新戦争論 日本の防衛を考える
東京の朝は、いつもと変わらなかった。
駅のホームには会社員が並び、学生たちは眠そうな顔でスマートフォンを見ている。コンビニには弁当が並び、自動販売機には冷たい飲み物が補充されている。
電車は時刻通りに到着した。
《北朝鮮から弾道ミサイルのようなものが発射されました。》
この報道が流れても誰も空を見上げない。
以前は警告のアラートが携帯から鳴っていた。
誰も、この日常が突然失われる可能性など考えていない。
私はホームの端で、そんな光景を眺めていた。
日本は海に囲まれた島国だ。
海の向こうには、中国、北朝鮮、ロシアという核兵器を保有する国々が存在している。
もちろん、核兵器を持っているからといって、明日戦争が始まるわけではない。
外交があり、経済関係があり、国際社会の枠組みがあり、
何より戦争には途方もないお金と人命。
戦争には相当な代償が伴う。
だからこそ、多くの日本人はこう考える。
「戦争なんて日本では起こらないだろう」
私も昔はそう思っていた。
だが、ウクライナやアメリカやロシアのイランやイスラエルやパレスチナのガザ地区の世界の戦争と紛争ニュースを見るたびに、その言葉に少しずつ疑問を感じるようになった。
戦争は、戦争を望む国だけが始めるものではない。
利益、誤算、衝突、報復、復讐、同盟、侵略、
そして恐怖。
いくつもの歯車が噛み合ったとき、昨日まで想像すらしなかった場所が戦場になる。
もし、台湾海峡で大規模な軍事衝突が起きたら。
もし、朝鮮半島で核ミサイルが飛び交ったら。
もし、飛行機の威嚇射撃が当たって撃墜してしまったら
もし日本周辺で軍事的緊張が急激に高まったら。
日本だけが、その外側に立っていられる保証はない。
日本には自衛隊がある。
そして日米同盟がある。
海上自衛隊は広大な海を監視し、航空自衛隊は領空を守り、陸上自衛隊は離島を含む国土防衛に備えている。
だが、防衛力が存在することと、国民が戦争に備えていることは別問題だ。
私はある日、一つの想像をした。
もし今、この瞬間にスマートフォンの画面へ警報が表示されたらどうなるだろう。
《ミサイル発射。建物の中、または地下へ避難してください》
ここにいいる駅のホームにいる数百人は、どこへ逃げるのか。
地下街へ走るのか。
会社へ向かうのか。
家族へ電話するのか。
子供を迎えに行くのか。
あるいは、その場で立ち尽くすのか。
さらに日本で本土の戦争が長期化したらどうなるだろう。
燃料の輸入が滞る。
物流が混乱する。
スーパーから商品が消える。
薬が不足する。
インターネットや通信網が攻撃を受ける。
株式市場は大きく動き、企業活動にも深刻な影響が出る。
戦争とは、兵士だけが経験するものではない。
電気、水道、食料。
交通、通信、仕事。
預金、住宅、会社。
教育、家族、国家。
そのすべてに影響する。
私はウクライナから避難する家族の映像を見たことがある。
駅で抱き合う父親と子供。
列車に乗る母親。
ホームに残る男性。
戦争が始まる前、その人たちもきっと普通の生活をしていただろう。
仕事へ行き、買い物をし、休日の予定を立てていたはずだ。
そしてある朝、人生の前提がすべて変わった。
2022年2月24日にロシア軍の侵攻を受けて国民総動員令が発令された。
その際、18歳から60歳の男性は招集の可能性があるため、基本的に
ウクライナの国を離れることができなくなった。
日本にも戦争の過去がある。
かつて日本の軍隊が国民生活のすべてを支配した時代があった。
国家総動員体制の中で、人々の仕事も物資も生活も戦争遂行へ組み込まれていった。
食料は不足し、自由は制限され、多くの人々が戦地や軍需工場へ向かった。
だから戦後の日本は、戦争を避けることを何より大切にしてきた。
私は憲法9条や、その平和理念を否定したいわけではない。
むしろ逆だ。
平和は守る価値がある。
だからこそ、平和について真剣に考えなければならないと思う。
ある日、防衛関連の防衛ドローン無人機を開発しようとする企業のニュースを見た。
歓迎する声がある一方で、
「兵器を作る企業になるのか」
という批判もあった。
私は画面を見ながら考えた。
批判する側にも理由はある。
軍事技術が拡大することへの不安。
兵器産業が利益を求める危険。
軍拡競争への懸念。
どれも無視できない。
だが同時に考えなければならない。
守るための技術を、誰も作らなかったらどうなるのか。
防衛とは、戦争をしたい人だけが考えるものではない。
むしろ戦争を起こさせないために考えるものでもある。
相手が、
「攻撃しても反撃されない」
「簡単に占領できる」
と考える国と、
「攻撃すれば大きな代償を払う」
と考える国。
どちらが攻撃を受けにくいのか。
抑止という考え方は、そこにある。
しかし私は、防衛費を増やせばすべて解決するとも思わない。
ミサイルだけでは国は守れない。
戦闘機だけでも守れない。
外交が必要だ。
同盟が必要だ。
経済安全保障が必要だ。
サイバー防衛が必要だ。
避難計画も必要だ。
食料や燃料の備蓄も必要だ。
そして何より、国民が自分の国の安全保障について考えることが必要だ。
戦争を煽る必要はない。
恐怖を振りまく必要もない。
中国人だからこう考える。
ロシア人だからこう考える。
韓国人だらかこう考える。
日本人だから平和を愛する。
そんな単純な話でもない。
どの国にも戦争を嫌う人がいる。
どの国にも強硬論を唱える人がいる。
国家と国民の考え同じではない。
だからこそ必要なのは、相手を憎むことではなく、現実を見ることだ。
平和主義とは、何もしないことではない。
対話する。
備える。
同盟国と協力する。
危機が起きない仕組みを作る。
それでも危機が起きた場合には、国民を守れるよう準備する。
それら全部を含めて、私は平和主義なのだと思う。
夕方。
私は再び駅のホームに立っていた。
電車が入ってくる。
小学生が母親の手を握っている。
若い男女が笑っている。
会社員が缶コーヒーを飲んでいる。
平凡な日常だった。
私はこの光景を守りたいと思った。
戦争をしたいからではない。
戦争を起こしたくないからだ。
「日本は平和だから大丈夫」
そう言い続けるだけで平和が続くのなら、それほど簡単なことはない。
しかし歴史を見る限り、平和は永久に保証された状態ではない。
昨日まで平和だった国が、今日戦場になることもある。
だから考えなければならない。
外交について。
防衛について。
同盟について。
避難について。
そして、自分たちが何を守りたいのかについて。
戦争を恐れることと、戦争について考えないことは、
まったく違う。
平和を願うことと、平和が永遠に続くと信じ込むことも、
まったく違う。
私は空を見上げた。
今日も飛行機雲が一本、青空を横切っていた。
携帯から警告アラートは鳴っていない。
爆発音もない。
人々は家へ帰っていく。
この何でもない一日こそ、
本当は最も価値のあるものなのかもしれない。
そして、その日常は決して当然ではない。
平和と戦争は、遠く離れた二つの世界ではない。
その境界は、私たちが思っているより、
ずっと薄い。
戦争と平和は紙一重なのだ。
『新戦争論 日本の防衛を考える』
完結
漫画化しました。
https://rookie.shonenjump.com/series/TWpXKpYTL10/TWpXKpY0_q4




