冬宮の舞踏会・王宮の廊下
王宮へ場所を移しても、「冬宮の舞踏会」をめぐる視線は消えなかった。王宮では、声を潜めた会話ほどよく響いた。レティシアが通ると話は止まり、去った後にだけ「婚約者」という言葉が残った。
公爵家の長女であるレティシアは、二歳で母を亡くした。母の顔を覚えてはいないが、礼儀作法と婚約の取り決めだけは、十六年たっても娘の肩へ残っている。
調査官ベルトランは礼を失わず、必要な書類だけだと告げた。しかし彼が持ち帰る箱には、事件と無関係な幼い姉妹の手紙まで入っていた。
マルタは使用人を叱る前に、誰が鍵を持ち、どの時間に部屋へ入ったかを聞いた。善意だけで潔白を証明できないことを知っている。
翌朝、失われた記録の写しが別の役所から見つかった。誰が保管を頼んだかは記載されず、受領欄には小さな青い点だけがあった。
記録帳の末尾に、レティシアは「不明」と記した。答えを急がないことだけが、誰かの用意した筋書きから外れる小さな抵抗だった。
反論の機会は与えられているように見えた。ただし期限は短く、必要な資料は王宮が預かり、証人は面会を禁じられている。形式の公平と実際の公平は別だった。
レティシアは人の心を断定しなかった。利害で動く者にも恐れがあり、善意を語る者にも守りたい立場がある。単純な敵を作れば、見落とすものが増えるだけだった。
オスカーは確認できた時刻を欄外へ書いた。記憶は後から整えられるが、鐘の音と受領印は別々の場所に残る。二つが重なるまで事実とは呼ばない。
王都の新聞はまだ王家の名を出さず、「ある高位令嬢」とだけ書いた。名を伏せても誰を指すかは明らかで、曖昧さだけが責任を負わずに残った。
(本文実測:685字)




