第二話:鳥絵とテン
鳥絵の昔話は、近江に始まった。
なんでも、鳥絵は近江の出身らしく、十六になる頃には、近江はひどい飢饉だったそうだ。
あまりにひもじくて、皆の生活が金貸しによる借金で成り立っていたので、誰もかれもが食うに困る有様だった。
そこで皆で一揆を起こそうという話になり、無事、領主を説き伏せ、借金帳消しの法が成ったということだった。
「そりゃぁ、ずいぶんと苦労したんだねぇ」
と、観浄は鳥絵のしわくちゃの顔を眺めた。
鳥絵の今の身なりは、結構、裕福な行商人といういで立ちだ。
こんなしわくちゃな爺様にも、私みたいな若い時分があったのかと、観浄は信じられない気持ちでいる。
「それからな」
と、鳥絵は続けた。
壮年となった鳥絵は、馬借の仕事で遠江を訪れた。
そこで斯波氏の姫君と深い仲となるのだが、隣の国の今川氏との戦に、危うく巻き込まれそうになったという。
「へぇ、危ないところだったんだな」
と、観浄は目の前の老人をまじまじと見つめる。
鳥絵は、そんな観浄のつぶらな瞳を見返して、
「それでだ」
と続けた。
「少年の頃に起こした一揆と、壮年期に体験したことには共通点があってな。二回とも、猫の怪が関係しておるのだ。この猫はテンという名で、人語をしゃべる猫でな、昼間は猫の姿をしておるが、ときどき夜になったりすると人型になってな」
「まてまてまてまて」
観浄は思わず言葉を遮った。
「途中まで爺様は大変な苦労人だなぁと思っておったのに、なんだいきなりそんな素っ頓狂な話をし出して」
観浄は顔に苦笑いを浮かべている。
「お嬢さんがそう思うのも仕方がないが、これは本当の話なのだ。ちなみにテンは少年の頃にとある老人から預かってな、その後、遠江で仲睦まじくなった姫君に私が預けて別れたのだ」
鳥絵は、観浄の顔を見やってふふふと笑った。
「ま、信じるか、信じないかはお任せするがね」
と付け加えて。
化け猫の話が興味を引いたのか、その日から、観浄は頻繁に鳥絵が泊っている宿に顔を出すようになった。
「おはよう、鳥絵殿」
この日も、観浄は朝から鳥絵を訪れていた。
「おはよう、観浄殿。今日も町を案内してくれるのかな」
「ああ、そのつもりだ」
二人は連れ立って、今日は母が仕事をする市とは別の市を訪れていた。
すると、市の中央を走る大通りを、僧侶のいで立ちをした軍団が、向こうからのしのしと歩いてきた。
「おや、あれは……」
二人は僧侶たちを遠目に見ながら、ひそひそ話で会話を始めた。
「ああ、本願寺の僧兵どもよ。数年前に守護の富樫氏を滅ぼして加賀は今や本願寺の天下よ」
「観浄殿は詳しいのだな」
鳥絵は、観浄の顔をちらりと見る。
「ああ、私の父親は本願寺の僧兵だと、母から聞いておる。会ったことはないがな」
観浄はこともなげにそのようなことを鳥絵に告げた。
「なるほど」
出自に関わる繊細な話題なので、鳥絵はひとまず、それ以上言葉を続けずに会話を終えた。
僧兵たちを見送り、しばらくそれまでと同じように往来を歩いていると、二人の目の前に一匹の三毛猫が現れた。
その姿を見て、鳥絵は思わず、身をかがめた。
猫は立ち止まり、鳥絵の姿をじっと見返している。
「まさか、おぬし、テンか?」
鳥絵の口からそのような言葉が漏れた。
猫はそのまま、少し歩いては立ち止まり振り返るを繰り返して、二人を町はずれの神社まで連れて来た。
人気のない境内に、二人と一匹が輪を描いて見つめ合った。
すると、
「久しいのう」
と、猫がしゃべった。
観浄は驚いて何かを言おうとしたが、次の瞬間、猫はしゅるしゅると衣の音をさせると鳥絵よりもずいぶんと背の高い男の姿になった。
言葉を発せないでいる観浄であったが、一方の鳥絵は、目に涙を浮かべていた。
「これはこれは、やはりテンであったか」
「いかにも」
鳥絵はテンの手を取って笑顔を浮かべた。
「おぬし、なぜここにおるのだ。幻海殿はいかがした」
そう、鳥絵が観浄に話してきかせた昔話でも、化け猫は遠江の姫君に預けたという話であった。
「幻海は死んだよ」
「死んだ?」
鳥絵の顔が曇る。
「夫が戦で討ち死にしてな。一人残され、寂しさのあまり自ら命を絶ったのよ」
「なんと……」
鳥絵はそう言うと、その場にぐぅとうずくまってしまった。
テンは、すと観浄を見た。
観浄はテンを見上げて、
「お、おぬしが、化け猫のテンか」
と、しどろもどろに問うた。
「おや、私は有名人みたいだねぇ。あまり私のことを言いふらさないでくれよ、鳥絵。口は禍の元と言う」
と、テンはぴしゃりと鳥絵に向かって言った。
「ふふ、まさかこの年になって再開するとは思うまいよ」
鳥絵はそう言って、どこか遠い目をして見せた。
そうして、しばらく間を置いて、
「して、おぬし、いきなり現れてなんじゃ」
と尋ねた。
「ふふ、私もこの地は久しぶりでな、まずは案内を頼もうか。うまいものでも食ってみたいぞ」
テンがそう言うと、「それなら私に商いをさせておくれ」と観浄が飛びつくように叫んだ。
「おやまぁ、怪に商いを持ち掛けるとは、ずいぶんと愛想らしい娘さんだねぇ」
テンはそう言うと、ぺろりと舌なめずりをしてみせた。
「『愛想らしい』だと?お、おぬし、この地の言葉を知っておるのか」
観浄の表情がぱっと一気に輝いた。
「ふふ、長年生きておると各地のことに通じてくるものよ」
テンはまんざらでもない様子でそう返す。
「相変わらず、怪の癖に異常な人たらしだのぅ。土地のこと以上に、人に通じておるではないか」
鳥絵は二人のやりとりを見やって、苦笑いをしてみせるのだった。




