第一章: 孤児院にて
王都の孤児院には両親と引き離されたけれども元気のいい子供たちの声がいつも響いている。
チャーチワード孤児院の庭では二人の子供たちが木剣を握って延々と打ち合っている。他の子供達が早々に脱落してゆく中、二人の子供、ケビンとジャンは孤児院の門番であるイアンの指導の下、剣の腕を磨いていた。
ダーシアン王国の王都にある孤児院には特に北辺の辺境であるトゥラニア辺境伯のあった地方からの孤児たちが多く収容されている。
数年ほど前、トゥラニアは大規模な魔獣のスタンピードに襲われて滅びた。領主であったトゥラニア辺境伯の一家を含めて多くの領民が魔獣の犠牲になって村々と共に消え去ってしまった。半月後に到着した王都からの救援隊の騎士団が見たものはもう焼け落ちた領主の館と多くの死体とその中で逞しく生き残っていたわずかな数の子供達であった。
魔獣の圧力はまだまだ強く、騎士団たちは魔獣たちの攻勢を食い止めることができず、救助できた何十人かの子供を連れて王都に帰還せざるを得なかった。
国王は孤児となった子供たちに将来のトゥラニア領の回復を目指させようとした。そのため、孤児院の子供達には普通は貴族や裕福な平民しか受けることのできないギフトの検査を受けさせて様々な技能を磨かせようとしたのである。
当時4〜5歳だった子供たちももう10歳になる。10歳の春に神殿でギフト検査を行い、そのギフトを活用するように才能を伸ばしてゆくことが期待されたのである。
チャーチワード孤児院でギフト検査を受けるのはケビンとジャン、そしてフリーダの3人だった。ケビンとフリーダは同じ村の出身でケビンは自らの両親や家族を目の前で殺された経験を持っている。フリーダとケビンは幼馴染と言ってよい。
ジャンは荒野を彷徨っているところを保護された。わずかに年齢だけは応えることができたが、自らの名前や過去の記憶はほとんど失っていた。そのため、仮に「ジャン」という名前がつけられてそのままになっていた。彼の身元を示すものは何もなく、ボロボロになった服の他に唯一身につけていたペンダントは特に身元が明らかになるような文字や符号などはついていなかった。
この三人は同年齢ということもあり、孤児院の中でも仲良く過ごしていた。
彼らが孤児院に入った数ヶ月後、イアンと名乗る老人が孤児院の門番として雇われることになった。
イアンはジャンに「エドワード様、お探ししました。」と泣きそうになりながら話しかけたが、ジャンにはその記憶はない。
「悪いけれど、僕にはエドワードって名前に記憶はないんだ。このジャンって名前も助けてくれた騎士の名前をシスターたちが僕に付けてくれたんだよ。」
「そうですか。ではジャン様。これから私が剣の稽古をつけることにします。でもあのペンダントは大事なものですから無くさないように大事にしてください。」
「その、ジャン様って言われるとなんだか妙な気分なので呼び捨てのジャンでいいよ。イアンの方がずいぶん年上なのだから。そんな人から敬語を使われるのはおかしいでしょう。僕の方が敬語を使うべきだと思うよ。」
「いやいや、私には敬語など必要ありません。私があなたをお守りできなかった上に記憶を失わせてしまったのは私の罪です。」
「いやいや、僕みたいな子供に敬語はいらないよ。じゃあ剣の先生をお願いしますね」
こうしてイアンによる剣の稽古が始まったのである。
毎日木剣を振っている姿を見ていたのだろう。ある日、孤児院の院長のシスター・エレノアはイアンに言った。
「もしよかったら他の男の子たちにも剣の稽古を見てやってくれませんか?私たちシスターでは剣術は教えられないのです。」
こうして孤児院の男の子たちはイアンから剣の稽古を受けることになった。
もっとも、一年二年と経つうちにイアンの厳しい稽古についていけない子たちが増えていった。しまいにはジャンとケビンだけが残り、ずっと木剣を打合せ続けることになったのである。
一日に50合、時には100合近く撃ち合いをしても若い彼らは鍛えられているので息も上がらない。シスターたちによる読み書きの授業や算術の授業、歴史の授業なども少しは居眠りして怒られることはあったが、おおよそは真面目に授業を受け続けたのだった。
フリーダは剣術の稽古はしなかったが、シスターたちによる勉強は喜んで受けていた。もう優等生で、シスターたちの授業の助手のようなことをしてもっと小さい孤児たちがきちんと勉強できるように面倒もよく見ていた。
♢♢♢
シスター・エレノアは「今年のギフト検査は三人とも何かのギフトをいただけるんじゃないかと期待できますね。」と期待心は隠せない様子だった。
そうしてギフト検査の日が来た。三人の子供たちはお仕着せを着てそれなりの格好になった。イアンは「馬子にも衣装とはこのことだな。孤児院のガキがそれなりの子息令嬢に見える。」と口の悪いところを見せた。
緊張していた子供達も「イアンは相変わらずだよね」と笑みを見せてやや緊張がほぐれた様子であった。
そうこうしているうちにチャーチワード孤児院の順番が来た。
最初はケビン、次にフリーダ、そして最後にジャンの順番はくじ引きであらかじめ決められていた。
まずはケビンに対してギフト検査がかけられた。監査官の神官はハッと目を開けてギフトは「勇者」と告げた。それを聞いた周囲は騒然である。すぐに王宮に使いが走り、ケビンは別室で待機ということになった。
ケビンが別室に去るとやや騒ぎは落ち着き、次にフリーダの順番である。フリーダに監査官が手を触れてギフトの検査をすると、今度は恭しく頭を下げて「ギフトは聖女」と告げた。
再び周囲は騒然とした。
今度は大神殿に使いが走り、フリーダは別の部屋へと移された。
そして最後の順番にジャンである。もう周囲のザワザワは止まらない。
ちょっと異様な雰囲気であったが、ジャンは落ち着いてギフト検査に向かった。
検査官はジャンの体に触れるとすぐに「どうなっているんだ。この子には名前の欄が空白だ。それにギフトの名前は何かで覆い隠されている。ギフトは不明!いや、ギフトなしだ!」とやや錯乱気味に叫んだ。
記録係は「ギフトなしですね」と確認したが検査官はもう答えなかったので記録係は「ギフトなし」と記録せざるを得なかった。
ギフト不明なんて記録できるわけがないじゃないか。
ケビンはそのあとすぐに王宮に呼ばれ、フリーダは大神殿に呼ばれたので残ったジャンだけはイアンやシスターエレノアと共に帰るしかなかった。
イアンは「ギフトはあくまでも才能の方向性を示すだけのものだ。ギフトなどなくても十分な努力をすれば問題は突破できる。実際にギフトなどなくても騎士として大成した奴もいるんだよ。」とジャンを慰めてくれているようだった。
ジャンはむしろ検査官が「ギフト不明」と叫んだことが気になっていた。「ギフトなし」ならば努力だけでなんとかすればいい。けれども「ギフト不明」ってどういうことだ?単に読み取れなかっただけで自分にもギフトがあるということなのだろうか。
そこについてはギフトの監査官に質問することもできなかったのでジャンの心に蟠りとして残ったのだ。もう一つは名前である。自分のジャンという名前なのかイアンがいうエドワードという名前なのか。ギフトの名前は偽名が使えずに本当の名前が現れると聞いたことがある。けれども今回、ギフトの鑑定で名前が現れなかったことは自分の名前がまだ決定されていないということなのか、それともまた別の理由があるのだろうか。
ジャンは帰り道にシスター・エレノアやイアンから様々な慰めの言葉を受けていたのだが、結果の異常さに心を奪われていたジャンはいったいどんな話をしてくれたのか、後になってもさっぱり覚えていない結果となった。
通常はギフトのないものは冒険者にはなれない。無論、勇者パーティのようにガンガンモンスターを退治する冒険者ばかりではない。商隊を護衛する冒険者もいるし、薬草などを収集する冒険者もいる。
冒険者たちは様々な分野で活躍しているのである。
シスター・エレノアは四方に手を尽くしてジャンがどこかの冒険者パーティに入れないかと探したのである。
ギフトなしの場合は農業の下働きとかゴミ拾いのような単純作業に就くのが通例である。けれども、シスター・エレノアも勇者認定されたケビンと対等に打ち合えるジャンをそういう単純作業に就かせることには賛成できなかったのだ。イアンは王都の騎士団に入れないかと聞いてみたようだが、王都の騎士団に入隊するのは15歳以上という決まりがある。いくらなんでも10歳で騎士団に入隊するのは無理である。
♢♢♢
結局、薬師が薬草採集する冒険者パーティにジャンは入れることになった。薬師の他は斥候と魔道具師がいる。
リーダーは斥候のニールで「うちのパーティは薬草を採取するのが主な業務なのでモンスターと戦うことは滅多にありません。というか、パーティを組んでから一度もモンスターにも魔獣にも出会ったことがないんです。それでもよければ入ってもらっていいですよ。」と言う。
薬師はヘンリエッタという女性でどうやらニールと恋仲らしい。魔道具師も女性でマリーゴールドというらしい。
話を聞くと薬師も魔道具師も独立するためには冒険者ランクがD級になる必要があるらしい。薬師も魔道具師もモンスター相手には無力である。なので安全な薬草採取でポイントを稼いでD級を目指すというのが割とよくあるパターンらしい。
ニールは「あなたもギフトなしということですから地味に薬草採取でポイントを稼いでいればD級くらいにはなれると思いますよ。下手にモンスターに立ち向かって命を落としても命は一つしかありませんから気をつけてくださいね。とにかく無謀はやめてください。」
俺はその条件を飲んでパーティに参加することとなった。
ギルドで薬草採集の依頼を選んで採取に出かけようとすると周囲の筋肉ダルマみたいなおっさんどもがせせら笑っている。中には明らかに俺に指を差して「ギフトなしには薬草採取の護衛がお似合いだよ」なんて悪口を言う奴らもいる。
確かに薬草採集ではヘンリエッタとマリーゴールドが薬草を探している間は俺とニールはただぼーっと立って見張りをしているだけだと言われるとなんの否定もできない。
今は俺は冒険者になりたてのF級で他のメンバーは一年位先行して冒険者をやっていることからE級になっている。薬草採集は地味だけれど需要があるのでクエスト達成で与えられるポイントはそれなりに低くはないのである。
半年ほどするとケビンとフリーダが修行を終えてギルドに登録した。彼らは火魔法の使い手であるヒルダと女騎士グウェンダリンの4人でパーティを組んで華々しく勇者パーティとして活動を開始した。
攻撃力の強いパーティなのでどんどんとモンスター退治をして名を上げていったのである。
たまにギルドで勇者パーティを見かけると周囲から称賛を浴びているのがよくわかる。もちろんこちらはなんの注目をも浴びることはない。
そんな中でケビンだけは俺を見かけると手を上げて挨拶してくれたりする。
そういう様子を見て周囲の勇者パーティの取り巻きたちは「なんでこんなクズにケビン様が挨拶するのだ」とゴミを見る目で睨みつけてくることもある。
いつぞやはフリーダが「なんであんたがいるのよ」と文句を言ってきたこともあった。
なんでいるのかと言われてもこちらだって採集した薬草を確認しなければならないのでギルドを訪れないわけにはいかないのである。
「わかっているの?あなたはどうせF級で万年最下位なんでしょうけれど、勇者パーティはもうC級ですからね。ギフトなしのあんたなんかとはモノが違うんです。あんたはギフトなしなんだからさっさと冒険者を辞めて下働きでもなさったらどう?」
フリーダの舌鋒鋭くてこちらを傷つける力は強い。周囲の取り巻きたちはフリーダを称賛していた。
ケビンは「いや、ジャンは強いから冒険者をやれると思うよ。その人その人で道は違うのだから勇者パーティだけが唯一の正解というわけでもないしね」というものだからフリーダはもう言葉をなくして震えているようである。
さすがにこれはやばいよね。俺はうちのパーティメンバーに「さあ、クエストの達成の申告も終わったから外に行こうぜ」と声をかけて速やかにギルドの建物から脱出することにした。