青い小箱・王宮の廊下
王宮へ場所を移しても、「青い小箱」をめぐる視線は消えなかった。王宮では、声を潜めた会話ほどよく響いた。レティシアが通ると話は止まり、去った後にだけ「婚約者」という言葉が残った。
王太子アドリアンは乱暴な声を出さない。心配している、誤解を解きたい、と穏やかに告げながら、レティシアが断れる道だけを一つずつ閉じていく。
ノエラは姉を慰める言葉を多く持たない。湯を替え、窓を閉め、机に必要な紙を置く。その小さな順序だけは、噂が増えても変わらなかった。
そのころ、王都の小さな菓子店で、宛名のない包みが一つ受け取られた。届けた者も受け取った者も、ノエラの名を口にしなかった。
空席だったはずの礼拝堂で、誰かが寄付箱の錠を新しいものへ替えていた。管理人は王宮の指示だと信じ、王宮側は何も命じていない。
噂は夜のうちにも増えていく。レティシアが守ろうとした事実より、彼女が冷たく見えた一瞬のほうが、多くの口に覚えられていた。
王都の新聞はまだ王家の名を出さず、「ある高位令嬢」とだけ書いた。名を伏せても誰を指すかは明らかで、曖昧さだけが責任を負わずに残った。
反論の機会は与えられているように見えた。ただし期限は短く、必要な資料は王宮が預かり、証人は面会を禁じられている。形式の公平と実際の公平は別だった。
レティシアは人の心を断定しなかった。利害で動く者にも恐れがあり、善意を語る者にも守りたい立場がある。単純な敵を作れば、見落とすものが増えるだけだった。
姉妹のあいだには、幼いころからの合図があった。言葉にすれば他人にも奪われるため、指先やカップの向きだけで、今は話さないという意思を確かめる。
(本文実測:685字)




