第五話「師弟」
「もちろんです」
俺は、セレナさんの顔を見て答えた。
魔法のことなら、聞きたいことはいくらでもある。今まで一人で眺めてきた光を、この人には話していいのだ。
「僕にも、魔法を教えてください。見えていても、分からないことばかりなので」
「ええ。私が教えます」
セレナさんが頷いた。
それだけで、次に何を聞こうとしていたのか、分からなくなった。
(……やっとだ)
書庫で本を開くたび、いつか教えてもらえたらと思っていた。
その先生が、目の前にいる。
「よろしくお願いします」
頭を下げ、顔を上げたところで、セレナさんの視線が横へ動いた。
母様と目が合ったセレナさんは、口を開きかけ、いったん閉じた。
父様はまだ腕を組んでいる。オスカーも、黙って成り行きを見守っていた。
「……その前に、お詫びをさせてください」
セレナさんが立ち上がった。
「ご子息のお話を、初めからまともに取り合いませんでした。テレシア様が案じておられることにも、耳を貸さずに」
膝の脇で、指が衣を握る。
「私の非礼です。申し訳ありませんでした」
深く下げられた頭を、母様はしばらく見つめていた。
「顔を上げてください。私も、言葉が強くなってしまいました」
「いえ、それは……」
「レインにまた何かあったらと思うと、落ち着いていられなくて」
母様の手が、俺の背中に触れた。
ほっとして母様を見上げると、さっきの険しい顔が嘘のようだった。
「母様があんなに怖い顔をするの、初めて見た」
「レイン!」
名前を呼ばれた途端、父様が吹き出した。
母様の耳が赤くなる。
「……あなた。私、そんな顔をしていました?」
父様の笑いが止まった。
少し考え、真面目な顔で答える。
「見慣れない表情ではあったな」
「あなたまで!」
オスカーが口元を押さえて咳払いをした。俺も笑ってしまい、母様に頬を軽くつままれる。
「誰のことを心配していたと思っているの」
「……僕です」
そう答えると、頬から指が離れ、代わりに頭を撫でられた。
セレナさんは立ったまま、俺たちを見ていた。母様が向き直ると、すっと背筋を伸ばす。
「この子、魔法を学ぶのをずっと楽しみにしていたんです。怪我をせずに、好きなことを続けてほしい。それが、私の願いです」
「はい。まずは、自分の魔力を安全に扱うところから教えます」
「どうか、お願いします」
母様が頭を下げる。セレナさんも、今度はすぐに頭を下げた。
父様が組んでいた腕を解き、俺の肩に手を置く。
「よかったな、レイン。セレナ殿ほどの先生に教わる機会など、そうあるものではない」
「はい!」
「この子がどこまで伸びるか、私も楽しみにしている。よろしく頼む」
俺の肩を叩く手に、少し力がこもった。
セレナさんは父様に頷いてから、俺を見る。
「では、あなたのことを、もう少し教えてもらいましょう」
*
父様と母様に見送られ、先生と二人で屋敷の裏手にある稽古場へ移った。
芝の先には、剣の練習に使う広場があり、そこに木製の標的が並んでいる。セレナさんは周囲を確かめ、建物から離れたところで足を止めた。
「セレナさん。最初は、何をするんですか?」
「魔力量と、今どのくらい扱えるかを確かめます。練習は、それからです」
早速何か教わるつもりでいた俺に、セレナさんが指を一本立てた。
「それと。これからは、先生で構いません」
「はい。セレナ先生」
呼んでみると、自然に頬が緩んだ。
先生は一つ頷いて、紺の魔導衣から小さな器具を取り出す。黒い外装に銀の模様。中央には魔晶石がはまり、その脇に細かな目盛りのついた文字盤があった。
「魔力量を測る道具です。帝国では、この型がよく使われています」
「これで、僕にどのくらい魔力があるか分かるんですね」
「本来は。ですがおそらく、上限を超えてしまうでしょうね」
「まだ測っていないのに、分かるんですか?」
「先ほど、応接室で火を灯したでしょう。あのときに感じた魔力だけでも、普通の子供の量ではありませんでした」
あんな小さな火で、そこまで分かるのか。
俺は自分の手と、先生の持つ器具を見比べた。
「先生も、上限を超えたんですか?」
「六歳の一斉検査で。針が端まで動いて、それきりでした」
「六歳で……」
「ただし、魔力量と、上手に使えるかどうかは別の話ですよ」
先生が、俺の手へ目を落とす。
書庫で膨れ上がった火を思い出し、頷いた。
「僕は、まず加減を覚えないといけないですね」
「ええ。そのための先生です」
先生は俺の目をまっすぐ見ていた。
「先生。魔力は見えなくても、感じられるんですか?」
「自分のものなら、どこへ動かしているか、どのくらい力を込めているか。他人のものでも、大量に外へ放たれれば、重圧のような気配を感じます」
「さっきの僕も?」
「ええ。ただ、今のあなたからは、ほとんど感じません。意識して抑えているわけではないのですね?」
「はい。何もしていません」
先生は少し考え、測定器をいったんしまった。
「では先に、外へ出す加減を確かめましょう。魔法に変えず、ほんの少しだけ。私が止めたら、すぐにやめてください」
「分かりました」
自分の内側へ意識を向ける。
火を作るのではなく、光を外へ出すだけ。
ほんの少し。そのつもりで緩めた途端、光が一斉に溢れた。
「そこまで!」
すぐに抑えたが、先生は目を見開き、一歩後ろへ下がっていた。
その足が衣の裾を踏み、身体が傾いた。
「あっ」
手を伸ばすより早く、先生の足元で魔力が動いた。
背中が地面につく寸前、身体がふわりと止まる。栗色の髪と、深紅の模様が入った裾が、遅れて揺れた。
先生は宙に浮いたまま、目を見開いて俺を見ていた。
「……今ので、ほんの少しですか」
「そのつもりだったんですけど……大丈夫ですか?」
「転んではいません」
確かに、どこも地面についていない。
先生はゆっくり身体を起こして足を下ろし、衣の裾を払った。胸元の銀のバッジを真っすぐに直してから、もう一度、俺を見る。
「私の言う『少し』とは、ずいぶん違ったようですね」
「すみません。僕には、光が出ただけに見えて……」
「だから、確かめたんです。今の感覚を覚えておいてください。練習では、そこまで出しません」
俺は頷き、自分の手を見た。
多く出したつもりはなかった。それでも、先生があれほど驚く量になってしまう。
自分一人では、その違いさえ分からなかったのだ。
「では、測定をしましょう」
先生が器具を取り出すと、思わずその手元を見た。
「これ、大丈夫なんですか?」
「上限に達したら止まります。今度は、あなたから魔力を出す必要はありません」
先生は俺の両手に器具を載せ、中央の石を指した。
「この魔晶石を動力にして、身体の中にある魔力の反応を調べます。握ったまま、何もせずにいてください」
「はい」
冷たい金属を、両手で包む。
先生の指が器具の縁に触れると、石に淡い光が灯った。
針が動く。目盛りの三分の一。半分。
止まる気配もなく、一気に端へ届いた。
「ここまでですね」
先生が測定を止めた。
針が静まり、石の光が薄くなる。
俺が手を緩めかけた、そのときだった。
パキッ。
魔晶石の真ん中に、細い亀裂が走った。
「……え?」
先生の声だった。
亀裂は枝分かれして広がり、最後に残っていた光が消えた。
「先生、これ……」
「……少し待ってください」
先生は俺の手から器具を取り上げ、ひび割れた石を覗き込んだ。裏返して、また表へ戻す。
針と石をもう一度見比べても、何も変わらなかった。
「壊れたんですか?」
「……そうですね」
「すみません」
先生が顔を上げる。
「あなたは言われた通りにしただけでしょう。謝ることはありません」
返事をしても、まだ石が気になった。
「先生のときも、こうなったんですか?」
「なりませんでした」
今度の返事は早かった。
先生は石に指を添え、息をつく。
「上限を超えただけなら、針が振り切れて終わるはずなんです。止めたあとに、石まで割れるなんて……」
「僕の魔力が、多すぎたからですか?」
「ええ。測れる量だけでなく、器具が耐えられる範囲まで超えてしまったようです」
ひび割れた石を見る。
先生が六歳で超えたという目盛り。その先が、どこまであるのか。
器具が壊れてしまった今は、先生にも分からない。
「まさか、ここまでとは……」
小さな声だった。
俺の手を見つめていた先生が、ふと顔を上げた。
「身体に、変わった感じはありませんか。痛みや、疲れは?」
「ありません」
「それなら、よかった」
先生は器具をしまった。
俺は何も持っていない両手を、握ったり開いたりしてみる。
「……僕にも、ちゃんと扱えるようになりますか」
「そのために、練習するんです」
先生が俺の前に立つ。
「必要な分だけ動かして、止めたいところで止める。まずは、普通の子供と同じ基礎から始めましょう。使う量は、ごく少なくして」
「その加減も、教えてもらえますか?」
「もちろん。『ほんの少し』だけでは、足りませんでしたからね」
目が合うと、先生の口元がわずかに緩んだ。
俺も笑った。
「それに、練習で魔力をどう動かすかを確かめれば、初めての魔法を詠唱なしで使えた理由も、分かるかもしれません」
「僕に見えるものも、話した方がいいですか?」
「ええ。ぜひ聞かせてください」
俺は、もう一度頷いた。
稽古場の入口から、オスカーが昼食を知らせる声をかけてきた。
もうそんな時間だったのか。
「食事と休憩を済ませたら、ここへ来てください。今日から始めましょう」
「はい、先生!」
答えてから、もう一度、自分の手を見た。
これからは、分からなければ聞ける。うまくできなければ、見てもらえる。
午後になったら、最初にどんなことを教わるのだろう。
先生の隣へ駆け寄りながら、俺はもう、それを聞こうとしていた。
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