塩の結界の試練と、昇月国の巫女
昇月国を取り囲む**塩の結界**は、白い霧と霊的な波動を放ち、まるで巨大な霊力の壁のように立ちはだかっていた。
「ここが、最後の試練だ」タロが、ボートから海岸の砂浜に降り立った。「ケンジ、気を緩めるな。この結界は、霊力の純粋さに欠けるものを弾く。」
ケンジの体内の紫電は、結界の波動に猛烈に反発し、琥珀の勾玉が激しく熱を発していた。全身に電流が逆流するような激しい痛みに耐えながら、ケンジは一歩を踏み出した。
バチッ!
結界に触れた瞬間、ケンジの肉体は激しいショックを受け、よろめいた。
「くっ...!」
「ケンジ!衝動を鎮めなさい!」リナが叫んだ。「結界が弾いているのは、その未制御の力よ!感情を切り離し、**錨**に全てを預けるの!」
ケンジは、師の最期の顔、そして隠者の老婆から託された勾玉の重みを、心の底で感じた。彼は目を閉じ、全身の筋肉を弛緩させ、全ての意識を紫電の抑制に集中させた。それは、雷剛を振り下ろす時よりも、遥かに高い精神的な忍耐を要する修行だった。
無心。
破壊を望む血脈の叫びを無視し、彼は純粋な意志だけで、力を静止させた。
静寂が訪れた。彼の周りを包んでいた紫電の光が消え、結界の波動がケンジの体を受け入れた。彼は、まるで別世界への扉をくぐるように、静かに結界を突破した。
結界の向こう側は、まるで時が止まったかのような光景だった。青雲の里の土っぽい建築とは異なり、昇月国の建物は全て、白木と和紙で作られ、清潔で静謐な雰囲気に包まれている。人々は、簡素な白い法衣を纏い、霊力は控えめで、攻撃的な術ではなく、浄化や治癒に使われていることがわかった。
「なんて静かな...霊力が、澄んでいる」タロが驚いた。
「ここは、力の衝突を許さない国よ」リナが警戒を緩めない。「私たちの荒々しい忍術は、ここでは汚染と見なされるわ。」
彼らは、この国で助けを得るには、隠密行動ではなく、信頼が必要だと悟った。
町の中心にある、美しい白い神社に向かって進むと、一団の**巫女**が彼らの前に現れた。彼女たちは皆、穏やかな表情をしていたが、先頭に立つ老巫女、ツキミの眼光は、ケンジを真っすぐに射抜いた。
ツキミは、周囲の清浄な霊力とは異質の、ケンジの体から微かに漏れる嵐の霊力を、即座に感知したのだ。
「止まりなさい、混沌の器よ」ツキミの声は静かだが、強い霊的な権威を帯びていた。「よくぞ、塩の守護を潜り抜けた。しかし、あなたは、この昇月国の精神的な調和を乱す存在。あなたの持つ力は、忌まわしい、古代の汚物です。」
ツキミの背後の巫女たちが一斉に印を結ぶ。それは、昇月国に伝わる浄化の封印術。攻撃を意図したものではないが、ケンジの力を完全に抑制し、無力化する力を持っていた。
「待ってください!」リナが前に出た。「私たちは、あなた方に危害を加えるつもりはありません!私たちは、この力を破壊したいのではなく、制御したいのです。この力で、私たちの師は犠牲になった。そして、外の世界では、この力を悪用しようとする者たちがいる!」
リナは、クロ先生の犠牲、夜鴉一族の陰謀、そしてケンジが自分の意志で力を抑え込んでいることを、必死に説得した。
ケンジは、何も言わなかった。ただ、ツキミの前に進み出ると、手に持った勾玉の錨を見せた。
「俺は、怪物じゃない」ケンジは、自分の力の危険性を自覚しつつも、強い意志で言った。「俺は、この力をコントロールするために、ここまで来た。この勾玉は、俺の意志の証明だ。」
ツキミは、ケンジの目を見た。その巨大な力に宿る、決して折れない人間の意志と、師の犠牲という名の悲しみを読み取った。
長い沈黙の後、ツキミは結んでいた印を解いた。
「...あなたの目には、確かに制御の意志がある。そして、その穢れは、あなたの意志に反して目覚めたもの。この国は、他国の争いに介入しない。しかし、魂の浄化を求める者を拒まない。」
ツキミは、彼らを許した。ただし、厳重な監視の下で。
「私の力では、その巨大な雷の血脈を封印することはできない。しかし、この国の奥地に、その力の起源と、それを安定させるための古代の知識を収めた**『心の鏡の社』**がある。そこへ行きなさい。」
ツキミは、ケンジに警告した。「しかし、急ぎなさい。あなたの力が完全に安定しなければ、私たちはこの国の調和を守るため、あなたを永久に封印せざるを得ません。」
ケンジは、新たな希望と、厳しい時間制限を与えられた。昇月国での修行が、ついに始まる。




