第四章: 離別
ヘンリーさんのタウンハウスから孤児院に帰ってくると、俺はイアンの部屋に向かった。
イアンには国王の謁見でスペンサー家の嫡子と認定されたこと、それと王からサーの称号を受けて騎士になったことを報告した。
あまり動けなくなっているイアンであるが、明らかに喜びを表現していた。
俺もイアンの求めた試練をおおよそ達成したのではないかという満足感を得て部屋を後にした。
今日はいつものパーティと薬草採集のクエストの日である。
最近は魔獣の出現数が増えてポーションの需要が増えているということで薬草の需要は高まっていると言われている。
特にモンスター退治はしていないが、クエスト達成のポイントはそれなりに高いので俺もやっとD級冒険者にやっと昇進することになった。他のパーティメンバーも既に全員がD級に達している。生産系ギルドには冒険者ギルドでD級の認定を受けることが加入条件である。
今のパーティメンバーはたとえば今すぐ冒険を辞めて薬局や錬金術屋を開こうと思えば開けるわけである。
けれどもいくらなんでも俺からもう冒険はやめてお店を開くんじゃないのですか?なんていうことを言い出すのはおかしいわけである。俺は別に店を開こうとは思っていない訳であるし、いつか、他のメンバーがそれを望むからということでパーティを解消することが素直な道筋だろう。
なので俺は何も言わず黙って護衛をしている。
今日はいつもよりも森の奥に行くらしい。その場所で特に魔物が目撃されているという情報はないのでいつもと同じでいいだろう。
採集場所に到着して、まずは周囲を確認する。魔獣の巣があったり危険な動物がいる兆候はない。
俺とニールが見張り役となって女性二人が薬草を採集するが、これだけ何度も薬草採集の様子を見ていると朧げながらどの薬草がどれというのがわかるようになってきている。
今日はハイポーションを作るための上級薬草をとりに来たらしい。女性たちが薬草を取るのを眺めていてもあきてくる。風もなくぽかぽかしているのでついウトウトしそうになる。
その時、急に冷たい風が吹き込んできた。その風にはわずかな獣臭が混じっている。風が吹いてきた方向を見ると草陰に何かが動いた。
ハッと意識を戻して先ほど何かがいた場所に近づく。こちらが風下なので風下の位置を保ってゆく。
近づくと小柄な緑色のヒューマノイドが何匹かいる。奥にも何匹かいるようだ。もしかすると合わせると10匹以上いるのかもしれない。
慌てて二本のナイフに持ち替えてゴブリンたちに突っ込んでゆく。
不意を突かれて動けないゴブリンたちを切り裂いていった。ゴブリンたちはまだ奥の方に居そうなのでどんどんと奥に踏み込んでゴブリンたちを蹴散らしていった。兵士らしいゴブリンを全滅させた奥にはメスや子供のゴブリンが逃げ惑っている。
ゴブリンスレイヤーなら子供のゴブリンも血祭りにするかもしれないが、俺は単なる護衛である。そこまで殺戮したいわけではない。
メスゴブリンや子供ゴブリンがいたということは襲撃する集団ではなくて移動中のゴブリンの集団ということなのだろう。可哀想だが護衛を失った女子供だけのゴブリンたちは狼などに襲われて長くは生きていけないことが多い。
自分で手を下さないだけで自然に淘汰を任せるのは卑怯かもしれないが、運良く生き延びるものもあるかもしれないのである。
そんなことを考えながら元に戻ろうとしたらニールの叫び声が聞こえた。
まずい、別働隊がニールを襲ったのか?
こちらの集団を深追いしすぎた。
必死で走るがニールまではまだ遠い。
やっと視認できる距離まで来るとニールは4匹の体の大きなゴブリンに襲われている。明らかに出血している。
とにかく駆け込んで射程距離に入ったところでニールに剣を振り下ろそうとしていたゴブリンにナイフを投げつけた。
ナイフはゴブリンの背中に命中してぶすりと突き刺さった。そのゴブリンの叫びに他のゴブリンがこちらを見る。
よしよしこちらにかかってこい。足を止めずに更にニールに近づいた。
剣を抜き、反対側の手でナイフを扱うことにした。恐らくこいつらはただのゴブリンではなくゴブリンソルジャーだ。普通のゴブリンたちより戦闘力は高い。ニールでは太刀打ちできなかったということだろう。
ニールを助けるためにもニールに一番近いゴブリンを切りつけた。
血煙を上げてそのゴブリンは倒れる。間髪入れずその隣のゴブリンに切りつけた。相手の錆びた刀による攻撃はナイフで受け流す。
次の一撃でそのゴブリンも倒れた。2匹のゴブリンソルジャーを倒したことでゴブリンとニールの間には空間ができた。
その隙にヘンリエッタとマリーゴールドにニールを後ろに運んでもらう。ゴブリンたちの後ろからは更に大柄なゴブリンが姿を現した。もしかするとこれはゴブリンジェネラルかもしれない。
残っていた近くのゴブリンソルジャーを倒し絶命した別のゴブリンソルジャーからナイフを回収してゴブリンジェネラルに立ち向かう。
ちらっと後ろを見るとヘンリエッタとマリーゴールドがニールに治療しているのが見えた。助かるといいな。
そんなことを考えている間にゴブリンジェネラルは接近していたようである。いきなりゴブリンジェネラルは持っていた剣を振り下ろしてきた。必死で横っ飛びして相手の剣を避ける。
下っ端のゴブリンは錆びた剣を使っていることが多いが、さすがにゴブリンジェネラルともなれば鎧も剣も高級品のようだ。
隙を見て剣で打撃を与えようとするけれども防具に当たると跳ね返されてしまう。
ならばと剣を捨ててナイフを二本で構えた。
左のナイフで剣を受け流して防具のない肩や腕を狙う戦法だ。
ゴブリンの剣をまともにナイフで受けると力比べになってナイフが折れるかもしれない。向こうの剣はそれだけ優れものである。
けれども、剣は長くナイフは短い。膂力に勝るゴブリンの剣を受け流しても、少しブレると剣の先が浅い傷を作ってしまう。
逆に隙をついてナイフで攻撃してもその傷は浅くなる。
お互いに浅い傷を作り合う消耗戦になると体力の勝るゴブリンの方が有利である。
もう何十合も渡り合ってきてジャンは出血も重なって疲労を感じ始めていた。一方のゴブリンはますます意気軒昂といった感じである。
このままジリ貧になったら最終的に押し負けるよなあ。
ふと見るとゴブリンは上半身は鎖帷子のような堅固な防具をつけているが下半身は膝から下が剥き出しである。ブーツも履いていない。
それを見てジャンはゴブリンの前に突っ込んだ。
ゴブリンは反応的に剣を振り下ろしてくるが、それを左のナイフで弾いてそのままゴブリンの後ろに回る。
ゴブリンには俺がいきなり消えたみたいで思わずキョロキョロと辺りを見回している。
俺はすかさず反転してゴブリンの両足のふくらはぎをナイフで切りつけた。
体を支えているのはふくらはぎの筋肉である。そこをざっくり切りつけられて立っていられるわけがない。
ゴブリンは大声で喚くとバッタリ倒れて痛みでだろう、転げ回っている。
俺は立ち上がってゴブリンの首筋をナイフでざっくり切り開いた。大量の血が流れてゴブリンは動かなくなった。
「ふう」
俺はゆっくりとニールやヘンリエッタの方に向かった。
見ると明らかに深傷を負っていたニールだが、ゆっくりと息をしているのがわかった。
ヘンリエッタは俺を見て「ひっ!」と驚いた顔をした。無理もない。上半身はゴブリンに切られて血まみれである。
「俺のは浅傷だから大丈夫。」
「ご、ごめんなさい。ニールに使っちゃったからポーションはもう一つしか残っていないわ。」
「一つでもあればありがたい」
俺はヘンリエッタの差し出したポーションを一息に飲んだ。じわじわと傷が塞がってゆくのがわかる。
「で、ニールはどう?」
「なんとか一命は取り留めたわ。でもすぐに医者に見せないと。」
「わかった。じゃあ魔石を回収したらすぐに撤退しよう。」
マリーゴールドと俺は倒れたゴブリンジェネラルやゴブリンソルジャーの魔石や装備を剥ぎ取った。
マリーゴールドは俺が戦った相手がゴブリンジェネラルであることに顔を真っ青にしていた。
その他のゴブリンの魔石も回収したところでヘンリエッタとニールのところに戻るとヘンリエッタはすでに荷物を片付けて撤退の準備を済ませていた。
俺はニールを背負って王都に戻ることにした。
王都にある病院にニールを運び込むと医師がもう驚いて「よく命があったものだ」という状況で即入院になった。
俺は疲労は激しかったが、傷は浅かったのでポーションの効果で負傷についてはほぼ問題なしということだった。
ヘンリエッタはニールの看病に残るということだったので俺はマリーゴールドとギルドに行って事の顛末を報告することになった。
受付のお姉さんに薬草採集の完了を報告したが、もちろん血だらけの服を着ている俺を見て「ジャンさんはどうされたのです?ニールさんとヘンリエッタさんも同席されていませんが、何かご事情でも?」と聞かれてしまった。
「はあ、ゴブリンに襲われまして。」
「あの森にはゴブリンなど目撃報告はなかったと思いますが。」
「メスゴブリンや子供のゴブリンもいたのでもしかすると群れが移動していたのかもしれません。」
こんな話をしていると、ギルドにいた他の冒険者たちからだろう「ゴブリンが時にやられて血まみれになるとはさすがに薬草採集パーティだぜ。護衛もモンスターとの戦い方を知らなかったのだろう。」などという悪口が自然に湧き起こってきた。俺の方を指さしてゲラゲラ笑っている冒険者もいる。
こういう雰囲気を悟ったのか受付のお姉さんは「詳細は奥の部屋でお聞きしましょう」と俺とマリーゴールドをさっと奥の部屋に案内してくれた。
俺たちが椅子に腰掛けて落ち着くと、お姉さんは「それで、ゴブリンの数などはいかがでしたか?」と更に聞いてきた。
俺がメスと子供は10匹ずつくらいだったと思います。オスのゴブリンは22匹、ゴブリンソルジャーが5匹、ゴブリンジェネラルが1匹ですねと報告するとお姉さんは「は?ゴブリンジェネラルですって!」と驚いた。
「魔石は回収していますから確認してください。」
「え、ええ。確かにこの大きさはゴブリンジェネラルの魔石ですね。ってゴブリンジェネラルってB級モンスターですよ。それをあなたとニールが倒したっていうんですか?」
受付のお姉さんは呆れ返ったようにいう。
マリーゴールドが「あ、あの、ニールはゴブリンソルジャーの奇襲を受けて倒れたのでゴブリンたちを倒したのはジャンです。」と小声でおずおずという。
受付のお姉さんは目を大きく見開いて「こ、これは副ギルド長に報告すべき案件です。少々お待ちください。まずは本当に魔石がゴブリンのものなのかきちんと鑑定して参ります。」というと席を立って部屋の外に行ってしまった。
「マリーゴールドさん、俺、何か悪いことしたのかな。やっぱりニールをケガさせたって怒られる案件なのだろうか。」
「あは、そんなわけないでしょう。私もあなたがゴブリンジェネラルを一人で倒したなんて今でも信じられないのよ。少なくともあなたがいなかったら私たちはもう今頃ゴブリンのエサになっていたでしょうね。助けてくれてありがとうというのは私たちの方よ。」
「そ、そんなものなのかな。」
「あなたは少なくとも英雄的行為を達成したのだから胸を張っていいと思うよ。D級になったばかりの冒険者が一人でゴブリンジェネラルを倒したなんて伝説級の話よ。ゴブリンソルジャーを倒しただけでも賞賛されるべきだわ。」
しばらくすると副ギルド長が部屋に入ってきた。
「俺は副ギルド長のジェラルディンだ。あの魔石は確かにゴブリンジェネラルのものだった。本当に君たちが倒したのか?」
「私たちではありません。ジャンが一人で倒したというのが正確ですわ。」
「はあ?」
副ギルド長は絶句している。
「詳しく話を聞かせてくれ。」
俺はゴブリンを見つけた時の話を始めた。
マリーゴールドやヘンリエッタは俺がゴブリンと接敵した時には気が付かなかったらしい。
彼女たちがゴブリンに気がついたのはニールが叫んだ時だったという。俺については俺が立っていた場所にゴブリンの死骸があったのでもう乱戦で倒されたか捕まったかだと諦めてしまったということである。
その後、ニールがゴブリンに圧倒されてトドメを刺されそうになった時、そのゴブリンの背中にナイフが突き立ったのを見て初めて俺が生きていて助けに来てくれたことに気がついたそうだ。
それで、ゴブリンソルジャーたちを俺が倒した隙にニールを戦場から引っ張り出して治療を開始し、なんとかニールの命を救うことができたとホッとした時にゴブリンジェネラルが足を切られて転倒していたということで、俺とゴブリンジェネラルの戦いは誰も見ていなかったということが明らかになった。
まあ、それでニールの命が助かったのなら安いものである。
「そうか。さすがに子供で身が小さいからそんなことができたということなんだなあ。」
副ギルド長は感心するように唸っている。
「ジャン、お前はついこの間D級に上がったばかりだからすぐにC級に上がるわけにはいかないが、まあ、実力はC級以上だということはよくわかった。」
俺たちは薬草採集の報酬と魔石の換金した袋を受け取って部屋を出た。
その足で病院に戻り、ヘンリエッタとニールを探した。
ヘンリエッタは病室の外の廊下にある長椅子に呆然と座っていた。
「ヘンリエッタ、ニールの具合はどう?」
俺はヘンリエッタに声を掛けた。
「ああ、ジャン。ええ、お医者様はとにかく命には別状ないって。でも何ヶ月かは入院して寝ていなきゃならないんだって。あとは回復しても冒険者としてやっていけるかどうかはわからないって。」
「そ、そうなんだ。とにかくクエストの報酬は貰ってきたよ。魔石の分もあるからポーナス付きだよ。」
「ありがとう。」
「もし傷の回復を良くしたいなら聖女見習いの子に頼んでみようか。」
「ああ、あなたの彼女ね。でもいいわ。神殿に頼むとなるとお金がかかりすぎる。」
「あ、いやあの子とは依頼の関係だけでそんな、か、彼女なんてものでは…」
マリーゴールドが横で思わず吹き出している。
「う、うふふ、この子ったらなんてウブなんだろう。可愛いわ。」
「あ、あのですね、彼女は聖女見習いなんですよ。神殿の聖女は純潔が求められているんです。そ、そんな男女交際なんてしたら不純じゃないですか。」
ヘンリエッタもたまらず吹き出してしまった。
「そうだよ、ジャン。それでこそ聖女様の護衛騎士だよ。うんうんお似合いだよね。」
「ヘンリエッタさんまでそんなこと。」
「まあ、貴方があんなに強いなんて知らなかったよ。本当に薬草採集パーティにいては勿体無いと思う。貴方ならもっといいパーティに参加して活躍した方がいい。」
「俺、このパーティ好きなんですけれど。」
「ありがとう。でもね、私ももしかしたらこのまま一生ニールを養わなければならないかもしれない。もう薬屋を開くだけのお金は溜まっているから、できたらこのパーティは解散したいんだ。」
「私も錬金術師としてそろそろ独り立ちしたいのよね。」
とマリーゴールドも言った。
「薬草採集パーティは薬屋を開けるD級冒険者のライセンスを取るまでっていうのが通り相場だからねえ。いいタイミングだと思うんだ。」
俺もこの日が来ることは理解していたしね。きっとこれが潮時というものなのだろう。
「うんわかったよ。薬屋を開いたらまたポーションを買いに寄らせてもらうよ。」
「うんその時は割増価格で。」
「普通は割引価格っていうもんじゃないのか?」
そんな冗談を言いながらパーティを解散することになった。