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5話 【俺】の驕りと過信


 この結果に関しては、我ながら意外だった。


 天使と人魂(オレ)を天秤にかけ、その両方を選んだことに。

 イヴの反応を見る限り、この世界における偶像崇拝(しゅうきょう)は絶対。

 しかも遺伝子レベルで信仰心を刷り込まれているのではないかと疑ってしまうほどだ。

 実際、ただ天使と邂逅しただけで目から涙を流したり、

 身体が勝手に動いて土下座したりするのは……まぁ、俺からすると異常だ。


 ただ、その上でイヴは最終的に毅然とした態度ではなかったかもしれないがで、

 自分の考えを伝え、天使から俺をかばってくれた。

 俺自身はというと、イヴのことを信じてはいたが、

 最終的にはあっさり白状するんだろうなとは思っていた。

 なにせあの天使は勝手に泣かせたり、勝手に土下座させたりできるのだから。

 勝手に隠し事を白状させられても、なんの驚きもない。


 だから俺は距離をとった。物理的に。

 いつでも天使から逃げられるように。

 今はこうして俺の発する言葉や姿を天使は認識していないが、

 イヴの口から俺の名を、存在を告げられることによって、

 改めて天使が俺という個を認識する可能性だってあるわけだ。

 そうなってしまえばこの貧弱な体ではとても太刀打ちできない。

 ただ排除されるのを待つのみ。

 だから、そうなる前に逃げてしまおうと考えた。


 そして、それが最大の誤算だった。


 イヴは、あいつは最後の最後まで吐かなかったのだ。

 天使に何か見えない力で押さえつけられていたが、最後まで抗った。

 だからこそ、その殺意(・・)には気づけなかったのだ。


 天使が、イヴを殺そうとしている。


『とどけ……! 間に合え……!』


 気が付くと俺は必死に手を伸ばしていた。

 いや、実際この体に手があるのかどうか定かではないが、

 それでも距離をとってしまった事を後悔しながら、死に物狂いで手を伸ばした。

 あの天使は……ラファヤはすでに攻撃の準備を完了している。


 なぜそんな事を――なんて考えている暇はない。

 この手を伸ばし、届いたところでどうなるかもわからない。

 だが俺は、こうせざるを得なかった。


『イヴ!!』


 ドン!


 強い衝撃を受けた瞬間、今までフワついていた体に感覚が戻ってくる。


 手、腕、腹、背中、脚、頭――


 気が付くと俺はでんぐり返しでもするように、

 地面の上を高速でゴロゴロと転がっていた。


「ほう……」


 侮蔑と感嘆の混じった声。

 発したのはおそらくラファヤだろう。


 それが遠くから聞こえたと同時に、俺の体は転がるのを止めた。

 ひっくり返った体勢のまま、手を握ったり開いたりして感触を確かめる。

 どこも出血していないし、吐き気もない、欠損もしていない。


「ま……間に合った……」


 心底安堵したのも束の間。

 俺は急いで立ち上がると、そのまま振り返って声をあげる。


「す、すみません! ラファヤ様! 足がもつれて転んでしまいました!」


 自然に。

 あくまで偶然攻撃を躱したかのように取り繕ってみる。

 本来なら〝よくもやってくれたな〟なんて言うのだろうが、そんな事はしない。

 先ほどの気持ち悪い集団ならいざ知らず、天使となんて戦いたくはない。

 なにも急に信仰心に目覚めたからとかそういう話ではなく、

 蜂の巣をつついて、大勢呼び寄せるようになる事態を避けたかったのだ。


 それに、戦わなくてもわかる。

 こうして実体を持って正面から向かい合って初めて理解できたが、こいつはヤバイ。

 さすが大天使と呼ばれているだけはある。

 それほどまでにすさまじい圧力(プレッシャー)だ。

 気を抜いていると膝がガクガク震えてくる。


 だからあえて尋ねない。

 攻撃なんてされていないというスタンスを貫く。

 なるべく穏便に済むのならそれが一番いい。


 ……まぁ、殺意を現在進行形で放っているから無駄だとは思うが、一応だ。

 打てる手は惜しまない。

 もしかしたら本当に考え直してくれるかもしれないからな。


「てめぇ……」


 うん?


「てめぇは……!」


 ……聞き間違いか?

 先ほどまであんなに穏やかに話していた天使が〝てめぇ〟なんて言うか?


「てンめぇはよお……ッ!」


 ああ、〝てめぇ〟じゃなく〝てンめぇ〟だったか。

 なんてしょうもない事を考えている場合じゃない。

 あのどこぞのアイドルみたいな綺麗な(ツラ)が、みるみるうちに歪んでいく。

 あれはたぶん……いや、言うに及ばずだが、あえて言おう。


 完全にブチギレている。かつてないほどに。


俺様(・・)が下手に出てりゃあ、

 人間風情がいけしゃあしゃあと嘘吐きやがってよォ……!」


 言葉を噛み締め、噛み潰し、吐き捨てるラファヤ。

 もはや、さきほどまでの天使然とした面影は皆無である。


「ヒィエハハハァ! 覚悟しやがれェ!」


 まるで漫画に出てくる戦闘狂のようにケタケタと笑うラファヤ。

 なんなんだこいつは、天使ってヤツはみんな情緒が不安定なのか。


『こ、これは一体なにが……どうなって……?』


 今度はイヴの声。

 見ると、ラファヤの近くにフワフワした青い(・・)人魂が浮かんでいる。

 ぱちくりと、まるで何が起こったかわかっていないように目を丸くしている。

 状況から見て、おそらくあの阿呆面がイヴだろう。


『あ、あれ? 私?』


 自分(おれ)の姿を見てもなお現状を理解できていないようだ。

 だがそれも、こんな世界じゃ仕方がないか。


『ラファヤ様がいて、それで私は……誰……?』


 まずいな、混乱している。

 早めに話しかけてやらんとあいつの存在が消えかねん。


 とはいえ、この状況で普通に口頭で会話するのはまずい。

 せっかくイヴが天使相手に我を通してくれたんだ。

 ここに第三者がいる可能性は、ラファヤに示してはならない。

 だとすれば……やはり念話が最善手か。


『聞こえるか、イヴ』


 なるべくパニックを起こさないよう、あくまで軽いノリで話しかける。


『その声、もしかしてアタルさん……なんですか?』

『そうだ。悪いがおまえの体、乗っ取らせてもらっている』

『口動いてないのに、どうやって話してるんですか?』

『気になるところそこかよ』

『そういえば、なんで私が二人も?』

『よく見ろって言いたいところだが、その体だと自分の姿は見えないんだったな』

『……もしかして私、いま人魂になってます?』

『理解が早くて助かる』


 思いのほか状況判断は的確のようだ。

 が、肝心の俺自身が現状をあまり理解していない。

 というか、どうするかを未だ決め切れていない。

 戦闘か、逃走か。

 幸いラファヤは構えを取っているだけで攻撃してくる気配はない。

 あの言動からして、今すぐ飛び掛かってきても不思議じゃなかったんだが……。


 ならこちらがとるべき行動は――


『イヴ』

『はい』

『悪いが、諸々は後で説明する。ともかく今は逃げるぞ』

『逃げるって……何から……?』

『は?』


 こいつもしかして、ラファヤに攻撃されたことにすら気づいていないのか?


『よく見てみろ』

『なにを?』

『そこだよ、地面を見てみろ』

『じめ……ええ!? なんですかこれは!』


 イヴが驚くのも無理はない。

 そこは地面が大きく抉られていたのだ。


 もし間に合わなかったら――


『殺されかけたんだよ。おまえは』

『こ、殺……! だれにですか!?』


 とぼけているのかどうかはわからんが、まあ信じたくはないよな。

 自分が信仰してる偶像そのものに殺されかけるショックってのは、

 俺には想像できんが、たぶん計り知れないことなんだろう。


『……そこの天使様にだよ』

『そ、そんな……ラファヤ様が……私を……!?』


 思いのほか落ち着いていたから言ってしまったが、

 さすがにもうすこし柔らかい表現にすべきだったか。


「……ん?」


 突然、ラファヤの周囲の空間がぐにゃりと歪む。


 蜃気楼かと思ったのも束の間。

 それ(・・)は俺めがけて飛んできた。


〝避けろ〟


 考えるより先に本能が体を動かす。

 俺は思い切り横へ跳んで、それ(・・)を回避する。


 正体はわからない。

 だが、あれ(・・)は隠しきれない殺意を孕んでいた。

 おそらくイヴを殺そうとした攻撃と一緒。


『アタルさん!!』


 イヴの声で我に返る。

 気が付くとそれ(・・)は俺のすぐ近くまで肉薄していた。

 だが、目視は出来ない。

 たしかに殺意は感じる。

 だが、どの方向から、どんな風に、どのような形のものが来ているかがわからない。


 どうする。

 どう避ける。

 受け流すことはまず不可能だ。

 あの地面の抉れ方から察するに、まず間違いなく腕は使い物にならなくなる。

 運が悪ければ、そのまま体ごと潰される。


「ただ……」


 俺を殺そうとしているのだから、俺に向かってきているのはわかる。

 さらに一撃で俺を仕留められるよう、急所を狙ってきているのもわかる。


 頭か胴かの二択だ。

 来る方向に関しては、もうヤマ勘で当てるしかない。

 ただ、わざわざ目視出来ないものを迂回させて俺を攻撃しようとするだろうか。

 ……いや、あいつは間違いなく(イヴ)を舐めてかかっている。

 見えないだけで十分だと高を括り、搦め手を使ってまで俺を殺そうとはしないはずだ。

 すなわち二撃目は俺とラファヤの位置を結んだ直線上から。


「だったら……!」


 俺は横跳びした勢いそのままに、

 着地した瞬間、もう一度地面を蹴って同じ方向へ跳んだ。

 が――


()ッ!?」


 頬に鋭い痛みが生じる。

 おそるおそる指で患部に軽く触れてみると、

 刃物で切られたように肌がパックリと割れていた。

 出血はそこまで派手ではないが、痛みと不安がじくじくと広がっていく。


「……(やいば)


 今になってその正体を確信する。

 やつは見えない刃を飛ばしてきている。

 それもかなり重量のある刃だ。


「てンめぇ……、視えてンのか! ああン!?」


 もはや、ただのゴロツキみたいになってしまったラファヤ。

 威厳も尊厳もないが、殺意と威圧感だけはビリビリと伝わってくる。


〝は? なにがすか?〟


 と鼻でもほじりながら阿呆面晒して、ヤツの神経を逆なでてやりたいが、

〝辛うじて感知することは可能だが、完全に見えているわけではない〟

 という弱点をわざわざ教える必要もないだろう。


 ゆえに沈黙。

 そして、にらみ合い。

 好都合というわけではないが、これで考える余裕は出来た……わけだが、

 この間にラファヤも俺に対する警戒レベルを一段階上げているのだろう。

 とは言っても、虫けらからネズミに昇格したくらいだろうが……。


 しかし、どうしたものか。

 さっきみたいな攻撃をあと数回繰り返されるだけで、

 いずれ俺はこま切れにされてしまう。

 それに、俺の勘だとヤツはまだ手の内を全て見せていない。

 それこそ実力の10分の1も出していないだろう。


 まあ、当たり前か。

 虫けらやネズミを狩るのに核を持ち出してくる人間などいない。

 つまりこの攻撃は殺鼠剤的なもの。

 極力リソースを割かぬよう、自分にストレスがかからないよう、

 楽に(ネズミ)を駆除しようとしている。


 完全に舐められているな。

 だが、そこに勝機はある。

 ……と思いたいが、そもそもその殺鼠剤でコロッと死んでしまうのだから世話がない。


 ならもう全力で謝って許してもらうしかないのでは。


『イヴ』

『なんですか、アタルさん』

『そもそも天使って倒せるのか?』


 攻撃を躱す躱さない、この場から逃げる逃げない以前の問題。


 そもそも天使(あれ)は倒せる存在かどうかということ。

 人間や、動物や、さっきの魔物みたいに、殴ったり、刺したり、燃やしたりして、

 天使(あいつ)にダメージを与えられるかどうかという問題。


 さっきのでわかったが、ただ背を向けてこの場から逃げ出すのはまず無理だ。

 だからこちらからも何かしらのアクションを起こさなければならない。


 つまりは攻撃だ。

 こちらの攻撃を喰らわせている間に、逃げる。


 だが、大前提として天使(あいつ)に攻撃が通らないのならどうなる。

 いくらヤツの間隙(かんげき)を縫って、決死の覚悟で攻勢に転じても、

 こちらの攻撃が一切通用しないとなれば、それはもうお手上げだ。

 そんなのどうやったって、逃げたり、勝てたりできるわけがないのだから。

 負けイベントで本気を出すほど俺は暇じゃない。


 それなら今からでも本当のことを言って、詫びて、

 なんとか許してもらうことに心血を注いだほうがまだ確率はある。


 ちなみにだが、

 俺は必要に迫られれば頭なんていくらでも地面にこすり付けられる男だ。


『倒すのは無理……じゃないですかね』

『ふ、ふぅん? そっかあ……なるほどなあ……』


 最悪だ。

 今この瞬間、俺の頭は地面にこすり付けられることが確定し、

 同時に俺の異世界生活は終了した。

 俺、ただこの世界に来てから腹貫かれて死にかけただけじゃん。


 ……まぁ、いいかこの際。

 二度目の人生があっただけでも儲けモンだ。

 あとはどうにかしてイヴだけでも許してもらう方法を――


『あ! いえ! じつは根拠がありまして……』

『根拠?』

『はい。人間が天使様を倒した……なんて聞いたことがないからです』

『前例がないってことか』


 だから自分は無理だと思ったけど、じつはいけるかもしれない。

 イヴが言いたいのは、つまりはそういうことだろう。


『でも、じつはですね?』

『じつは?』

『500年くらい前、神魔終末(じんましゅうまつ)大災害(だいさいがい)の折、

 多くの天使様が悪魔()を斃し、また斃されたと聞きます』

『神魔終末……』


 またすごい名前が出てきたな。


『……て、悪魔?』

『お気づきになられましたか?』


 ふふふ、としたり顔で俺を見るイヴ。


『ああ、たしかさっきラファヤが魔王とかなんとかって……』

『はい。あのアタルさんが使ったなんとかというすごい魔法……』

炉心溶融(メルトダウン)な』

『そうです。そのメル……はラファヤ様曰く、魔王様もお使いになられるとのこと』

『なるほど。多くの天使を屠ってきた悪魔の……その親玉の使う魔法だったら、

 天使にもダメージを与えられるかもしれないと』

『ですです』

『よく覚えてたな』

『ええ、聞き馴染みのある方ばかりでしたので』

『でも、たしかに試してみる価値はあるな』

『でしょう?』


 今さらだがイヴのやつ、ラファヤを倒すことに抵抗感はないのか?

 もしかして、いろいろあってもう吹っ切れたとかか?

 ……まぁ、どうしても天使様は倒したくないですってゴネられるよりマシか。


『どうかしましたか?』


 本人を前に改めて言う必要もないか。

 ここは黙っておくべきだな。


『試してみる価値はある……だが――』


 たしかに面白い試みではある。

 魔を以て聖を制す。

 なんともこう……少年心をくすぐる響きではないか。


 しかし、この違和感はなんだ。

 炉心溶融(メルトダウン)をいざ使おうとすると、なぜか心がざわついて仕方がない。

 それに体がすこし気だるいというか、

 あの鎧の男や教徒を相手にしていた時はここまで体調は悪くなかった。

 いや、実際そこまで体調が悪いというわけではない。

 例えるなら風邪の引き始めのような――


『なんです?』

『……いや、なんでもない』


 そうだな。

 ここで弱音を吐いていても何も変わらない。

 試せる手段があれば試すだけだ。


『なんですかそれ』


 呆れたようにイヴが返してくる。

 思い返せば、短い間だったがこいつもかなり俺に気安くなったな。

 歳はかなり離れてそうだが、この世界に来て初めて出来た友達みたいなもんだ。

 こいつの為にも、今ここで死ぬわけにはいかねえよな。


「……一発だ」

『へ?』


 逃げるのはもう止めだ。

 今、ここで、ラファヤを斃す。

 そしてなんの憂いもなく、俺とイヴはここから歩いて(・・・)イヴの村に戻る。


 だから、一発だ。

 これで仕留め切れなければ、ここで俺もイヴも終わる。

 それくらいの覚悟で――


「だから、ありったけを……!」


 俺は両手を天高く掲げると、そのまま地面に掌をついた。


炉心溶融(メルトダウン)!」

「メルト……ダウン……だと!?」


 ラファヤが目を見開き、たじろぐ。

 思った通りの反応だ。


「まさか……! よもや貴様が……!?」


 ラファヤはそう吐き捨てると、一目散に空へ飛び上がった。

 この魔法の性質を知っている以上、対策もわかっているようだ。


 だがもう遅い。

 俺を舐め腐ったツケはその身で支払え。

 炉心溶融(メルトダウン)は天をも焦がす。

 辺り一面をこの惑星(ほし)の熱でドロドロに溶かし尽くす魔法だ。


「さあ! 焦熱地獄の中を羽虫が如く無様に飛び回るがいい!」

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