第7話 マルスマーダ
その日、老人は深く沈潜していた。
件の若者の取り扱いについてである。
正直なところ、何もかもが異常である。
生まれ、育ち、不明。
名前、年齢、不明。
魔境・聖域などと呼ばれるこの台地に、着の身着のままで現れた事実。
そして、自分の感覚を素直に信じれば、ではあるが…
「人類滅亡の危機…とかもあり得るの。」
自分で呟いた言葉の非現実さに、自ら苦笑する老人。
若者の能力の一端を垣間見ただけでも、その異常さは際立っていた。
基本的には一般人。
非力と言ってもよい。
ただ、肉に対する異常な執着と、肉が絡むとありえない能力を発揮する。
若者と、その能力について考察していた際に、老人は一つ試したことがあった。
肉の入った袋を投げつけた際に、自身の奥義の一つである聖魔棄陣を発動して、若者の影響下から隔離させようとした。
つまり、若者の能力を妨害しようと試みたのである。
その結果、奥義であり絶技である聖魔棄陣は見事に霧散した。
よく平静を装えたものだと、自分でも思う。
仮に若者が、肉なら何でもよい、生きていても死んでいても、例え同族でも…という破滅的な思考を持っていたら。
人類の危機ではないのか。
初めて若者と会ったときから、丁寧に、かつ油断なく対応してきた。
経験と勘から、自分の対応如何では取り返しがつかなくなるかもしれない、と感じたからだ。
状況が把握できずに戸惑う若者に、優しく手厚く対応する老人、という立場を崩さぬように努めた。
その対応は、今のところは正解に近そうだ。
そうなると、今後どうするか。
恐らくだが、若者の存在はいずれ公になる。
単に能力的なことだけを考えても、老人を取り巻く世情を踏まえても。
それは間違いない。
再び沈潜する老人。
「儂の弟子…かのう…。」
老人は、この世界でも最高峰の存在である「七賢」の一人、しかもその筆頭である。
その立場ゆえ、あえて弟子は取らなかった。まあ、勝手に師匠と呼ぶ奴はいたりするのだが。
指導者としても、特定の個人に与することを避け、多人数に対する講義のようなものを幾度か開催する程度にとどめてきた。
騒がれるであろう。
だが、やむを得ない。
若者が迷惑がる可能性は?
飄々とした老人の体で、あえて素っ気なく対応すれば、案外軽く流してくれるかもしれん。
これからの事、これから関わってくるであろう人。街。国。
老人は、三度沈潜する。




