大いに慌てる。
「ちょっと! あたしは三人で行けばいいよって言いたいだけで――」
「セインは黙っててくれないか?」
少しだけ表情を険しくしてセインを見据える。セインは一瞬泣きそうな顔になって、しかしぐっとこらえて口を開くことはなかった。
セイン、本当にゴメン。俺って最低な男だよな……。
「それはこっちの台詞だ。……セインが回復してくれるから、手は抜くなよ?」
その言葉を最後に、シュンは一度だけ溜め息をつく。そして、二人は距離を少しだけ離し、お互いを見つめ合った。
セインはというと、悲しげな表情でただ静かに見守っていた。そんなセインに俺は少しだけでも元気をつけるために、はにかみながら一言だけ告げる。
「大丈夫。絶対に負けないし、シュンもほとんど傷つけないから……約束する」
すると、セインが俺の手を両手で握ってきた。そして小さな声で漏らす。
「……約束、絶対に守ってよ」
セインの温もりを感じながら、俺は一度だけ強く頷いた。手を離すと、俺はセインと距離を置き、シュンの前方五メートルくらいの地点に立つ。
「ルールは、セインの投げる石が落ちた瞬間からの一撃勝負。一発でも入れた方が勝者だ」
「分かった。……想創。〝速度上昇〟」
いつものように呟いたシュンは、想創光に包まれる。すぐに光は消え、彼の体にすさまじいスピードが宿った。
そこから、さらに言葉を追加する。
「想創。〝高揚の杓文字(ライズ・スコップ)〟」
今までに聞いたことのない単語だった。シュンの右手に想創光が集まり、いつもより少しだけ長い時間を掛けて光が消える。
すると、その手には左右非対称の、上部が少しだけ角張った杓文字が握られていた。サイズはシュンの身長と同じくらい。
「へぇ……そんな切り札を隠していたのか」
「そうだ。これはいざという時にしか使わないのだが……今ここで使わせてもらう」
「構わないぜ……想創! 〝龍雷爪〟!」
俺の右手に想創光が集まり、そして消える。右手にはバチバチと電光が走っていた。
本物の龍になって最初に使った、思い出の想創。これで俺は、お前に想いを伝える。
「……それだけか?」
「あぁ、俺は拳で語りたい人間なんでね」
「……そうか」
短い会話を終えた俺たちは、互いにいつ来てもいいように身構える。それを見届けたセインが、目をぎゅっと瞑りながら、拾った石を俺たちの間に静かに放り投げた。
コツン、と地面に石が落ちた瞬間、俺たちは同時に動き始めていた。
お互いに真正面から衝突する勢いでぶつかり、元いた位置を入れ替えて止まる。
俺とシュンは振り返り、再び見つめ合った。
そして、シュンはその場に崩れ落ちた。
決着は一瞬だった。
崩れ落ちたシュンに、セインが急いで駆け寄る。
「シュン、大丈夫? ……リュウ、シュンに何をしたの?」
「あぁ……俺はシュンに少しばかり爪から放電しただけだ。
猫の毛って、静電気溜まりやすいだろ? だからもしかしたら電撃は有効じゃないかな……と思ってさ」
「じゃあ、シュンは気絶しているだけなの?」
「まぁ、そうなるな。流石に死んだりはしないと思うが」
俺の返答に、セインはほっとした表情を浮かべた。
しばらくすると、シュンが目を覚ました。彼自身、何が起きたのか分からない様子だった。
「……俺は、負けたのか?」
「そういうことだ。というわけで、虫の対応は全てシュンに任せる」
少しの間黙り込むが、すぐに今までの硬い表情を崩して答える。
「……約束だもんな。その役、俺が引き受けよう」
「すまない。でも、もし俺たちがピンチに陥ったときはすぐに助けに来てくれよ?」
俺がニヤリと笑ってうそぶくと、シュンは獰猛な笑みを浮かべる。
「はっ、虫なんて一捻りにして、お前たちが戦う前に合流してやるよ」
その光景を見ていたセインは、呆れて溜め息をつく。
「……本当に、男の考えることは分からないよ。二人とも本っ当にバカなんだから!」
「心配掛けて悪かった。……これからは程々にしておくよ」
「そういう問題じゃないの!」
俺がセインにガミガミ怒られている様子を見ていたシュンは、何故か笑っていた。
ひとしきり笑うと、神妙な面持ちで呟く。
「……友達って、いいものだな。
お前たちが俺の命を気遣ってくれるだけで、俺は心の底から幸せだと思える」
そして、今までにないくらい輝いた笑顔で言った。
「本当に、ありがとう。ここは俺に任せて、さっさと黒幕を倒してこい!」
「……あぁ! 必ず倒してみせる。お前も気をつけろよ?」
「シュンならきっと大丈夫だよ。……絶対に帰ってくるから、それまで待っててね」
言葉を交わした三人は、しばらくお互いの肩を組んで強く抱きしめあった。
そんな中、虫たちの羽音がだんだん近づいてくる。
「……虫が近づいて来ている。お前たちは早く行け」
「「分かった」」
こうして、俺たちは虫を操っている張本人を倒すべく、急いで森の奥へと向かった。
……シュンの渾身の一撃を喰らった脇腹をさすりながら。




