第1話 肉好きの若者が、転生してしまった話。
男は自分の体が光に包まれたことを覚えていた。
そして、それ以外の記憶は曖昧なのだが…何故か「肉は美味しい」だけは鮮明に覚えていた。
ふと気づくと、男は草原に立っていた。
男の周りには背丈の低い草が一面に生えており、遠くを見渡すと、小ぶりな煙突のついた建物が見える。人が住んでいるのだろうか。
その後、自分の手を見て、顔や体を触って、着ている服の質を確認し…そして、空を見上げる。
抜けるように青い空。
微かに点在する雲。
爽やかに草原を駆け抜ける風。
遠くから聞こえる何かしらの生き物の声。
「ここは…どこだ…?」
気分は悪くない。むしろ清々しい。
目の前に広がる景色を見ても、慌てず落ち着いている。
ただ、自分の身分や生い立ちといった記憶がない。
「んー…。とりあえず現状の確認でもするか。」
周囲を見渡しながら一人呟いた男は、冷静に思考を巡らせる。
体は、特に痛くない。異常はなさそうだ。
服は、上着、シャツ、パンツ、ズボン、靴下、靴、それからスカーフ状の布を腕に巻いている。
着心地は悪くないが、替えが無いと困りそうだ、などと考える。
周囲に何かしら持ち物が落ちていないか確認したが、特に見当たらない。着の身着のままだと流石に不安だ。
上着のポケットに、財布らしきものが入っていた。中には紙幣や硬貨が入っているが、貨幣価値についての記憶がない。
持ち金の価値が分からないのは問題かもしれないが、一文無しではなさそうで、そこは少し安心だ。
さて…と一人呟いた男は、歩き始めた。
すぐ近くを流れていた川まで歩いて、水面に自分の姿を映す。
川に映った姿は、17、8歳くらいだろうか。自分でいうのも何だが好青年という感じだ。
ただ、この容姿が本来の姿に近いかどうかは、正直分からない。何せ全く記憶がないのだ。
とはいえ、気力・体力がある程度充実している年代であることは安心材料と考えて良いだろう。
さて、とりあえず大雑把な自分の状況は分かった。
若者と言っていいだろう年齢。
多少の金銭は持っているがその他の持ち物はない。
肉は美味い。
ん?まあ、いいか。
「とりあえず、人が居そうなところまで移動するか…。」
実際、自分の記憶はあいまいなものの、こんな姿でいるということは、もともと近くに住んでいた可能性もあるのだ。むしろ、何らかのアクシデントで一時的に記憶が飛んでいるだけの可能性のほうが高いのではないか。
まあ、そんな考えが何故か「違う」ことを本能的に理解してしまっていた若者ではあるが、このまま立ちすくんでもしょうがないと、先ほど見かけた煙突のある建物の方へ足を進めていった。
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若者の目の前に、一軒の家がある。
そこそこ大きい。家族で住んでいるのだろうか。
ここで躊躇してもしょうがないと、若者は扉を叩く。
トントン。
コンコン。
…。
しばらく待ったが反応がない。もう一度叩いてみるが、やはり反応がない。
扉には鍵はかかっていないようだが、流石に勝手に開けるのは憚られる。
(留守のようだが…さて…)
ふと思い立ち、家の外周を通って裏手にある庭の方に行ってみる。
建物の外には誰かいるかもしれない。
すると、庭の隅で寝ている老人を見つけた。
声をかけても大丈夫だろうか。逡巡していると、老人がむくっと起き上がった。
「ん?なんじゃお主。」
「あ、いや、どなたかお住まいかと思って扉を叩いたのですが、お返事が無かったので…。」
若干虚を突かれたが、とりあえず最低限の情報は伝える。
それから、なるべく失礼にならないように気を付けてみる。
「ふむ。それはすまんかったな。客なんぞ滅多にこないもんでな。」
「いえ、こちらもお休みのところ、すいませんでした。」
若者が軽く頭を下げると、老人は、
「まあ、せっかくだから家の中で話でもするかの。ついてくるといい。」
といって、家の裏口に歩いて行った。
「えっと、よろしいのですか?」
「ん?かまわんよ。ほれ。」
片手を招くように曲げる老人。
そんな老人の気安い対応に少々困惑しつつ、若者は老人の後について行きながら、ありがとうございます、と述べた。
「そろそろ中に戻ろうと思ってたしの。丁度よかったわい。」
老人はそう言うと、ケタケタと笑った。
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老人が住んでいると思われる家の1階は、土間や台所のほか、居間と食堂を兼ねたような部屋に大きめの机と椅子があった。
奥に階段があるが、この様子だと2階が寝室だろうか。
外側から見たときと同様、かなり広い家という印象だ。
机の角を挟んで、老人と並んで座った若者は、何やら立派そうな意匠の器に注がれた水を一口飲むと、老人に向けて改めてお礼を述べる。
「急な訪問にも関わらずありがとうございます。正直ここまで丁寧に対応してもらえるとは思っていませんでした。」
実際、身元も全くわからない他人を、特に疑いもせず家に上げているのだ。
不用心と言われてもしょうがない振る舞いは、若者の方が逆に不安になりそうだ。
すると老人は笑顔で、
「まあ、困ったときはお互い様じゃよ。」と述べた。
若者は多少戸惑いつつ、
「困っているように…、見えますか?」
と聞くと、老人は、
「おぬしは知らんかもしれんが、ここはふらっと立ち寄れるような場所ではない。そこに碌に持ち物も持たずに、しかも徒歩でやってくる輩なんぞ。」
何ぞ事情を抱えているとしか思えんよ、と老人は言う。
「そう…ですか。」
ということは、ここは辺鄙な場所なのだろうか。少し詳しく聞きたい。何せ全く情報がないのだ。
若者がそう考えていると、老人は、
「その様子だと、よくわからんでここにいる、という感じかの。」
「えっ。」
「とりあえず情報交換でもするかの。」
老人はニカッと笑うと、若者とお揃いの器で、水を一気に飲み干した。
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若者が老人からいろいろと話を聞くと、確かに「こんなところにふらっと歩いてやってくる」のは珍しいどころの話ではなさそうだった。
まず、ここはエメルロンドと呼ばれる台地の上で、老人は世俗から離れるように一人で暮らしているということだった。
ウーラン王国と呼ばれる国の西端に位置するこの台地は、王国民の間では未踏の地として認識されており、もし行くとしたら国を挙げて遠征するような場所らしい。
「神の台地」なんて呼んでいる人もいるとか。
そんな場所で一人暮らしている老人は何者かと問えば、その王国で最近まで魔導師範をやっていたが、色々と「きな臭い」依頼が増えてきたのでいっそ逃げてきた、そうだ。
「儂は平和が一番じゃと思うんだがのう。中には過激な思想を持つ者もおるということじゃ。」
「そうなんですね。」
そんな過激派の筆頭が昨年即位した現王で、周辺国を併呑すべく絶賛暗躍中らしい。
「まあ、直ぐにどうこうということは無いと思うがの。」
「はい。」
さて、老人の話に一区切りついたと感じた若者は、気になることを一つ聞いてみた。
「ところで、ここって危険な場所だったりしますか?」
先ほど若者が感じた爽やかな草原の雰囲気は、とても危険とは無縁の雰囲気だった。
ただ、これまでの老人の言葉の端々には、この場所の危険性が込められていた。
「まあ、一般的には、危険じゃな。危険すぎる、といっても良いかもの。」
「なるほど…。」
何となく答えが分かっていた若者ではあるが、同時に、先ほどの居眠りの様子といい、のんびり過ごしているように見える老人の態度にも疑問を感じた。
もしかするととんでもない実力の持ち主なのか、若者はいっそ真正面から聞いてみた。
「大変失礼ですが、もしかして、結構すごい方ですか?」
すると老人は、まあそれなりにはやれるぞい、というと、目線を若者の後ろの壁に向ける。
若者が振り返ると、やたらとキラキラした勲章が飾ってある。
「ウーラン王国では唯一の魔導七賢勲章じゃ。まあ、こんなものあっても無くてもどっちでもいいがの。」
老人は軽い口調で言うが、相当の実力だろうことは想像できる。
「しかしおぬしもなかなか大変じゃのう。記憶もない、持ち物もない、生活能力や戦闘能力は未知数、知り合いもいない。どうしたらいいんかの。」
と全く楽しくないことを、さも楽しそうに述べる老人。
うぐっ…と言葉に詰まる若者。
「まあ、ここであったのも何かの縁じゃろ。娯楽は少ないが暮らしていくのにはそこまで困らん場所じゃ。しばらくのんびりしていくといい。」
というと、老人は席を立って何やら荷物をまとめ始めた。
「あ、はい、あの…。」
「せっかくじゃから狩りにでも行くかの。おぬしも付き合え。」
「えっと…?」
「先ほど、危険といったじゃろ?」
「はい。」
「この場所がどんなところか、見るのが一番早いだろうて。」
儂がいれば別に危険でも何でもないからの、というと、老人はニカッと笑った。




