海辺のサロン
〜登場人物〜
◯間宮 仁
39歳、男、身長185cm
元々東京でスタイリストをしていたが4年前に帰郷。
海が見える街にあるHair salon Oceanのオーナー。
紳士な姿勢に低い声色、老いさえ美しい深みにしてしまう見栄えの良い男性。杏に片想いをしている。
◯中西杏
27歳、女、身長169cm
街の病院で病棟看護師として働いている。
3年前に婚約者に浮気され、心身ともに疲弊していたところを間宮のスタイリングで心救われ顧客になる。
大人びた雰囲気だが朗らかで柔らかさを纏う女性。
老若男女問わず人に好かれるも恋愛には慎重。
〜登場施設〜
◯ Hair salon Ocean
間宮仁が帰郷して立ち上げたサロン。
オープンして一年で人気店となり客足が絶えない。
間宮の美容師としての腕の良さはもちろん、間宮を目の保養として通う客もいるのだとか。
◯海浜中央病院
中西杏が務める病院。
地域の二次救急をになっているため、どの病棟もそれなりに忙しい。杏は循環器内科と心臓血管外科併設の病棟で勤務している。
◯碧の海辺
Hair salon Oceanのすぐ近くにある海。
透明度が高くとても美しい。
間宮は時間があるとここで釣りをしている。
杏は考え事があるとこの海を眺めにくる。
朝の潮風がガラス戸を震わせ、風鈴の音がひとつ鳴った。
間宮仁は、ゆっくりとシャッターを上げる。開店前の「Hair salon Ocean」は、まだ潮の香りとシャンプーの香りが混じる静けさの中にある。
通りの向こうには青く光る海が見えた。冬の名残を溶かすような柔らかな陽光。
いつもと変わらぬ朝だというのに、胸の奥では小さく波が立っている。
──中西杏。
彼女の名前を思い出しただけで、手が止まる。
一週間前、夜の閉店間際、スマートフォンに届いた一通のLINE。
「間宮さん、来週の水曜、空いてますか?」
それだけの文面だった。絵文字もなく、淡々としているのに、不思議とその声が耳に蘇る。
“間宮さん”と呼ぶあの優しい声色。
指先が、スクリーンをなぞった瞬間の微かな鼓動を、今でも思い出す。
「……浮かれてるな、俺。」
独りごちて、ドライヤーのコードを巻き直す。
予約表には、彼女の名前が十時に書かれている。
その文字だけ、いつもよりきれいに並んで見える気がして笑ってしまう。
杏が初めてこの店に来たのは、三年前の春だった。
あの頃、彼女は少し壊れたような笑い方をしていた。
でも今は違う。
季節が巡るたび、彼女の笑顔は少しずつ柔らかくなって、光の粒をまとっていった。
そのひとつひとつの変化を、間宮は昨日見た映画のように細かく鮮明に思い出せるのだ。
壁に掛けた時計が十時を指した。
ガラス戸の向こうに、見慣れた姿が現れる。
淡いベージュのコートに、髪は少し伸びたセミロング。
光に透ける栗色の瞳。
中西杏が、柔らかく微笑みながら手を振った。
「おはようございます、間宮さん。」
「おはよう、中西さん。どうぞ。」
ドアを開くと、潮風がまた店内を撫でていく。
杏は予約どおりの時間にきちんと現れた。
けれど、その何気ない正確さが、間宮にはたまらなく愛しい。
「今日はどうします?」
間宮が椅子の座面を杏のほうへ向けると、杏は慣れた素ぶりで、その細い腰をしなやかに椅子へと落ち着けた。
「うーん、前髪がちょっと気になって。あと、春っぽく軽くしたいです。」
「了解。じゃあ、少しレイヤーを足そうか。」
鏡越しに視線が交わる。
杏の表情はいつも通り穏やかで、どこか楽しげだ。
間宮は手を動かしながらも、心の奥で波が立つのを感じてそっと瞼を伏せた。
ハサミの音が、静かな店内にリズムを刻む。
切り落とされる髪が、床に柔らかく落ちていく。
その一束一束に、彼の想いも少しずつ沈んでいくようだった。
「最近、忙しいですか?」
「相変わらずですね。夜勤続きで、ちょっと寝不足です。」
中西杏は看護師をしている。急性期の病院で、なかなかに多忙な毎日だけどやり甲斐はあると前に話していた。
「そっか。あんまり無理しないように。」
「はい、ありがとうございます。」
当たり障りのない会話。
けれど、その中に息づく温度を、間宮は密かに意識していた。
杏は気づいていないかもしれない。
彼女が“ありがとうございます”と微笑むたびに、間宮の胸の奥で何かが少しだけ崩れていく。
優しさの下に隠した恋心が、静かに疼く。
心地のいい会話のテンポ、柔らかい声色、ふわりと笑む表情。いつだってご機嫌な彼女は、間宮に時の流れを忘れさせてしまう。
カットを終え最後に軽くバームでセットすると、杏は鏡を見つめて瞳に光を増やし、小さく息を呑んだ。
「……やっぱり、間宮さんってすごいです。」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。」
鏡に越しに杏が間宮に笑いかける。
その笑顔は、三年前よりもずっと眩しい。
それなのに、彼女の笑みを見るたび、どこか切なさが胸を掠める。近いようで遠いように感じるこの距離感が、恋心を自覚した時からずっと、間宮の心を優しく締め付けもどかしかった。
華やかなイヤリングをつける杏を眺めながら、間宮はそっと自分の頭の中で彼女の頬を撫でる想像をした。
触れたいのに、触れられない。
39歳になる自分が、一回りも歳下の彼女へまっすぐに気持ちを伝えるなど憚られて当然だ。
これは秘めておくべき気持ちなのだと間宮は自分に言い聞かせてきた。
会計を済ませ、杏は帰り際に言った。
「また来月、お願いしてもいいですか?」
「もちろん。いつでも。」
また来月、その言葉に間宮の口角は自然と緩んだ。
「じゃあ、またLINEしますね。」
ドアが閉まり、風鈴が鳴る。
潮風が杏のつけている香水の香りを仄かに残していった。
杏の背中が海の方へ歩いていくのを、間宮は窓越しに見送る。
今日もきっと、あの海辺で少しだけ立ち止まり、波を見ていくのだろう。
彼女がそうしている姿を見かけても、声をかけたことはまだ一度もない。
ただ、潮風に髪が揺れるその後ろ姿を、黙って見守るだけ。
それが今の間宮仁にできる、いちばんの「恋」だった。
はじめまして
ゆるく更新していきます。
イケオジの焦ったい恋模様、よければのぞいていってくださいね。




