「名前」
名前が…思い出せない…
私は、確かにもともと人間で、人間界で暮らしていたはずだ。
そして、いじめを受けて、死を選んだ。
私は、なんと呼ばれていたんだっけ…?
「◯◯さん…、気持ち悪いよ」
靄がかかったように、言われたことは思い出せるのに、名前の部分だけがあやふやだ。
魔界へ来てから落ち着いて考える時間もなくて、夜になり、やっと一人になったところで自分の名前が思い出せないことに気づいた。
私は一体、どうしちゃったんだろう…頭を強く打ったせいなのか、人間でいた頃の記憶が少しおぼろげだ。
しかも何か、身体を魔改造されているらしく、もう人間ですらないらしい。
「なんで私…ここにいるんだろう…」
「決まってんだろ、俺の妻になるためだ」
「…っ?!」
突然、独り言に対して返事をされて心臓が止まるかと思った。
一度止まってるけど。
音も気配もなく、するりと現れた魔王はいつも勝ち誇ったような自信満々の笑みを浮かべている。気がする。
そういう顔なのだろうかもともと…。いや、顔とか別にどうでもいいけど…。
「勝手に入ってきてなんなんですか!」
「結婚式を挙げる」
「はぁ…?」
「当たり前だろう、妻になるって話はちゃんとしたよな?だから、明日、結婚式だ!」
「…」
何当然わかってるよな?みたいな顔してるんだろうこの人。
「私の意見はガン無視ですか…結婚したいなんて思ってないんです、私は。でも…拒否権なんかなかったじゃないですか」
「…」
拒否権ねぇ…と魔王は呟く。
「拒否権あったところで、お前はこれからどうするつもりだったんだ?言ってみろ」
黙るしかなかった。どうするつもりもなにも、一度私の人生は終わっているのに、勝手に生き返らされたんだ。
生きる目的も、夢も、なにもない状態で、何をどうしろというんだ。
本当に…
「あなたって…勝手すぎる」
「ああ?…、お前が勝手に…死んだんだろうが…」
「?どういう意味…」
「もういい」
とにかく、明日挙式だ。ゆっくり休め。と言い残し、彼は去っていった。
なんだか…すごく疲れた。
わけのわからない事を言われて、明日挙式。
混乱はそう簡単には収まらなかった。
もう寝よう…。頭を使いすぎた気がする。
明日考えよう…。
豪奢なベッドに一人、横になる。
柔らかな布団が真新しく、表面はシルクのような光沢がある。
こんな布団で寝たことない…。疲れた身体に心地いい。
「あの人…名前、なんていうんだろう…」
名前も知らないあの人と、明日私は結婚する…。
そんなことを考えていたらいつのまにか、眠りへと落ちていった…。