遊泳
泳ぐ。
少しして、自分が映る。
慌てて、踵を返す。
泳ぐ。
少しして、自分が映る。
慌てて、踵を返す。
そうやって、繰り返す――
私は、人気者。
皆が、私を褒める。
「やっぱりお前だ」
「今日は特にお前だ」
「いつも素晴らしいが、
今夜は特に、素晴らしい」
「お前は、綺麗に目が透き通っている」
褒められるたびに、私は身を湿らす。
献身的に、口を動かす。
嬉しさに水面を叩く。
そしてまた、
「いやに活きが良いね」と、
褒められる。
他の奴らとは値が違う。
生まれ持っての需要が違うのだ。
青や黒や茶色なんて、
私のピンクに勝る道理がない。
私にしか出せない味わいがある。
私にしか魅せられない、特別感がある。
私にしかできない、人間の喜ばせ方がある。
腹から腰へと指を這わせながら、
「ハリが良い。艶やかで、しっかりとした弾力がある」と、つねられる。
血管を伝って、舌は、上に。
首筋の動脈をなぞりながら、
「煌びやかに輝いている。鱗がしゃんと、揃っている」と、しゃぶられる。
耳裏を擽りながら、声は、上に。
両手で頭を掴まれながら、
「白く透き通った綺麗な目だ。間違いなく、鮮度が良い」と、抱かれる。
時間の幻だってことは分かってる。
私の旬は、恐ろしく短いと……
分かっているから、自分で自分を締める。
腹や胸、首筋の痣を、一生懸命に拭う。
ハリと弾力を保つために、栄養豊富な餌を食べる。
内側から腐らないようにと、余計な思考回路を殺す。
それでも、目だけはどうしようもできない。
日に日に、濁って、くすんでいく。
どんなに力を込めても、淀む。
だから、偽りの瞳をはめ込んで、新鮮を装う。
他の奴らとは値が違う。
その命綱に、しがみ付く。
今夜は客との同伴。
食べ飽きた、回らない寿司。
どんなに活きが良くたって、
これらは既に死んでいる。
そんな当たり前な世の摂理を、驕り高く覆さんと、
「生きているように新鮮だ」
「口の中を泳いでいる」などと、
呆れた物言いをする。
どんなにどんなに褒めたって、
これらはただのたんぱく質の塊。
うまいうまいと悶えたって、
これらはただの死した肉塊。
下品に舌を出し、脂で唇を潤ませ、潮の香りに絶頂したって、
私はただの、生簀の鯛。
おんなじ場所を行ったり来たり。
食べられては、蘇り、
おんなじ場所を行ったり来たり。
食べられるたびに鱗は剥がれ、
食べられるたびにやせ細り、
食べられるたびに、目が死んでいく。
小さな部屋の中、今夜も誰かに食べられる。
それでも私は、自由など望まない。
よもや、大海など望まない。
社会の海原は、骨すら残さないのを知っている。
そこに、転生の余地がないことを知っている。
この生簀の中の世界より、よっぽど残酷なのを、知っている。
この生活は、いつまでも続けられない。
需要は落ち、ピンクは汚れ、やっぱり目が死んでいく。
それでも私は、ここで生まれたようなもんだから、
もう少しだけ、ここで泳ぐ。
客の滾りを吸い出しながら、外の世界の片鱗を味わう。
いつか、私を食べるのではなく、
持ち帰って飼ってくれる——
そんな人間が現れまいかと、じわり、じわりと、腐っていく。
それでも私は……
もう少し……
もう少しだけ……
生簀のガラスに映る、自分の顔を見たくないから、
私は身体を横にして、ゆっくりと、水面に浮かぶ。
【※この先は、作者による作品解説です。
自己解析・自己考察を含みます。
読後の余韻を大切にされたい方は、ここで読むのをお止めください】
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読んでいただいてお分かりいただけたのなら本望ですが、
今作品は、風俗嬢と、生簀の鯛を並べて描いた作品です。
後半に進むにつれ、〝私〟の鮮度が落ち、目が死んでいく。
実際の鮮魚の目利きでも、目の輝きは鮮度に直結します。
人間も、同じくなのでしょう。
狭い狭いと現状に文句を言いながらも、結局は過ごしやすい。
そんな環境に甘え続けて、どんどん鮮度も価値も落ちていく。
そして最後には、どうしようもなく水面に浮かぶ。
そんな、ひとつの人生の堕落を、思い描いていただければと思います。




